第2話 ローブの憂鬱

 私は現在、父の執務室に呼び出されている。


 来客用のソファに上品にふわりと腰かけ、何事もない風で侍女の淹れた紅茶の香りを楽しんでいた。


 厳かに座る父に視線を移すと、左手は顎を撫で、右手は執務机の上に載せられ、その指先がトントントンとせわしなく動いていた。これは父の癖であり、判断に困った時に出る。その側に控える筆頭執事のローブは、感情を押えた声色で淡々と告げた。


「先のエレメント帝国崩壊の件でございます。崩壊後に樹立されましたエレメント新帝国より、何故か我がビスタグス家に多額の戦勝の礼金及び、かの有名な国営ミスリル鉱山の権利5%の譲渡、さらにビスタグス家所領における特産物のみ、エレメント新帝国国内への輸入関税の撤廃、その他多くの特約が盛り込まれた書状が、新皇帝であるグロリアス陛下の署名付きで送られて来ており、後は旦那様の署名一つで、新帝国より双方控えの本契約書の送付及び、全ての特約が完了する次第で、完璧に整えられております」


 ロープは簡潔に報告を終わり、私と父に恭しく一礼した。


 父の用件は判っている。これらを引き起こした先のお遊びについて、知りたいのだろう。わざわざ娘の遊びを仔細に聞きたがるなど、これだから男親は嫌われるのだ。困ったものだ。


 王立魔法学院でも名だたる貴族の子女達は、大概父親を煙たがり、臭く汚らわしいゴミ虫くらいにしか思っていない。酷い物だ。私は慎みがあるので父をそこまでは嫌ってはいない。むしろ、普通に尊敬している。


 さて、思慮深いローブは泰然とする私の様子を伺いながら、しめやかにこう付け加えた。


「僭越ながら、私は全てお嬢様が何らかの形で、裏にて動かれたのではないかと推察しております」


 三十代半ばの若き執事、ローブ。


 我がビスタグス家に仕えて2年、瞬く間に筆頭執事まで登りつめた優秀な男だ。気取られぬ様にしているが、中々胡散臭くて私は気に入っている。


 ここだけの話だが、こやつは我が家にスパイとして潜入している。四大貴族のトップたる我がビスタグス家に次ぐ二番手、ロマニエフ家からだ。ローブはなかなか愉快な奴だ。バレてないと思っているからとても楽しい。


 父はローブの推察を聞いた私の反応を、つぶさに観察している。流石に抜け目がない。その期待を裏切らない為にも、少しローブで遊んであげよう。


「どういう事ですか、ローブ?」


 私がたおやかに問いかけると、しらじらしくも落ち着いた様子でロープは父をちらりと見やる。無論、父は軽く手を振り、まぁ、いいと言う顔で頷いた。


「では、お嬢様。私の知り得る限りでは、先日の大陸各国を驚かせたエレメント帝国の無血革命におきまして、我がトリスティアナ王国の王国騎士団が裏で動いたと言う情報がありました。ご存知でしょうか?」


 私は応える代わりに、軽く首を傾け微笑んであげると、ローブも不敵に微笑みを返して来る。


「私がそれらの情報を精査致しました所、事の発端は王国騎士団団長・紅蓮のリグネット様がご息女でいらっしゃいますエレミア様に懇願されたとの事。リグネット団長は『うおっし、パパのカッコいいとこが見たいのか、そうか、そうか、嬉しいぞ、ぐわははは。帝国なんかプチっと潰してくるからな、パパは強いんだぞ!』と言い、王国騎士団全軍、近衛魔術師団全軍、さらには冒険者ギルドより選抜でS、A、B級冒険者全員、それらを合わせ一般兵を含み総勢50万を超える大軍を指揮し、軍費や兵糧を根こそぎ使いまくりました。それに驚きの抗議を行う王家に対しては、『みんなで軍事演習です」の一言で済ませたらしいのです」


