第8話 墓荒らし①
桜木姫 十七歳 高校二年生
「ねえ姫ちゃん、ミスコン出てみない?」
突然、そんな誘いを受けた。
「姫が?」
「そう、姫ちゃんが!」
学園祭の時期が近づいてきている。
友達であり、学園祭実行委員でもあるクラスメイトからの勧誘だ。彼女は姫のファッションセンスや美意識を褒め、絶対盛り上がるからさ、と太鼓判を押してくれる。
姫は相変わらず目立つ格好をしていた。
明るいピンクの生地に大きなイチゴの柄が入った、スカートが隠れるくらいゆるいカーディガンを着ている。髪は柑橘っぽいオレンジに染めていて、ダウンのツインテールをまとめるのは輪切りレモンのヘアゴム。
肩にかけている鞄はリンゴの形をしていて、中に入っているペンケースや化粧ポーチも果物型。ボタンやらピアスやら指輪やらの装飾にも、フルーツが散りばめられている。
全身果物まみれがコンセプトの、メルヘンでかわいらしい格好だった。
ただし、どれだけ他をいじっても瞳の色はそのままに。
二色のオッドアイ。
「うん、いいよー」
「やったー!」
あっさり了承する。
そんな感じで、ミスコンに出ることになった。
♥
上機嫌にスキップしながら、階段を上る。
大きなカーディガンがはためくと、普段使われない通路にほこりが舞った。
蛍光灯もついていないような灰色の道も、色鮮やかな女子高生が通れば映える画になる。
そんな想像をしながら、姫は屋上の扉を開けた。
にらんだ通り、目当ての不良少年が寝転がっていた。
「やっほー、ぼっち君」
たっぷり挑発的な口調で声をかける。
少年はチラと姫を一瞥すると、すぐにそっぽを向いた。話したくないらしい。
随分と腐った雰囲気を醸し出していた。身だしなみは最低限整っているが覇気がなくて、根本的に無気力なのがよく伝わってくる。
「何しに来たの?」
「んー? 別にー」
そっけない問いかけに、姫は曖昧に返した。
迷惑そうなのも無視して隣に腰かけると、屋上からの風景を眺める。
絶景、というほどではないが、いいところだ。新潟の山々が一望できる。
今日の日差しは程よく眩しくなく、雲の少ない青空にはどこまでも吸い込まれそうだった。風に運ばれてくる秋の香りが気持ちいい。
ふと、寝たままの少年が呟いた。
「……どうせ、からかいに来たんでしょ」
「えー、そんなこと言ってないじゃん。自意識過剰だね」
「うるさいな」
雑談をする姫の視線は空を向いたまま。
端にある雲を眺める。星みたいな形をしてるなと思った。
「まあ、からかいに来たんだけどね」
「はあ」
「キャハハッ」
ため息に苛立ちが混じったのを感じて、姫は笑った。
少年の顔を見下ろして、不安を煽るように言う。
「サボってないで授業出なよ。そろそろ卒業できないかもよ?」
「…………」
無言になる彼は、いわゆる不登校というやつだ。
学校にはほとんど来ず、出席日数はすでにギリギリ。あわや留年かというところまで王手がかかっている状態だ。
危機的状況にもかかわらずやっぱり無気力なので、今日は姫が無理やり引っ張って連れてきた。そうでなかったら、今頃ゲームセンターにでもいただろう。
「姫こそどうなの?」
答えたくないらしい少年は、話題を逸らした。
「姫は出席日数足りてるよ。今日サボったくらいじゃなんとも――」
「違うよ、成績の話」
「うわー。そういうこと言うんだ。うわー」
赤点まみれ、補習まみれだった前期期末テストの結果を思い出す。
笑えない惨状であるはずなのに、姫は楽しそうに笑っていた。
「別に、学校って勉強だけが本文じゃないからねー。例えば、人間関係とか?」
「……うっざいな」
「コワー、冗談じゃん」
少年はさらに苛立ちを深めたようだった。
狙い通りの反応すぎて面白い。
そのまま何か言い返してくることに期待したのだが、しかし彼は寝返りを打って、姫に背を向けてしまう。
「えー」
張り合いがなさすぎて、姫は眉を寄せた。
その背中からは、怒りよりも卑屈さや罪悪感がにじみ出ている。思ったよりも大ダメージを与えてしまったらしい。
「ねー、言いすぎたー。許してってばー」
体を揺すってみても、ウンともスンとも言わない。拗ねてしまった。
そんな彼に姫は、「もぅ」と頬を膨らませる。
「なんでそんなに悪いとこばっか見ようとするのかなー。友達いなくたっていいじゃん。姫だって頭悪いけど、毎日楽しいよ? ねー、春樹くんってばー」
少年は、加賀谷春樹といった。
中学校の頃、生徒会長を務めていた彼である。
姫が大胆不敵すぎるアタックを仕掛けたあの日から関係は始まり、彼女の思惑通りその後、付き合うことになった。異色すぎるカップルの誕生は当時一番の話の種になり、様々な憶測や展望が飛び交った。
あっさり破局するという大半の予想を裏切って、なんやかんやと今日まで交際が続いている。
