4 ティータイム
「内山さーん!」
新宿駅東口、人の流れの多さに圧倒され、そわそわと何度もスマホで時間と集合場所を確認していた僕に、遠くから彼女が声をかけてくる。幼さの残る可愛らしい顔立ちに、ふんわりとカールのかかったピンクブラウンのツインテールがよく似合う彼女。僕は彼女とこんな時間に会えた嬉しさと、普段店で見る服装よりもカジュアルな白いワンピースの眩しさに、思わず頰が熱くなるのを感じながら手を振り返す。
「ごめんなさい、待ちましたか?」
「ううん!全然、時間ピッタリだよ」
ほら、と僕は一際周囲の視線を集めている場所を指差す。その先では、今や新宿駅の名物でもある3Dビジョンで、大きな猫がニャーニャーと可愛らしい声で時報を告げている。
よかったぁ、と彼女が目を細めて笑う。太陽光を反射する大粒ラメのピンク色のアイシャドウに負けないほど、キラキラと光る彼女の笑顔に釘付けになる。
「行きましょうか」
そう言って彼女は僕の手を優しく握る。手に触れる彼女の温度に、心臓がドクリと大きく脈打つ。
わかっている、彼女にとって僕はただの客。僕が金を落とすから、彼女は生活のために僕に優しくしてくれる。それだけの関係だ。それでも、たったそれだけの関係でも構わないと思うほどに、彼女と過ごす時間は僕にとって何にも代え難いほどの幸福なのだ。
「僕の、お気に入りのお店を予約してあるんだ。君も気に入ってくれると良いんだけど」
「本当ですか!内山さんの推しなら私もきっと好きになっちゃいます!」
楽しみだなぁと彼女は鼻歌を奏でる。可愛い、どうしようもなく愛おしい。
愛流、可愛い愛流。君が喜んでくれるなら僕は、これからも君のためにいいお客さんであり続けよう。
彼女に触れる手に力が入る。彼女は一瞬驚いたようにこちらを見るが、すぐにクシャっとした笑顔を僕に向け繋いだ手を握り返してくれる。
「好きだよ、愛流」
そう呟いた僕の声は、彼女の耳に届くことはなく新宿の雑踏の中へと消えていった。
♢♢♢
目が覚めると、周囲が異様に静かだった。まだみんな眠っているのかとも思ったが、それにしては人の気配がない。アンリはベッドの上で一度伸びをすると、寝室の階下、バーとして店を構えているフロアに降りる。途中同居人たちの部屋をノックしてみたが返事はなかった。こんな時間から居ないのは珍しいと思ったのだが、昨晩の件もある。何か情報が入ったなら外に出ていても不思議は無いかと納得する。
バーに入ると、カウンターテーブルの上にはおやつのマカロンと置き手紙。案の定急用で外に出ているらしく、玲司との約束までには戻ると記されている。
アンリはカウンターのマカロンに手を伸ばす。静寂の部屋にサクリと軽いマカロンの咀嚼音が響く。口内に広がる生クリームの甘さを感じながら、カウンター内、壁に取り付けられた棚の中から高級感のある黒い缶を手に取り、流しに置かれたままの銅製のケトルを火にかける。ガラス製のポットに一匙の茶葉とたっぷりの湯を注ぐと、ふんわりと広がるのはアールグレイの香り。それにドライフルーツを浮かべるのが最近のアンリのお気に入りである。
温めたティーカップの中に、カウンター下の物置の端、まるで隠しているかのように置かれているドライフルーツミックスをゴロゴロと放り込む。しばらくティーポットの中で跳ねる茶葉を眺めた後、カップの中に蒸らし終えた紅茶を注ぐ。トトト…と小さく音を立てて注がれる紅茶の中で、水の流れに押されてドライフルーツが踊っている。スプーンでかき回せば、アールグレイの芳醇な柑橘の香りの中からほんのりとドライフルーツの甘い香りが漂ってくる。アンリは「んん〜」と満足そうに笑うと、残りのマカロンの置かれたカウンター席にティーカップを置いて腰掛ける。
壁の時計が指すのは午後三時。アフタヌーンティーにはもってこいの時間である。「そうだ」とカウンターに飾りのように置かれているレトロな風貌のラジオを操作する。ざらついた音のジャズが静かな室内に響く。軽快なピアノと、朗らかな雰囲気のトランペット。気分は洒落た純喫茶である。
ズズズ…と、空気とともに紅茶を口に含む。ほのかな渋みと共に鼻を抜けるのは心地よいベルガモットの香り。追って、ドライフルーツのほのかな甘みがやってくる。ゴクリと音を立てゆっくり飲み込むと、柑橘の香りの中に茶葉の甘く優しい香りが抜けていく。紅茶の後味が残るうちに、続けてマカロンを口に含む。生クリームのみのシンプルなマカロンは紅茶の香りを邪魔しないどころか、口内で混ざり合いお互いの良さを引き立てる。ティーカップの底に残るドライフルーツをティースプーンに乗せ口に運べば、これまた凝縮された果実の甘みが紅茶の香りとともに口いっぱいに広がる。至福である。つい先ほど起きたばかりだと言うのに、その心地よさについつい微睡んでしまう。
