5 取り調べ(2)

ミステリーは突然に 5

 桂田と入れ替わる形で次に部屋に入ったのは白亜だった。事前の確認もそこそこに、樹は早速本題を切り出す。


 「貴方も村重さんから脅しを?」

 「ああ、受けていたよ。未発表のはずの僕の論文を何処からか手に入れたらしくてね、公表されたくないなら金を出せって。まぁ、僕にとっては大した脅しじゃなかったから適当に躱し続けていたんだけどね」


 柔らかそうな銀髪を揺らしながら、白亜は柔和で人当たりの良さそうな笑みを浮かべる。


 「まあ、あれを流されて困るのは僕じゃなくて君たち魔捜の人間だし。ゆするなら僕じゃなくて警察にしろって以前から何度も彼に伝えてたはずだけど。君も聞いたことがあるだろう、肇」


 貼り付けたように優しげな笑顔を崩さない飄々とした態度。掴みどころのない男、というのが樹が白亜に抱いた第一印象だった。


 「まあな。僕もその内容は知ってるから、ゆする相手が違うだろうって笑いを堪えるので必死だったよ」


 突然話を振られた肇は一瞬戸惑うも、困ったように眉を寄せると小さく笑いながらそう答えた。


 「今更ですが、お二人はどういった知り合いで?」


 樹に問われ、二人はしばしお互いの顔を見つめ合う。先に口を開いたのは肇だった。


 「同級生だよ、高校時代の」


 肇の言葉に合わせて、白亜が口角を上げて小さく頷く。

 

 「神山さんの同級生ということは、沙紋高校……。では、その論文というのは魔術関連ですか」


 顎に手を当て何か考え込んでいた誓が、そう言いながら視線を上げる。


 「お察しの通り。君たちも普段使っているんだろう?妨害装置。あれは僕の中学生の頃の自由研究が元になってる」

 「中学生があれを!?」


 通称妨害装置、短くジャミングと呼ぶ者も居るその装置は、名前の通り魔術の発動を阻害する装置で、主に捕縛した魔術師を護送する際に使用されている。魔力の塊を解いて分散させる作用があるようで、その装置の範囲内で組まれた魔術は発動前に霧散して消えてしまう。言わずもがな、バリバリ第一線で大活躍中の装置である。中学生が考えたものだと聞かされて驚くなと言う方が無理がある。


 「あくまで原型だよ。まあ、その自由研究が危険視されて魔術師じゃないにも関わらずあそこにぶち込まれたわけだけど」


 真摯に驚く樹の態度にほんの少し居心地の悪さをかんじたらしく、白亜は謙遜とも照れ隠しともとれる表情を浮かべながらそう返す。


 「一般の中学生が妨害装置を?それはまた何故?」


 尤もな疑問だ。当たり前だが、魔術師でもないものが日常的に必要とする技術では全くない。そもそも秘匿されているはずの魔術の存在を一般人が認知していて、その働きを妨害しようというのだから、故意で作り上げたというのなら大問題である。


 「単純な話さ。別の目的で作ったものが、たまたまそういう効果を持ってしまった。僕が作ろうとしたのは鉱石ラジオを応用した通話装置だ。どうだい?随分中学生らしいだろう?」


 白亜の答えは、周囲の想像していたような悪意に満ちたものではなかったが、それでも驚くには充分な理由だった。


 「確かに、小学生の頃初めて鉱石ラジオで音を聴いた時にはとても感動しましたから。あれで通話できるとなれば確かに夢がある」


 目を丸くしたまま誓が続ける。その言葉尻には、ほんの少しの高揚感。


 「まあ、結果通話という目的は果たせなかったんだけど、それを持って歩いてると、時々壁や扉が消えることがあった。それはそれで面白くて、僕はその不思議現象の起こったマップと共にその装置を自由研究として提出したんだ」

 「幻惑系の魔術の打ち消し……。それは確かに、私共としては揉み消したい研究ですね」


 魔術師がその存在を秘匿したがる理由には、悪用防止やその技術の独占が挙げられるが、彼ら自身を奴隷や人体実験を目的とした誘拐などの脅威から守るという目的もある。幻惑系の魔術はその特性から人避けの結界代わりしても使われることが多いため、悪魔を使役しない魔捜にとっては自身を守る盾でもあるのだ。それが簡単に突破される装置というのは、相手がいくら中学生だとは言っても無視できない案件であるのは言うまでもない。


 「そ。だから、僕としては発表したいならすればいいし、したとしても消されるのは僕じゃなくて君の方だよと忠告もしたんだ」


 軽やかにそう言い切る白亜に、レガリアが壁に背中を預けたまま不敵な笑みを向ける。


 「けど、その研究をした君に危険が及ばないとは限らない。消しておくに越した事はないだろう?」

 「確かに、殺人を犯す動機としては充分だ。僕の容疑が晴れるほどの話じゃないか」


 そう言いながら白亜は一瞬考え込むように視線を上に向けるが、すぐにまた柔らかい笑顔を作り直してレガリアに笑いかける。


 「僕だってあの高校の出身だ、相手がただの警察官なら逃げ切ることも容易いだろう。けどその場合、ここに君たちが来た時点で詰み。彼らが魔捜に連絡しようとした時点で、もっと必死に止めただろうね」