 エレシアの父親はゴリまっちょで愉快だからな、王家もさぞや焦っただろう。


「しかる後に亡命しておりました帝国の元第3王子及びその精鋭達と合流し帝国に侵入、エレメント帝国内の現政権反対派貴族、さらにレジスタンスが同時発起し、恐れをなした帝国内では裏切り者が続出し大混乱、結果現政権の完全降伏により、無血での革命が1日で成就したわけです」


 ふむ、情報としてはそれが表向きだろう。実は王命は出てないが、王国暗部が帝国貴族達の根回しに暗躍していた事は内緒にしておこう。


 私は優雅に紅茶を一口飲みそっとカップを置くと、控えていたローブは静かだが問い詰める様な一瞥を発した。


「さて、リグネット団長のご息女エレシア様はお嬢様のご学友。さらに懇願された当日は一緒に行動されていたと聞き及んでおります。加えて大人しいと評判のエレシア様が父親であるリグネット団長に、『悪い帝国を倒して、パパは強いんだよね?』など大それたお願いをするはずもなく、大変失礼ですが、お嬢様が何らかのご指導をされたのではないかと。そう先程から御主人様と相談していた次第でございます」


 ご指導か、いい表現だ。


 再び恭しく一礼するローブは、その瞳に余裕の自信と確証を持って私を見つめた。


 すると、少し場の空気が緊迫したのを聡く感じた父が、急いで弛緩させるべくその口を開いた。


「あー、ミリス、この様な書状が我が家に来ると言うのは、間違いなくそういう事なのだろう? 違うかね? 別に怒っているわけじゃないのだから、正直に言ってごらん」


 傍らで控えるローブは、その手に持つ書状を何かの証拠の様にして、そっと私に差し出す。相変わらずその瞳は私の気まぐれな罪を見つめている様だ。これはとても面白い。楽しくなって来た。


 私はおもむろに立ち上がり、二人に冷たく一瞥をくれてやった。


「愚かですね。父上もローブも」


「「はっ?」」


 そう言うなり私はロープの手から書状を奪い、優雅にビリビリと真っ二つに破り捨てた。


「「ああっ!」」


 2人はなんとも間抜けな表情で情けなくも小さな悲鳴で呻いた。そして、いち早くロープが咎める様に反応する。


「お、お嬢様、なんて事を! この書状一つで小国の年間国家予算に匹敵する利益が、毎年我がビスタグス家に入るのですよ!」


 流石の父も唖然とし、あんぐりと口を開けている。


 私は2人をしめやかに見据えて、軽く髪をかきあげた。


「だから、愚かなのです」


 私の意図が全く読めずローブは困惑し、ぎこちなく一礼をした後に懇願した。


「お嬢様、ご説明を頂きたく……」


 私は今更だが父に許可を求める様にチラリと見ると、困った顔で頷いてくれた。

 そこで破いた書状を床にふわりと捨て、それを指差す。


「これは謀略です」


「「えっ!」」


「この書状はしっかりと魔術制約を掛けられておりますが、偽書です。父上がサインをすれば、これはエレメント新帝国には行かず、とある者の手に渡り、術者の解除後、最後に一文加筆され王家に届けられるでしょう」


 途端、王家と言う言葉が場に緊張を走らせた。


 私は何事もない様に普通に告げてやる。


「その一文とは『この資金を発起の軍資金とし、共にトリスティアナ王国を打倒せしめんとする新愛の証しと思われたし』てす。これが王家に届けば、栄誉ある我がビスタグス家は叛意の疑い、いえ、まさにこれは確定的証拠とされ、取り潰しとなるのは明白でしょう」


 父は「馬鹿な!」と小さく呻き声をあげ、すぐに我に返ると当主らしい威厳に満ちた態度を取り繕い私を詰問した。


「誰が一体、その様な謀り事を仕組むのだ、ミリス」


「お判りになりませんか、父上」


「我が家に仇なす愚か者など、ここ百数十年はいない、それはどこの愚か者だ?」


「ではお教え致しましょう、ロマニエフ家です」


 父は目を見開き、にわかには信じられないと戸惑う。ついでローブは何を馬鹿な事をと呆れれ、父が無駄に信憑性を吟味する前に急いで、火消しをしようと、あざとく先走って発言した。


