第10話 墓荒らし③
授業か、部活か、特別な理由がない限り出入りを禁止されている、理科室。
普段使わないから気づかないが、この部屋には有毒な薬品や物騒な器具がそれなりにそろっている。今は教師の目もなく、これらの危険物を好きにできる絶好の機会なのかもしれない。
そう考えると胸が高鳴った。
ちょっとしたスリルって最高だ。
窓からは午後二時の陽気が差し込み、薄暗い教室をほのかに照らしている。
電気はあえてつけなかった。その方が、雰囲気が出るから。
ひそやかな静けさ、揺らめくほこりの匂い、黒い机の冷たい感触。理科室だなあって感じがする。
ここなら、もしかしたら思いつくかもと期待したのだが、
「う~~~~~~~~……………………ん」
姫は天井を見上げてうなった。
全然、なんにも、降ってこない。
そんな彼女に、対面に座っていたもう一人の少女が問いかけた。
「決まんなそう?」
「うん」
「そっか~~」
少女はしょんぼりと肩を落とすが、しかし次の瞬間にはパッと表情を輝かせる。
「ダイジョーブ! きっとすぐに思いつくよ! だから焦んないで、ゆっくり考えてねっ!」
ぐっと拳を握りしめて、「すっごく期待してるから!」とつけ加えて。
それを受けて姫は、ニヤニヤと笑った。
「うわー、プレッシャーかけられたー」
「ああっ、ごめんね! そんなつもりじゃなかったの!」
純粋な少女は、些細な冗談を真に受けて慌てふためく。
その反応が面白くて、姫はまたニヤニヤ笑った。
「あれ? ああ、ごめんね! よく考えたら、それも違うかも」
が、少女はすぐにその謝罪を撤回する。自らの望みを思い出し、瞳に純粋な輝きをたたえた彼女は、改めて言った。
「すっごくすっごく、期待してるよ。一番いいステージにしてほしい。だから、無理のない範囲でたくさん頑張ってね!」
一行で矛盾することを言いながら、真っ直ぐなエールが送られる。
「あ! あとね、できれば原案だけでも今週中に出してほしいな、なんて……!」
言いにくそうにしながら、さらなる無茶を要求してきた。
姫は目を丸くして、フッと吹き出す。
「ホントいい性格してるよね、祭って」
「そうかな?」
「そうだよ」
少女は青山祭といった。
通称、『帰宅部の変人』。
『美術部の変人』、桜木姫と並ぶこの高校の二大有名人である。
それだけ聞くとなんだか危険な人物を連想してしまいそうだが、祭本人は明るく元気ないい子である。
ちょっと明るすぎで、元気すぎで、三日三晩眠らなくてもフルパワーで活動できるくらいエネルギッシュで、周りの人間にも同じ水準の頑張りを要求してくるだけで、いい子である。
彼女が取り組んだ活動の構成員は、例外なく屍と化す。
数々の伝説から畏怖を込めて、『死神』とも呼ばれていた。
誰もが、祭の大きすぎる期待を恐れる。
だが姫にとってそれは、むしろ心地いい。
自信家の性がうずく。一番を望むのならば、それすら超えて見せようと奮い立つ。今だってそうだ。
しかし、
「う~~~~~~~~……………………ん」
意気込みだけで壁を越えられるなら苦労はない。
姫はまたうなった。
いいアイデアが、ちっとも湧いてこない。
姫は先月、祭にミスコンに出ないかと誘われた。今悩んでいるのは、そこに着ていく衣装のことである。
自分の衣装は、自分で作る。
では、どんな衣装にしよう。どんな姿で着飾れば、姫の世界観を衣服という形に落とし込み、表現できるだろう。
そのためのイメージが、ちっとも浮かんでこない。
「今年の学園祭はね、去年の何倍も盛り上げるつもりなんだ! そのための工夫もたくさんしてあって、成功すればみんなすっごく楽しいと思うの! ミスコンはその大トリとして用意しててね、姫ちゃんにはぜひ――――」
行き詰っている姫のことなど気にせず、祭は自身が実行委員長として主催する学園祭とミスコンにかける思いを実に楽しそうに語り、無意識に重圧を上乗せしていく。
そうすると姫もますます期待を飛び越えたくなるのだが、いくら張り切ったところでやっぱり結果は変わらない。
それが何だか不愉快で、楽しくなくて、彼女はちょっとだけ、暗い顔をした。
「……姫ちゃん、悩みごと?」
「え?」
思わぬことを言われて、キョトンとする。
「なんだか怖い顔してたよ?」
祭は自分の眉頭をほぐす動作をして、姫の眉間にしわが寄っていたことを教えてくれる。
しかし当の姫は、首を横に振って否定した。
「違うよ。姫に悩みなんて絶対にありえない。だってこの世界には、楽しいことしかないでしょ? だから姫はいつでも楽しいの。姫は物事のつまんない部分しか見れないような、つまんない人たちとは違うんだから!」
人生で一度も悩んだことがないと豪語する姫。
しかし自分で放ったその言葉は、問題提起として自分に突き刺さった。
この世界には楽しいことしかない? 本当に?
