第1章 ~異郷の地で~

第01話 ~小世界への侵入者~

 目覚めの気分は最悪だった。

 まるで二日酔いでも起こしたように頭痛がジワジワと頭を締め付ける。

 体のあちこちが、悲鳴を上げている。

 無理な体勢で寝た際特有の痛みだ。

 まるで硬いフローリングで寝た時のような…そこまでぼんやりと考えて、違和感を覚える。


ここは、どこだ?


 寝起きでうまく働かない目を無理やりにこじあける。

 目の前には、見たことも無い突き抜けたような蒼い空が広がっていた。


……なんだこれ?


 後を引く睡眠欲求を押さえつけ、疑問が頭の中を支配する。

 慌てて身体を起こして周囲を見回し、僕、刈谷光司は硬直した。


 そこは、古い小さな祠のようだった。

 中心の淡く光を放つ転移の魔法陣(ゲート)を守るように、石の柱が周囲を取り囲んでいる。

 床は自然石から削り出したらしく、継ぎ目ひとつ無い。

 そして柱に刻まれたある文字。

 これらは、僕が良く見知ったものだ。

 だけど、よく知るからこそ、混乱はさらに深まっていく。

 ここは、僕が作った『AE』のマイフィールド、その入り口に当たる転移の魔法陣の祠だ。

 マイフィールドのデフォルトからかなり手を加えているし、柱に刻まれたフィールド名は見間違えようが無い。

 だけどこんな事はありえない。

 『AE』のマイフィールドは、基本的にMMOとしてのデータの集合体でしかない。

 『AE2』のような全感覚投入型VRMMOのように、その中に実際に入り込むことはできないのだ。

 だが今僕は実感として、僕自身が作り上げたマイフィールドの中に居ると感じている。

 何が何だかわからなかった。


「……何がどうなってるんだ?」


 判らないのは他にもある。

 おもむろに自分の身体を見下ろす。

 僕が今着ているのは、普段寝間着にしているジャージなどではなく、紺色の長衣(ローブ)だ。

 確か、『AE2』の初期魔法系称号(クラス)用装備だ。

 チュートリアルで渡されるもので、クローズドβでコンバートした僕のメインキャラ『夜光』も装備していたはずのものだ。

 呆然としてそれ以外の衣服や装備を確認する。

 やはりVRMMORPG『AE2』で僕が操るキャラクターが身に着けていた装備そのものだ。

 何より、僕自身の身体。

 普段よりも、視点が明らかに低い。

 僕の身長は、大学生になってもまだ微妙に背が伸びて190cmに近い。

 なのに、多分『この身体』は150cmに届くかどうかだろう。

 手短に鏡のような物が無いのではっきりとはいえないが、多分顔立ちは少年めいているだろうと思う。

 それどころか、先に思わずあげた声も生身の聴きなれたものと違い、高く澄んだボーイソプラノ。

 僕はどうやら、VRMMORPG『AE2』のメインプレイキャラクター『夜光』の中に入り込んでしまったようだ。


 夢でも見ているのだろうか?

 だが夢にしては鮮明に過ぎるし、寝ぼけているうちに『AE2』にログインしたわけでもないらしい。

 VRMMORPG『AE2』は、全感覚投入型と銘打たれてはいる。

 けれど実際に普段身体を動かす感覚と比べると、ゲーム中の感覚はやはり薄絹一枚隔てたような印象がある。

 だけど、今僕が感じているのは生身の感覚だ。

 何より、僕は呼吸していた。

 『AE2』では感覚自体あるが、クローズドβではまだキャラのアバターが、実際の呼吸に合わせて呼吸の動作をするほどの作りこみはなされていない。

 ここが『AE2』では無いのは明らかだった。


 だからこそ、僕は混乱する。

 ここは『AE』でも、『AE2』でも、ましてや現実ではありえない。

 なら、ここはどこなのだろう?