「お嬢様、僭越ながら、何か勘違いをされているのではございませんか? この書状は本物でございますし、ロマニエフ家が我が家と事を構えるなど断じてございません!」


「うん? 何故お前がそう言い切れるのだ? おかしくないか?」


 私が緩やかにすばりと言うと、スパイであるロープは慌てて、「はっ、いえ、推測でございます」と押し黙った。素直で良い。


「ローブ、それに父上、この書状は今回のエレメント帝国滅亡の主犯を我が家に擦りつけ、その行動の裏には王国に対し反旗を翻す思惑ありと陥れるもの。これは完全に筆頭二番手であるロマニエフ家が我が家を凋落せしめんとする謀略で間違いないでしょう」


 想定外の私の難癖である進言を受け、父は真剣な顔つきでその可能性を思案し始めた。それを見るやローブはぎょっとし、顔色を変えすぐに私に切り返して来た。


「お嬢様、さすがにそれは邪推であり、強引過ぎる推察かと思われます。私の情報網では、お嬢様の関与が状況的に確実であり、ロマニエフ家がわざわざこの様なリスクを犯し仕組むメリットなどございません。おかしな話でございます」


 極めて冷静なローブだ。決して思慮が浅い男ではない、むしろ深い方だ。この暴論に対し的確に述べるのを聞くのは心地よい、ご褒美をあげよう。


「なる程、貴様の言う事も一理ある。私も確証のない物言いみたいだ。安心しろ、良い考えがある」


「い、いかなお考えが?」


「マリア、白紙の書簡を。父上、机を借ります」


 すぐに私付きのメイド長マリアが急いで書簡を携えてやって来た。


 幼少より私の側付きである。黒髪の美麗な長髪に整った容姿。チャームポイントはタレ目だ。若々しいのは種族柄だ。正確な年齢は、まあどうでもいい。


 私は白紙の書簡を受け取ると執務机でサラサラと内容を書き記し、床に捨て置いた書状を拾うと、書き上げた書簡と合わせた。


「マリア、これをグロリアス新皇帝宛に確実な早便の魔導書簡で」


「かしこまりました、お嬢様」


 ここでロマニエフ家の謀略を吟味していた父も、流石に驚き私に問いただす。


「ミリス、グロリアス新皇帝への書簡など、あまりに穏やかではない。その中身は何を書いたのだ?」


「大した事ではありません。これはロマニエフ家の謀略なのか本物なのか、私には判断がつかない、と素直にしたためたまで」


 それを聞いたロープは、もうこの世の終わりみたいに驚き、急いで口を挟んで来た。


「お嬢様、おやめ下さい! 新皇帝に対し非礼となります! しかもご想像の範囲であるロマニエフ家の名を出すなど、新帝国側でも如何な誤解が生じるかわからず、国家間の問題に発展しかねません!」


 言うなり焦ったローブはマリアに向き直り、その手を伸ばした。


「マリア、その書簡をお渡しなさい。世に出しては大変な事になります」


 内心は動揺をしているが、沈着冷静なローブらしい声で命令し近づいた。


 ドン!


 一瞬、空気が爆発した様な衝撃が走り、天井のシャンデリアが激しく揺れ、窓ガラスはビリビリと振動し、室内全体を大きく震わせる凄まじい爆風がこの場を駆け抜けた。


 刹那の瞬間、マリアが手を伸ばしたローブの眼前に寸止めの蹴りを放ったのだ。


「ローブ様、御控え下さい」


 冷静かつ冷淡な響きを持って発せられるマリアの声と、冷酷に蹴り上げられた足刀に慄き、ローブの顔色は一気に蒼くなる。


「マ、マリア、どういう事だ!」


 マリアはゆっくりとその足を戻し、毅然とした視線でローブを威嚇する。


「これはお嬢様が私に『送れ』と命じたもの。如何に筆頭執事とは言え、その命を覆す事は許されません。私はお嬢様にお仕えしているのであって、貴方様の命は届かぬ存在とご理解下さい」