なら、今『心』の中でわだかまっている、スッキリしない感覚は何?
いつもより、楽しくない気がするのはなぜ?
「あれ? 姫もしかして、悩んでる……?」
「やっぱりー!」
悪い予感を的中させた祭は、眉をハの字にして自分のことのように嘆いた。
これは由々しき事態だ、大変だとコロコロと表情を変えながら、しかし最後には堂々と胸を張り、明るい声をかける。
「よかったら話してくれないかな? 私、たっくさん力になりたいの! 衣装のことは、後ででいいから!」
意外な言葉に、姫は目をパチクリさせる。
「衣装、後でいいの? 舐めてる?」
「なめてないよー!」
意地の悪いこと言う姫に声を大にすると、祭は「あのね」と前置きして続ける。
「いいイベントは、一人一人の楽しい心からできてるんだよ」
彼女は手ぶりをうるさくしながら、自身の気持ちを伝えた。
「私は、姫ちゃんにはすっごくいいものを作ってほしいよ? でもそれは二番なの。一番は、姫ちゃんにも楽しんでもらうことだから。別に私は、誰にも彼にも無茶してほしいって思ってるわけじゃないんだよ?」
ちょっとした驚愕を覚えた。
祭は、自身の要求が無茶であることを自覚していたらしい。
「何日も寝ないで体壊して、それでも楽しいっていう不格好さが学校行事の醍醐味だって私は思うのね。なんだか青春って感じがするじゃない。でもその醍醐味を全部味わうのって、実はすごく難しいことだったりする。だからね、『無茶』と『楽しい』を両立させる手助けをするのが、私の役割だって思うんだ」
真っ直ぐ、どこまでも純粋。
だがそれは無知なのではなく、現実的な側面を理解してなお、貫き通す意思なのだ。
声も、言葉も、こっちを見る目も、めちゃくちゃで力強い。
「そんなわけで姫ちゃんの悩み、教えてほしいな」
もう一度お願いされて、姫はこくんとうなずいた。
♥
墓を掘り返された、と思った。
祭はとても聞き上手で、姫自身ですら知らなかった『心』がポロポロとこぼれる。難しいパズルが解けたかのようなその様は、いっそ感動ですらあった。
姫の口から吐き出された悩みは、創作に対する強い思い。
桜木姫にとって創作とは、世界の改造である。
この世界に存在する万物は例外なく面白いモノだが、同時につまらないモノでもある。
コインの裏表のように面白い面とつまらない面が両立していて、姫の二色の瞳にはそのどちらもが見える。
そういう嫌な部分に直面した時ほど、姫は思うのだ。
この世界が、『楽しい』だけだったらなあ、と。
だから姫は、作品に『楽しい』だけを具現化する。つまらない部分を切り捨てて、彼女の感性に刺さった好きな部分だけを強調し、より魅力的に映るように演出する。
削ることこそが、姫のアートの本質だった。
しかし先日、予備校で作った『心』を見て姫は、違和感を覚えた。
ダメだという、漠然とした警鐘。
そして、このままでは受験に失敗することの直感。
どれだけ実力があったとしても、迷いのある完成品ではいけないのだ。キラキラの失敗作の方が、ずっとずっと強い。
自身のアートを根幹から見つめ直さなければならないと考えた時、姫は強烈な拒絶反応を起こした。
――イヤだ!!