 かすかに残る記憶は、『AE』の最終サービス日のものだ。

 最後の冒険を終え、マイフィールドの設定をし、満足して寝ようとした…だけど、そこまでだ。

 ベッドには向かおうとした記憶はあるけど、実際にベッドにはたどり着いていない、様な気がする。


 立ち上がり、祠の外に出る。

 ここは、海に大きく突き出した岬の先端だ。

 左右は切り立った崖で、海からは20mほどの高さにある。

 僕が作り上げたマイフィールドの出入り口と同じならば、ここはフィールド全体でも北東の端に当たる場所だ。

 祠から内陸に向かってなだらかな丘陵地になっていて、整備された道が遥か遠くまで伸びている。

 この先には人間種モンスターが暮らすための町を設定しているが、ここからでは遠すぎて見えない。

 遠く霞む山々の形状も含め、すべてがモニターの中でなら見慣れすぎている光景が続く。

 やはり、ここは僕のマイフィールドなのだろう。

 ふと僕は不安になった。


 ここが本当に僕の作ったマイフィールドその物なら、ここに住むのは無数のモンスターだ。

 それも『AE』における最上級の伝説級(レジェンド)モンスターさえいる魔境だ。

 彼らが『AE』の設定の通り、契約したキャラクターと友好的ならいいが、その保証はどこにも無い。

 ましてや、この身体は『AE2』へコンバートし、初期位階(ランク)にまで戻ったキャラのモノである可能性が高い。

 まったく別のキャラクターと認識されて、襲い掛かられても不思議ではないのだ。

 そもそも、この身体はゲームのキャラを基にしているようだが、称号やスキルは使用可能なのだろうか?

 そこまで疑問を重ねて、思わず僕はステータス画面を呼び出そうと音声コマンドを唱え、


「ウィンドウオープン ……って、何だこれ!?」


 『AE2』での視界内に現れる情報ウィンドウではなく、『意識』の中に浮かんだそれに驚く。

 すでに経験した『AE2』では、プレイヤーは今のように音声コマンドで各種機能を呼び出せた。

 だが、ウィンドウはプレイヤーの視界に収まるよう空中に現れるのであり、このような『意識』に投影されるような現象では決して無い。

 ましてや、見たことも無いコマンドまである。


「……と、とりあえず、僕自身のステータスを見よう」


 始めて見るコマンドに不安を覚えつつ、僕は自分のステータス表示を見る。




【名称】夜光

【種族】人間 ※/英雄/超人/半神

【位階】下級(レッサー):17

【称号】<魔術師(メイジ)>



 どうやら、記憶に残る『AE2』のクローズドβでのステータスと変化していないようだ。

 ステータスのうち、種族は人間の最上級種まで取得済み。

 これは『AE』からのコンバート特典で、コンバートするキャラの上位種を潜在的な形で継承させるものだ。

 位階が下級や中級(ノーマル)の内は上級種族への変更は出来ないが、潜在的に取得していると上位種族の能力値補正は一部効果がある。

 それ以外のステータスも取得称号が各系統下級まで戻されているが、これもコンバートの結果だ。

 位階が下級なので、効果を発揮できるアクティブ状態の称号の数が一つだけなのも記憶と一致する。

 ちなみに、位階 下級:17といえば、ゴブリン等の人間型モンスターの下の中程度の力しかない。

 チュートリアルと初期冒険イベントの後、幾つかのイベントを起こせばすぐに到達する領域だ。

 この位階では、この転移の魔法陣周辺のモンスターが敵対的に襲い掛かってきた場合、手も足も出ず殺されてしまうだろう。

 何しろ、この付近で良く見る|大角鹿(ホーンドスタッグ)でさえ、平均で下級:40程度の強さを持つのだ。


 『僕』のステータスは、『AE2』コンバート後『夜光』のデータとほぼ同じ…しかし、違いもあった。


「……!? <万魔の主(マスター・オブ・パンデモニウム)>が残ってる?」


 僕の意識内に浮かぶステータス表示には、現在のアクティブ状態以外の取得称号が、待機状態で示されている。

 その中に、『AE2』ではまだ存在しないはずの懐け屋(テイマー)系称号の最高峰、<万魔の主>の表示が確かに存在していた。

 それも、位階 下級ではけっして取得できるはずの無い、伝説級の能力補正や称号特典を保ったままで、だ。

 これはどういうことだろう?

 試しに称号のアクティブを<万魔の主>に変えてみると、目の前に忽然と分厚い辞書のような本が現れた。

 これは、<万魔の主>の象徴でもある取得モンスターリスト、<魔物(モンスター)図鑑(エンサイクロペディア)>だ。

 開いてみると、『AE』で契約したモンスター達の姿や能力、現在位置や状態などが細かく載せられている。

 その中には、記憶に新しい|炎の巨人(ムスッペル)の王スルトや、|高慢(プライド)を司る魔王ルーフェルトを含む、七つの大罪の魔王達も含まれている。

 その全てが、未だ『夜光』と契約を結んでいると示されていた。


「これは、アレかなぁ? コンバート先の『AE2』のテイマー称号が実装されて無いから、テイマー称号が内部データ化していたって事…?」


 そして、この不思議な状況の中、内部データ化していた<万魔の主>が顕在化したという事だろうか?