 白亜の態度からは、自分の疑いを晴らそうと言うような焦りは全く見えない。事実、言い逃れをしているつもりはないのだろう。ただ朗らかに笑いながら、捜査に必要な事実を口にしているだけ。自分は何もやっていないという自信なのか、何もしていない人間を犯人にすることはないという魔捜への信頼なのかは判断しかねるが、現状疑われている身でありながら、白亜は変わらず余裕の表情を浮かべていた。


 「ひとついいかい?」

 「僕に拒否権はないだろう?」

 「結局、君は村重さんには会えたのかい?」


 レガリアが目を細め口角をあげる。薄く開いた唇に浮かぶのは不敵な笑み。


 「いいや、会えなかったよ。何度かノックはしたんだけど、返事がなかったんだ。トイレでも行っているのかと思って自分の席で時間を潰しているうちに、やけに店の中が騒がしくなってゾロゾロと魔捜までやってきたから野次馬をしに来たというわけさ」


 肇の表情は変わらない。嘘は言っていないという事だろう。


 「ところで、貴方もこの店へ来るのは初めてですか?」


 カチャリと眼鏡を鳴らしながら、そう切り出したのは樹。


 「店内に入るのはね。肇に会いに付近に来たことは何度かあるよ、情報屋としては信頼しているからね」


 言いながら白亜がチラリと肇を見る。つられて樹も真偽を問うように肇の方へと視線を移す。


 「ああ、来たよ。売った情報はノーコメントだがな」

 「それでいいです。ついでに、貴方もここの個室の鍵をお持ちで?」

 「いいや、僕が取ったのはオープンスペースだからね。あるのは座席番号の書いてあるこの伝票だけだよ」


 ジャケットの内ポケットに手を入れ、白亜が取り出したのは伝票の挟まれた小さなバインダー。伝票の中央には太字で084と書かれている。0から始まる番号は、オープン席の座席番号だ。


 「確かに、確認いたしました。ご協力ありがとうございます」

 

 吉野に借りていたフロアマップと照らし合わせながら、樹は丁寧にお辞儀をしてそう言った。



♢♢♢



 最後に入ってきたのは吉野である。


 「脅されていた内容についてお聞かせ願えますか?」


 樹が単刀直入に切り出す。


 「他言無用でお願いしますよ。バレたら困るのは僕だけじゃないんで」

 「警察にその権利はありません、安心してください」


 もじもじとなかなか話を進めない吉野を見かねて、肇が口を開く。


 「ルリ」

 「!?」


 静かにそう言った肇の言葉に、吉野が目を見開き顔を引き攣らせる。


 「わかるだろ?僕は全部知ってる。お前が言わないなら僕が全部話す。それが嫌なら勿体ぶってないで続きを話せ」


 肇の言い方は言葉そのものから受ける印象ほど刺々しくない。むしろ、優しく諭すようですらある。話さなければ疑われ続けるぞ、と。


 「……ルリ、TWINEYトゥウィニー加賀美かがみルリは僕の友人です」


 瞬間、その場に流れるのは静寂。TWINEYといえばそれぞれに強烈な個性を持つ女性3人からなるアイドルユニットで、加賀美ルリはその中でも、正統派のルックスと圧倒的な歌唱力でセンターを務めている。彼女単体でのメディアへの出演も増え、これからの活躍が期待される新進気鋭のアイドルだ。周囲が驚きに支配される中、沈黙を破ったのは安堵したように姿勢を崩す肇の、フラットシートを軋ませる音だった。


 「ルリとは幼馴染で、似たタイミングで上京を決めたので、僕から誘って一緒に住んでいました。彼女のアイドルデビューが決まってからは、彼女を応援したい気持ちが大きかったので、細心の注意は払って来たつもりです。だから、村重さんが僕らの写真を突きつけて来た時は素直に驚きました」

 「あのおっさん、やり方がこすいだけで情報屋としてはそれなりに優秀だったんだよな」


 呟くような声でそう言いながら、肇は遠くを見つめる。金にがめつい商売敵、他人を脅すようなやり方には反感もあったものの、その腕には一定の信頼を置く同業者だった。他人に関心がない風を装っている肇にも、流石に顔見知りが殺されるという事件は精神的にダメージを与えるのだろう。


 「ただの友達だと、交際の事実はないと否定はしましたが、公表されたくないなら金を払えと……。一緒に住んでいるのは事実ですし、写真が出た後でこちらがいくら否定しても意味はありませんから……」


