第2話 ちぐはぐな二人

 私が高校二年生の時に両親は死んだ。

 死因は聞かされなかったが、自殺だというのはなんとなくわかった。

 死の一か月前から兆候はあったのだ。机の上に置かれた支払い明細書。異様に増えた酒瓶。

 仕事に行く準備をしているお父さんの姿は見ることなく、顔を合わせるお母さんの笑顔には影がかかっていた。

 家族仲が特別よくなかった私でも気づくほど悲痛な、ほんの一時の強がり。

 家族仲と言えば家族の仲も両親が死ぬ間際には不自然に良くなったと思う。

 昔は「仕事が忙しいから」と「勉強して」が口癖だった両親が、なんの気まぐれか休日に部屋で寝そべっているだけの私を遊びに引っ張り出し始めた。

 もう両親とべたべたするような年齢でもないのに、おまけに遊びに連れてかれる場所はお金の掛からない近所の公園。恥ずかしいこと極まりなかった。

 田舎の公園って自分よりも小さい男の子や女の子が遊んでて、高校のクラスメイトが部活の練習に来るような場所だよ?「三峰ーお前、ピクニックかー?」ってうざい男子に揶揄われるし、そういうのに鈍い両親は人の目なんか気にせずはっちゃけるし、私の人生最大の黒歴史だった。

 帰りは田んぼの畦道を通って、東京で買ってきたお洒落な靴も弾いた泥でボロボロになって、それにムカついて、


「なんで私に構うの!今更になって親面しないで!」


 って言っちゃった。

 言ってからその発言に後悔したけど、冷めやらぬ怒りもあったから取り消せないで…

 それを聞いたお父さんもお母さんも困ったように顔を見合わせたの。


 で、なんて言ったと思う?


「ごめんなあ……」

「……私たち、秋になにもしてあげられなかったね」


 ってさ。寂しそうな表情で言うの。

 お父さんとお母さんのあんな顔、一生忘れられないと思う。

 あーあ、私も意地なんか張らずに素直に「ごめんなさい」って言えてれば、こうして今も引きずらずに済んだのに。

 「明日、謝ればいいや」とか後回しにしたせいで、その機会は永遠に失われてしまった。


 ……大馬鹿だ。私。


 最期のチャンスはこれだけじゃなかった。

 両親が死ぬ前、私に一本の電話を掛けてもいた。

 それなのに私は学校に居るからって……それに後から掛け直せばいいやって……ズルズル引っ張って、結局、電話したのはそれから何時間も経った深夜。友達と夜遊びした終電の電車内だった。


 当然、両親は電話に出なかった。……出られるわけなかった。



◇◇◇



「あーもーあのクズ野郎!ほんと最っっ低!!」


 私は男女の一線を越えた相手である後輩の鷺谷翔也に告白して……見事にフラれた。

 ただフラれたわけじゃない。こっぴどくフラれた。

 

「私の裸を写真に撮って!しかも!他にも弱みを握って……それでいて二度と近づくなって!?お生憎よ!こっちも会いたくないから!」

「はいはい。秋の愚痴はもう聞き飽きたから」


 幼馴染の友人、染井春子はもう何度目かもわからない同じ愚痴を聞かされてうんざりしている様子だった。

 幸いなのは今はまだ終業前だと言うこと。これが外だったらとっくに逃げられていた。


「でも良かったじゃん。そんな奴と別れられてさ」

「勘違いしないで。私は鷺谷君とは付き合ってないし」


 私は「翔也君」から「鷺谷君」と呼び方を変えて意趣返しをしたつもりなのだけれど、肝心のあの後輩君がいないせいで空振りに終わった。


「あれで付き合ってないは嘘だって!ずっとメールでイチャイチャしてて、校内でも腕組んだりしてさ。あんたもモテるんだから、周囲に気を配りなさいって何度私が忠告したことか」

「それは……だって……」


 両親が亡くなってから、私に親身になってくれたのは他の誰でもない翔也君だった。

 アテもなく途方に彷徨う私に手を差し伸べてくれて、不安な気持ちとか……罪悪感とか……暗い色が混ざり合ってぐちゃぐちゃになった私の言葉を受け止めてくれた。

 春子とか友人の前じゃ言えないこととかも、翔也君の前でなら嗚咽のように吐き出せた。


「秋の気持ちはわかるよ。両親を亡くして、その穴を埋めたかったんだよね?」

「……」

「でも、秋はさ……ほら、顔がいいし、体も、うん。男好みのスタイルでさ、……だから言いずらいんだけど、きっと翔也って子も―」


「翔也君の悪口言わないでよ!」


 私はバン!と机を思い切り叩いて抗議した。

 がやがやしてる午後の教室が一気に静まり返った。皆、何事かと私の方を見る。


「あ、秋……わかったから、一回落ち着いて!」


 慌てて春子がフォローに入る。私は促されるまま再び席に着いた。

 私は興奮してて、周りのこととか全く目に入らなかった。

 春子が押さえてくれてなきゃ、不安定な私はもう……なにをしでかしてたかわからない。


「私は翔也君についてあれこれ言わないよ。でも……秋も知ってるでしょ?翔也君の噂さ……やっぱり疑われてたんだよ。秋の体目当てじゃないのかって」

「……言ったやつ誰?そいつを殺すから」

「こらこら。早まるんじゃない。もう誰が言ったかすらわかんないほど、その噂は広まってるし……その、事実として翔也君は秋を抱いてから興味なくしたように捨てたじゃん?」


