白石桃花の幸福論
雪待ハル
ココア
甘い甘いココアを飲む。
やさしいブラウンの中身が入ったあたたかいマグカップを持っているだけで心穏やかになるから、
「はー幸せ・・・」
思わずひとりごちると、「ふうん」と背後から声がしたので桃花は顔をしかめた。
彼女が振り返る間もなく、そいつはひょいと手を伸ばして彼女からマグカップを取り上げた。
「あっ、ちょっと」
桃花は抗議しながら振り返ると、そいつは――――少年の姿をした“何か”は、マグカップから彼女の飲みかけのココアをごくごくとすごい勢いで飲んでいた。
そうして彼は最後まで飲み切って、ふうとため息を吐いた。
「うん、これは確かにいいものだな」
口の周りにココアをつけて満足げに笑う彼に、桃花はふるふると震え、
「ふっっっざけんじゃないわよーーーーーーッッッ!!!!」
家中に響き渡る大声を張り上げたのだった。
白石桃花は会社員である。作家志望者でもある。
今日も今日とて休日なので賞へ投稿する小説を書くべく家にこもって作業していた。
集中力が切れてきたと感じたのでひと休みしようと大好きなココアを淹れてご満悦であったのに、ヤツに邪魔されておかんむりである。
ヤツは少年の姿をしているが、見た目に惑わされてはいけない。
「あのね、わたしに憑くのは別にいいけど、わたしの邪魔はしないでって言ったわよね?」
「おまえの本当にやりたい事の邪魔はしていない。ほら、あの執筆活動とかいう」
「休憩時間も邪魔しないで欲しいのっ」
「ふむ・・・」
そいつはふと考え込む顔になって、――――にやりと笑った。
「おまえの『幸せ』とやらがどんなものか、知りたくてな」
「・・・・ッ、」
桃花はとっさに言い返せずに歯噛みした。
そうなのだ。こいつは、桃花に事あるごとに“この世で生きる事の幸せ”とは何かを問うてくる存在なのである。
『この世は生きるに値しない、それが俺たちの考えだ。だから価値なき世界を俺たちは滅ぼす。それが嫌ならおまえが証明してみせろ』
――――この世は生きるに値すると。
初めてこいつと遭遇した時に言われた言葉。その声音まではっきりと思い出せる。
こいつは幽霊のような何か・・・なのだろう。命が失われたいくつもの魂が寄り集まって生まれた、強い意思の集合体。
世界への恨みつらみ、無念、悲しみ、多分そんな感情を抱いた幽霊たちの代表がこいつなのだ。
少年の見た目をしているのは恐らく気分でそうしているだけだろう。
数奇な偶然でたまたまこいつに目をつけられたのが桃花であったというだけ。
(・・・生きるに値するという、証明・・・)
タイムリミットはいつまでか、彼は口にしなかった。もしかしたら彼の機嫌次第で世界は呆気なく終わるのかもしれない。
けれど、それまでの時間、彼に証明してみせるチャンスを与えられたのは桃花だ。
なんで自分がそんな訳の分からない、責任重大な事を。そう思った。
でも、自分に憑いた彼をそばで見ている内に、こうも思ったのだ。――――こいつは生前、どんな人間だったんだろう、どんな人生を生きたのだろう、と。
たまたま出会ったわたしたち。こいつが何が幸福かを問うのなら、きっとわたしは全力で答えなければならないのだ。
世界の為?ちがう。自分の命が惜しいから?それはある。でもそうじゃない。
“こいつを納得させなければわたしはこの世界で胸を張って生きていけないから”だ。
桃花は顔を上げた。
「分かった。じゃあこれからは休憩時間にあんたの分もココア淹れてあげる。一緒に飲もう、テル」
「うむ!そうこなくてはな!」
テルと呼ばれた少年は、にかっと満面の笑顔になったのだった。
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