そう考えれば、つじつまが合うような気もするが、いかんせん判断材料が少なすぎる。


 ともあれ、少なくとも今の状況はすぐさま危険が伴うわけでは無いらしい。

 魔物図鑑を見ると、この近辺には今のところモンスターはいない。

 一番近くて数キロ先に大角鹿の群れが居る程度だ。

 だとすると、どうするべきだろう?


 僕は目の前に広がるモンスターランドを眺める。

 このまま進んで、この世界で僕自身に何が起こっているのか探るのか。


 振り返って転移の魔法陣の祠を見やる。

 おそらく、『外』に繋がっているであろう、この魔法陣をくぐるのか。


 どちらがより安全か、どちらがより今起きてる事態を調べるのに有効か?

 こんな異常な状況、尚且つか細い判断材料しか無い中で、僕はどちらを選ぶ事も出来ず思い悩んでいた。



 だけど状況は待ってはくれなかった。

 不意に、見つめていた転移の魔法陣が光を放つ。


「き、起動してる? 何か来る!?」


 マイフィールドの外からやってくる存在、それが何であれ、僕にとって好ましいモノでは無い気がする。

 この小さな世界(マイフィールド)の中に『生きる』のは、『AE』で僕と出会い契約を交わしたモンスターばかりだ。

 だけど、外となると話は違う。

 少なくとも、僕の知らない何かが、本来僕が許可したり連れ立ってしか入れない筈のこの世界に入り込んでくる。

 それは『未知』という名の恐怖だ。

 とっさに周囲を見渡すが、残念ながらこの岬には隠れられるような場所はどこにもない。

 『夜光』が身に着けているスキルや魔法も、隠れたり認識を阻害するようなものは、『AE2』にコンバート後の現状では存在しない。

 どうしようも出来ず、僕はただ祠から距離を取ることしか出来なかった。


 そして、輝く転移の魔法陣から現れる無数の人影。

 『AE』や『AE2』でも見たことの無い鎧と服を身にまとった兵士の一団。

 警戒した様子で現れた彼らは、僕を見つけると弓や槍などの武器を構える。

 構えた武器も、今まで見たことが無いものばかりだ。

 思わず意識内のウィンドウから、情報コマンドを選び、現れた集団を調べる。



【名称】ガイゼルリッツ皇国偵察兵

【種族】人間

【位階】下級(レッサー):70

【称号】<野伏(レンジャー)>



 なんだ、これ…ガイゼルリッツ皇国? 聞いたこと無いぞ……?

 位階も数も向こうの方が上、それに、偵察兵というのも何か嫌な予感がする。

 それに僕を見たとたんに武器を構えたあたり、このマイフィールドに来た目的が友好的とはとても思えない。

 そこまで考えて、僕は身動きが取れなくなっていた。

 『生身』で初めて味わう、偵察兵たちが放つ殺気に当てられたのだ。

 怖い。動悸が止まらない。恐怖に囚われた手足は硬直して、思うように動かすことができない。

 だが、それはある意味幸運だと思う。

 『偵察兵』達の構えた弓は、僕が何か妙な動きをした途端に僕を射抜くだろう。

 もっと素早く祠から逃げていれば、まだ何か手はあったかもしれないけど、今僕が居るのは祠から50m程離れているかどうか。

 身を隠せる場所が無い以上、逃げられない。

 そもそも、『夜光』は魔法系に特化した能力設定で、素早さや回避能力はあまり高くなかった。

結果……


「隊長、怪しい子供を捕らえました」



 僕は成す術も無く囚われの身となってしまった。

 偵察兵を率いているらしき隊長と呼ばれた男の前で、手足を抑えつけられ、地に這いつくばらされている。


【名称】ガイゼルリッツ皇国偵察小隊長

【種族】人間

【位階】中級(ノーマル):10

【称号】<野伏(レンジャー)><戦士(ファイター)>


 今の僕ではまるで歯が立たないその男は、僕を虫でも見るかのような視線で射抜いていた。

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