 春子は私の肩に手を置いてそう言い聞かせる。

 私だって翔也君が体狙いなんじゃないのかってことは薄々疑っていた。

 でも、体狙いでもいいと思うほどまでに私は……三峰秋は鷺谷翔也に落とされていたのだ。

 我ながら、情けないと思いつつ、でも一度、体を許した相手を嫌いになんてなれるはずもなく……


「秋、新しい男を作りなよ。翔也君もそれを望んでるんじゃないの?」


 もう誰かに生きる意味を託して依存することしか出来ない私に残された選択肢は二つ。


 一つはヌード写真をばら撒かれようが、飲酒喫煙で大学の推薦を取り消されようが、翔也君に縋りつく。第二、第三、それ以下の女になったとしても。


 そして、もう一つは春子が言うように新しい依存先の男を作ることだ。 

 幸い、私は顔が良い。スタイルも高校生ながら大人顔負けだった。

 翔也君と仲を深める前までは沢山の男子から言い寄られたし、正直に言って、言い寄ってきた男子のほとんどが翔也君よりもハイスペックな男子だった。


「無理だよ。私は……」


 もう知っている。


 ―私には翔也君しかいない。


 きっとこの先、翔也君よりイケメンな男子と出会っても、絶対に私はその男子に惹かれることはないだろう。


 それほどまでに重い呪縛なのだ。

 

 恋という呪縛は。


◇◇◇


 学校帰りに俺は自宅の傍にある神社で神具を運ぶアルバイトをしている。


「んしょ、よいしょっと」


 神具を担いで石段を上る。山の中にあるだけあって長く急な階段だった。

 雪で足を踏みはずさないように足元に注意しながら、大事な神具を慎重に運ぶ。

 鳥居をくぐって参道を左、社務所に神具を下ろした。


「お疲れ様です。翔也さん」


 社務所で俺を労ってくれたのは、今年で中学三年生になる市原唯だ。

 この子も俺と同じようにこの神社でバイトをしている。


「巫女服寒くない?懐炉持ってきたよ」

「わあ!ありがとう!」


 俺はポケットで温めていた懐炉を取り出す。

 唯は嬉しそうに赤ぎれした手を差し出してきた。


「あ、翔だー!」

「久しぶりー!」

「美人な彼女と破局したのー?」


 神具を下ろす作業をしていると、同じように巫女服を着た姦しい女子が社務所から顔を覗かせた。

 唯と同じく近所の中学校に通う女子生徒らだが、唯より一歳か二歳年下なせいもあって、まだ子供っぽさが抜け切れていない。

 俺はやかましく騒ぎ立てる近所の女子中学生共を適当にあしらった。


「うっせ。つかなんで知ってんだよ」

「あ、ほんとに破局したんだ」


 耳ざとい唯は俺が破局したという情報をすぐに取り入れた。

 きっと明日に俺が破局した事実が町内に出回っていること間違いなし。

 まあ高嶺の花だなんだ言われてたし、予想通りといったところで噂もすぐに下火になるだろう。


「あら鷺谷君。彼女さんと別れたの?」

「あ、どうも」


 社務所の外で騒ぐ子供たちを見にやってきたのは、町内のお手伝い巫女ではなく本職の巫女さん。

 その本職の巫女さんはと言うと、唯のお母さん、市原七海だった。


「なら、うちの子を貰ってくれないかしら?」

「ちょっとお母さん!」


 唯は寒さで既に赤くなっていた顔を更に真っ赤にして母親に抗議する。

 大人びていた唯もまだまだ母には敵わぬらしい。


「……いやあ、勿体ないっす」


 俺は町内婦人の社交辞令をそれとなく躱して、愛想笑いを浮かべる。

 俺は高校一年生、唯は中学三年生。年齢が近いせいもあってか、町内ではよくこうしたお節介を受けることもある。だからもう慣れた。


「あらあ、お似合いだと思うけど?」

「娘さんにはもっと器量が深い男性が似合いますよ。俺の手には余ります」


 俺は軍手を外して社務所の納品リストに〇をつけていく。

 時給換算に出来ないから手放しに良い職場だと言えるかはわからないが、今回のひと仕事で二万円の手当てが貰える。学生にとって二万円は大金だ。


「でも残念ね。せっかく良い相手だったのに」

「俺も後悔してます」

「ううん。相手の女の子に言ってるの」

「……え?」

「翔也君って中々に面倒見も良いし、働き者だし、手放すのがもったいないと思ったの。もし唯の彼氏だったら是が非でもウチに婿入りさせてたわ」


 唯が「お母さん‼」とさっきよりも大きな声で叫んだ。


「……いいえ。相手は俺には勿体ないほどの彼女でした」


 最悪の結末を避けるために俺は三峰秋√を壊した。

 本当は結ばれる世界から逸れた道へと俺は進んでいる。ここから先の展開なんか想像すらつかない。

 それでも、三峰秋にとっては少なくとも本来の√よりはマシな未来がきっと待ち受けているはず。


「俺がいなくとも……」


 鷺谷翔也には三峰秋が必要だった。


 ―が、三峰秋は鷺谷翔也が必要などころか、鷺谷翔也のせいで三峰秋は廃人寸前になりかけていた。


「いえ、俺がいなければ彼女は幸せになれるはずです」


 この逸る鼓動が、この込み上げてくる気持ちが、どうしようもなく彼女を求めても、たとえこの体の持ち主である鷺谷翔也を裏切ってでも……


「俺は近々、この町を出る予定です。今後のことも何も考えずにトントン拍子の計画ですが……」


 俺は三峰秋の幸せを最優先する。そう決めたんだ。

 

 この世界は『深淵』というタイトルの恋愛アドベンチャーゲーム。


 複数の登場人物が織りなす学園物語なのだが、実は鷺谷翔也は主人公ではない。

 特別枠として物語を組まれた友人キャラの一人だった。本来の主人公ではないからこそ鷺谷翔也は最終的に悲惨な目にあって死ぬ。……鷺谷翔也と関わったヒロインと共に。

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