 その場にいた全員が「うわぁ」という顔をする。加賀美ルリのアイドルとしての知名度はまだあまり高くない。アイドルや芸能に詳しい者の間では度々話題になるポテンシャルを秘めた人物ではあるが、メディアへの露出も増えてきているとはいえ別段多いわけではなく、一般的にはまだ“沢山いる地下アイドルのうちの一人”程度の認識だ。そんなルリの熱愛報道である。週刊誌に売りつけるよりも、載せられたら困る当人達にちらつかせる方が金になると考えたのだろう。ある意味で商売上手なのかもしれないが、やられた方はたまったものじゃない。


 「けど、現役アイドルの熱愛報道だとすれば、脅すなら一般人の君よりも彼女の方では?なんでまた?」


 口を挟んだのは樹だった。問われた吉野が言いづらそうに口元をもごもごとさせる。


 「多分、僕の実家が裕福なことがバレてたんだと思います……。彼女はアイドルとしてはまだ駆け出しの部類だし、施設育ちだから実家にかけあったとしても大した金は用意できないと思われたんだと……」


 目を伏せたまま、飲み込むようにそう言う吉野に、樹は容赦なく畳み掛ける。


 「実家が裕福な君がなぜこんなところでバイトを?」

 「今はそんな事はどうでもいいでしょう!」

 「彼に近づき殺害するため、という可能性が残っていますので」


 樹の言葉に、吉野はギリリと強く歯軋りをする。殺してやりたいと思ったことが無いと言えば嘘になる。返し切れない負債を抱えて殺すしかないと思い詰めた夜もあった。誰かがやらなければ、自分が殺していたかもしれないという自覚もある。だからこそ、その殺意を留めるに至った自分の“欲”には誇りを持っていた。


 「それは……。やりたいことがあったんですよ」


 伏せていた視線を上げる。自嘲気味に口元を歪めながらも、その瞳に宿るのは、真っ直ぐで熱のある光。


 「家を継がないなら勘当だと言われて、家出同然で上京してまでやりたかったことなんです」

 「ほう、やりたいこととは?」

 「歌手ですよ。Yoshiで検索してみてください。路上で歌ってる動画が上がってるはずです」


 樹の背後、誓が個室に設置されているパソコンのキーボードを叩く。出てきたのは、ギターを片手に煉瓦造りの駅前で歌を歌っている男の動画だった。目深にかぶった帽子で顔はよく見えないものの、背格好と、何より高音がよく伸びる少々ハスキーで色気のある声質は、今目の前にいる吉野の声にとても似ていた。


 「なるほど、言っている事は事実のようですね」


 誓の後ろからレガリアと樹が画面を覗き込む。その様子を肇が頬杖をつきながら興味なさそうに見つめる。


 「フォロワーもかなり多いですね。うわ、コメント欄凄……」


 誓がコメント欄を開きスクロールする。「キャー!格好いい!」「結婚してー!」等、熱烈なメッセージがずらりと並んでいる。


 「所謂ガチ恋ってやつですね、凄い熱量ですが……」

 「まぁ、恋愛ソングメインで作ってるんで……、自分で言うのもなんですが、ルックスも悪くない方だと思いますし……」

 「本当に自分で言うのはなんだかな」


 思わずツッコミを入れてしまった肇に対し、吉野がハハハと小さく苦笑いを向ける。


 「けど、だとすると恋愛報道が出て困るのは貴方も同じではないですか?」


 尤もである。熱愛報道が出た時のオタクの凶暴化は男女共通である。ついでに言うと、男性の熱愛報道が出た時の女オタクの怒りの矛先は相手の女性に向かうことが多いので、女性の熱愛報道以上に厄介な事態になりかねないのである。


 「僕はまだこれで生計を立てているわけではないので。事務所所属の彼女と違って、フリーランスの僕は失うものもないですから」


 吉野の返答は樹の心配とは幾分ずれたものだった。彼はまだきっと、自身のミュージシャンとしての価値と、自身についているファンの恐ろしさを理解していないのだろう。


 「で?支払ったんですか?要求されたお金は」


 ともあれ、今ここでその恐ろしさを彼に説くのも違うだろうと、樹は無理やり話を進める。


 「すぐ払えるわけないでしょう!あんな莫大な金額!だから必ず用意するから少し待ってくれって相談したんです」

 「それを断られて逆上して殺害を?」

 「だからやってないですって!」


 吉野の声色にほんの少しの泣き声が滲む。懇願するように声を荒げるその表情は、誰にも信じてもらえない恐怖に歪んでいた。

 樹がチラリと肇の方を見る。頬杖をついたまま我関せずといった態度を崩さない。


 「まあそれはこれから改めて捜査するとして、最後にこの部屋を開けたというマスターキーを確認させていただいて良いですか?」

 「あ、はい、そのくらいなら……」


 ジャラリと音を立て吉野のポケットから鍵束が顔を出す。手の中でそれを広げ、そのうちの一つを樹の方に向ける。


  「これです、一番よく使うのでかなり黒ずんでいるんですが……」


 握られている鍵は、吉野の言う通り持ち手の部分が黒く変色している。形自体は桂田の持っていたものと同じ。しかし、使われる頻度の多さからか、桂田のものよりも劣化が激しいように見える。


 「ご協力ありがとうございます。確認いたしました」


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