自分でも驚いている。
姫は、姫が思っていた以上に自分の作品を強く愛していた。
広大すぎる世界を自分の『好き』でやりたい放題に埋め尽くすのは、すごくすごく楽しかったのだ。
変えたくない、ずっと遊んでいたいという気持ちと、変えなければ通用しないという気持ちが衝突して、ぐるぐるとイタチごっこをくり広げている。
それが、姫の迷い。悩みの正体。
深刻だった。
その迷いはミスコンの衣装作りにまで伝染して、ノイズとしてあり続ける。アイデアが浮かばないのはそのせいだ。
変えるのか、変えないのか。その答えを出さない限り、姫は前に進めない。
帰り道の夜風にあたりながら、姫は道端の石ころを蹴った。
これがきっかけでスランプから抜けられないかな、なんて考えながら。
そういえば、祭に相談して判明した意外な悩みがもう一つ。
『春樹くん、もうホントに卒業できないかもしれないんだって』
なんと姫は、春樹のことを悩みにするくらいに気にしていたらしいのだ。
このモヤモヤは創作に限ったものだとばかり思っていたのに、予想外もいいところである。
まったくもって迷惑な話だ。
ただでさえつまんない人になってしまったというのに、姫の頭までつまんなくしてしまうなんて最悪すぎる。
恐るべき有害生物だ。本当の本当に切ってしまうぞ。
そんなことを愚痴のように語って聞かせると、祭は微笑ましそうにしていた。
『姫ちゃんは優しいね』
優しい……?
その評価に、姫は呆気にとられる。
優しいだなんて、久しぶりに言われた。
最も安易で、使いやすい褒め言葉であるところの、優しい。
そんな社交辞令さえ数えるほどしか言われたことのない姫は、自分のことを相当優しくない人なんだろうなと認識していた。
いきなりそんな風に言われると、混乱してしまう。
たしかに兆候はあった。最近ふと気づいたら、一日三善くらいしているのだ。
姫は優しい人になろうとした覚えなんてないのに。
というか姫は、悪魔みたいな人になりたかったはずだ。真逆になってどうする。
どうして優しくなっているんだろう? それ以前に、どうして春樹を見捨てないんだろう?
ここにきて、自分の定義まで曖昧になってきた。
新しい悩みだ。
「もう! わけわかんない!」
叫んで、振り切るように走った。
狂ったように絵を描いた。破滅するほど服を作った。
今の姫には、姫のつまらない面だけが見えている。
『好き』で塗りつぶす。姫自身を、作品として改造するのだ。
ほとんど休まずに創作し続ける、乱暴で自暴自棄的なやり方だ。しかし彼女は止まらない。
十七年間かけて培ってきたプライドにかけて、ミスコンの衣装を完成させなければならない。でなければ姫は、姫を許せない。
両手の親指と人差し指で四角を作って、風景を切り取っては、描く。
その繰り返し。
田舎の空に燦然と輝く星空を、四角く切り取る。
少し早い雪景色を、四角く切り取る。
なんでもない住宅街を、四角く切り取る。
切り取ったそれを、全部描く。
どんなに平凡な街並みだって、どんなに荒れた草木だって、四角い指で囲ってしまえば、美しい風景画に変貌する。
描いてるうちに、なんだか楽しくなってきた。
服を買ったり作ったりする時、姫が意識するのは環境だ。
その服をどこで着るのか考える。
住宅街か、雑木林か、学校か。時間は昼か、夜か。天気は晴れか、雨は降っているか。人口密度やイベントの有無にも気を遣う。
その日その瞬間の景色を、姫が描いてきた風景画を背景としてイメージし、どの服、どのメイク、どの装飾ならば個性を出しつつ溶け込めるかを考える。
海だったらワンピースかもしれない。夜だったらロングブーツかもしれない。学園祭だったらリボンかもしれない。
環境に合わせた七変化。
姫は鏡の前に立ち、自分自身を四角く切り取る。
世界そのものをキャンバスとして『自分』を描いてるようだった。
それはまるで、
「――作品みたいだ」
閃き。
きっと今、何かに気づきかけた。
あともう一歩な気がする。
切らさないように絵を描いて、服を着続けた。
楽しくなってきて、思考がクリアになってきて、ふわふわした頭で考える。
なんで、絵を描くのが好きなんだっけ?
なんで、服を着るのが好きなんだっけ?
絵を描くのは、昔上手に描けたからで、それから――――。
服を買うのは、昔かわいくなれたからで、それから――――。
二つに共通する、それから、の先。
記憶の水底にある、姫の原点。
自らの『心』を、懸命に掘り返した。
それから――――。
それから――――――――。
「あ」
閃きが、稲妻のように駆け抜けた。
「あ……!」
澄み切った泉のように透明でそれだとわかる答えが、滝のようにあふれる膨大なアイデアとともに現れる。
「あ! あ! あ……!!」
姫は自室の真ん中で、ピョンピョンと跳ねる。
こらえ切れず、大声で叫んだ。
「わかった……っっ!!」
何が好きなのか、何を作りたいのか、どんなミスコン衣装にしたいのか。
すべて、わかった。
気づいてみればそれは、とても簡単なことだった。なんでこんなことがわからなかったんだろうと、呆れてしまうくらい。
大きな壁を打ち破り、桜木姫はこの日から、さらに進化する。
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