春樹は変わってしまった。
身を引き締め、背筋を伸ばし、凛としていた彼はどこにもいない。
原因は、本当に些細なことである。高校で、彼は孤立してしまったのだ。つまり、友達がいないのである。
「友達ならいるよ」
姫は色違いの瞳をキョトンとさせて、何言ってんだこいつと嘲笑する。
「いないじゃん。幻見ちゃった?」
「いるよ」
「学校の中には?」
「……いたんだよ、前は」
今でこそ春樹は一人ぼっちだが、入学当初からそうだったわけではない。むしろクラスでも中心人物だったようだ。
そんな彼が友達をなくしてしまった経緯は、それこそフィクションを疑うくらい面白い。
「全員頭悪すぎて学校辞めるとか、ありえないだろ……」
呟きの悲痛さが、本人の努力ではどうしようもない理不尽を物語っている。
新潟の辺境にあたるこの辺りの地域の学生は、高校受験を経験しない。高校受験というシステムは存在するのだが、子どもが少なすぎるせいで定員割れが常であり、勉強しなくても進学できてしまうのだ。
そんなわけで、高校の生徒の構成は複数の中学校を合併したようになり、偏差値の高低は相変わらずまばら。賢い子から残念な子までいるのである。
そして、中学の頃から『真面目そうに見えて案外不真面目』だった春樹だ。その友達はいかんせんやんちゃであり言葉を選ばず言えば頭が悪い。そんな彼らが義務教育という縛りから解放されて、学校に留まっているはずがなかった。
入学してすぐの頃に二人辞め、その年の後期には五人辞め、二年の春先にはできちゃった婚でまた一人辞め、夏休みには最後の一人がいなくなった。
二年生の秋。
つるむ相手のいない修学旅行は、まあ地獄だったらしい。
一生もののトラウマだ。
東京の大学に行くために頑張っていた勉強を、放棄してしまうくらいには。
「ザコだね」
「はあ?」
が、そんな感傷も関係なしに、姫は容赦なく煽る。だって、
「姫がいるからいいじゃん」
それで満足できるはずだ。
友達がいない孤独や寂しさなんて、姫という恋人の存在一つであふれるほど埋まる。それで満たせないような心なんて、繊細すぎる。弱すぎる。理解できない。
「……そういう問題じゃないでしょ」
春樹は寂しそうな顔で言う。
「人のことなんて誰も理解しようとしないし、誰がいたからってどうにかなるもんでもないよ。本当に、みんな冷たいよね。ちょっとくらい、気を使ったり助けようっていう心意気があってもいいのに。ああいう人たちこそ、本当の臆病者なのさ」
それは、世間に対する不満のような口ぶりだったが、本当のところは自分の周囲に対する不満のようにも聞こえた。
「ふーん」
姫は興味なさそうに相槌を打った。
やっぱりザコだな、と思う。
五限目終了の鐘が鳴った。
「じゃ、帰るね」
姫は立ち上がり、その場で一回転して身だしなみを確認する。
「どこ行くの?」
「受験勉強だよ。美術の」
「ああ……」
桜木姫。その目と指にとてつもなく優れた資質を秘めた、紛れもない天才。
夏休みから、美大専門の予備校に通っている。
田舎にそんなピンポイントな学校があるわけないので、電車で一時間半、一山越えた先まで通いだ。
彼女はすでに、未来へ向けて一歩踏み出している。
そのたった一歩がきっかけで広い世界へ飛び立ってしまいそうなほどの、大きな可能性を伴って。
――いいな。
ボソッと、くぐもった声がした。
「何か言った?」
「何も」
春樹はゆるゆると首を振る。
その目が、手を伸ばしても届かないような遠くを見つめているようで。
すごく情けないな、と、姫は思った。
彼女は扉の前に立つと、春樹の方に振り返る。
言おうかどうか迷っていたことを、やっぱり言うことにした。
「春樹くんさー、ずっとそれっぽいこと言ってるけど――」
見た相手が心の底から不快になるような、邪悪な笑みで告げる。
「――ただ素直に『助けて』が言えないだけなんて、ダサいと思わない?」
春樹は、核心を突かれたように息を詰める。
意地の悪いことを言われた怒り、本心を見透かされた情けなさ、それをまざまざと指摘された恥ずかしさ。
わなわなと震えて、色んな感情が混ざった複雑な表情をして、
「帰れっ!」
大きな声を上げた。
「キャハハッ! 怒っちゃった♪」
愉快なステップを踏みながら、逃げるように階段を駆け下りる。
しばらくしたところで足を止めて、笑みが消える。
「はーぁ」
つまんないな。
以前はもっと面白かったのに、今の加賀谷春樹は本当に退屈な人間だ。
魅力がどんどん小さくなって、悪魔ですらなくなったようだった。
とても残念なことだけど、
三年も続いたけど、
もう、切り時かもしれない。
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