 断固たる態度で言い放ち、それから軽く私の方を見て微笑むマリア。


 もうローブは黙る以外ない。


「ローブ、私はビスタグス家の娘としてあらゆる可能性を考え、家を守らねばならない。執事のお前も同様だ。なのにその態度はロマニエフ家が関わっていない事をまるで確信しているみたいだが、それは可能性を排し、視野が狭く迂闊過ぎるぞ」


 こう言う言い方をすれば、ロマニエフ家の無実を知っていようと、筆頭執事たるローブの立場上、何も言えなくなる。さて幕引きとするか。


「冷静に考えろ。国家間の問題になどなるわけがない、どこの国も貴族同士の問題を抱えている。新帝国側もすぐに察するだろう。仮にこの書状が本物なら、当然我が家に厳しい抗議が来るだけだ。その時は我が家名に賭けて心より謝罪すればいい。何も問題はあるまい?」


 完全に手詰まりを潔く悟ったローブは、もう発言をしない意味を込め、私に恭しく一礼した。


「ぎ、御意……」


 そこで成り行きを見守っていた父が再び口を開いた。


「ミリス、書簡の事はまあいい。どうにでもなる話だ。だが、これは確認だ、本当にお前は今回の件に関わっていないのだな?」


 流石は父だ、勘所を押えたタイミングで最重要ポイントを聞いて来る。

 娘としては誇らしい気分だ。よし、素直になってあげよう。


「いえ、関わっておりますよ」


「へっ?」


「ローブの推測通り私がエレミアに少しだけ進言しております。ですが、それとこの書状が確実に本物であるのかという疑惑はまた別の問題です、おわかりですか?」


「むぅうう……」


 複雑な表情で考え込む父と、もう打つ手がない駄目だと泣きそうな顔のローブ。


 私は遊ぶのに満足したので、ゆるりと父に断りを入れ、マリアを伴うと退出をして自室に戻った。





 ―――トリスティアナ王国、王家による全王国民への緊急発布戒厳令―――


 全王国民に告げる。現在、我が国四大貴族が第2席ロマニエフ家の所領に、隣国エレメント新帝国による侵略戦争が勃発。これにより広大な所領は陥落、ロマニエフ家は消滅した。哀悼の意を捧げよ。戦火の拡大を防ぐ為、王国は断固たる決意でエレメント新帝国と対峙する。一般市民からの増員兵の動員については後日告げるものなり。


 ―――トリスティアナ王国 街角情報誌バール・ルブー「噂の真実言っちゃいますよ」より―――


 我が編集部の敏腕記者かつA級冒険者のエレメラ・ゲンズブール女史によるエレメント新帝国新皇帝グロリアス陛下への突撃独占取材に成功! 


 陛下は侵略の意図について取材をされると開口一番、「ロマニエフ家め! 恥かかすんじゃねぇぞ、ってんだ。だからやってやんよ、って俺達は来たんだぜ! なぁ、兄弟!」と言われ、引き連れていた新帝国大騎士団総隊長、シン剣帝ザック殿が「おうよ、アニキ、俺らをなめんじゃねぇぜ、はっは!」と豪語した。


 この侵略戦争は、そんな我々には伺い知れない謎の怨恨が理由で始められた様だと、取材にあたった女史は結論付けるに至った。


 幸いな事に新帝国は今回の戦争で両国に一切の死傷者を出さず平和裏に侵略、ロマニエフ家の人間も現在軟禁状態である事実が確認出来た。無血である為、農作物への影響もなく、高値の噂を信じ先物買いをされた商人はこの事実に顔を青くするだろう。又も我々バール・ルブー取材班は、噂の真実言っちゃいました、ふふふふ。







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