普段なら口うるさいレガリアの小言が飛んできそうなものだが、今日は家に一人である。アンリはテーブルに肘を突いてだらしのない姿勢で、ダラダラとアフタヌーンティーを楽しむ。この背徳感がまた気分を高揚させる。いつものレガリアの小言も、この感覚を味わわせるためのものだったと思えば許せてしまう気すらする。
「〜〜♪……」
ラジオから流れる音楽に合わせ上機嫌に歌う。ああ、こんなに自由でのびのびとした昼下がりはいつぶりだろう。空いたカップにあらかじめ小皿によそっておいたドライフルーツを流し込み、2杯目の紅茶を注ぐ。一杯目より少し色の濃くなった紅茶の香りを楽しんでいると、カラランとドアベルが音を立てる。聴き慣れた足音。振り返るまでもなく同居人たちの帰宅である。
「おかえり〜」
上機嫌なまま気の抜けた顔で手を振る。
「おはようアンリ、よく眠れたかい?」
レガリア、次いでファイが入ってくる。と、ファイが何故か開きっぱなしのドアの方を振り返り向こうからチラチラとこちらを伺っている人影に声をかける。
「何やってる、早く入れ」
正直言うと、アンリにはドアが開く以前からファイの後ろでコソコソしている人物の正体はわかっていたのだが、敢えて彼を
「久しぶり〜、肇ちゃん」
カウンタースツールに腰掛けたまま、意地の悪そうな笑顔で手を振っている。
「クソッ……ここにはこいつが居るんだった……」
そんなアンリへの苛立ちを隠しもせず、頭をワシワシと掻きながら肇が扉をくぐる。再びドアベルを鳴らしながら扉が閉まると、それぞれにいつもの定位置に腰をかける。最奥のソファー席にファイ、アンリと対になるカウンターの端の席に肇、そして来客用のお茶を淹れるためレガリアががカウンターの中へ入ろうとアンリの横を通り過ぎ…….ようとした瞬間、アンリの手元にある飲みかけのティーカップが目に入る。
「あっ……!また僕のドライフルーツ勝手に使ったのか!」
「いただいてま〜す」
「それは店で出すマフィンに使うから手を出すなって何度も言ってるだろ?」
「店なんてもう長らくやってないじゃん。どうせ賞味期限切れで捨てることになるなら、あたしの胃に収まった方がドライフルーツも本望だと思うんだな」
悪びれなくそう言いながら、アンリはティースプーンで掬ったドライフルーツを口に運ぶ。あまりに幸せそうな表情にレガリアは何も言えなくなってしまう。
「そいつに口で説明しても無駄だぞ。使わせたくないならちゃんと隠せっていつも言っていただろ」
「隠していたさ、定期的に場所も変えてね」
どうやら、隠すように置かれていたドライフルーツはレガリアによって本当に隠されていたらしい。腕を組み、テーブルの上に足を乗せて横柄な態度で座っているファイに、レガリアは心底困ったといった表情で応える。
「むふふ〜、あたしの嗅覚は誤魔化せないよ〜」
アンリは依然上機嫌である。これ以上何を言っても無駄だと察したらしく、レガリアは溜息を吐き頭を抱えカウンターに入っていくと、ケトルの中にまだ水が残っているのを確認しそのまま火にかける。湯が沸くまでの間、ずらりと茶葉の並んだ棚を眺めながら、レガリアの脳内でブレンドティーの候補が逡巡する。しばしの沈黙の後、視線を棚に向けたままレガリアは肇に問いかける。
「肇ちゃん、ミントは大丈夫?」
「大丈夫」
肇の答えに「よし」と呟き、棚の中から紅茶缶と幾つかのハーブを手に取る。芳醇な香りと渋みのアッサムをメインに、レモングラス、そしてペパーミント。ティースプーンで丁寧にブレンドしたそれの香りを確認する。どうやら理想に近かったらしく小さく頷くと、沸き上がった湯を茶葉の入ったポットに勢いよく注ぎ入れる。
「早速情報の整理を…といきたいところだけど」
ドアベルの鳴る音に「どうやら来たようだね」と一言漏らしレガリアがドアの方に視線を移す。
「すみませんッス、ちゃんと時間聞いてなかったんスけど、そろそろかなあと思ったんで……」
「お前らまた時間伝えず帰したのかよ」
「日没頃って伝えたぞ」
「それは時間とは言わないぞ」
肇とファイの言い合いをアワアワしながら聞いている玲司に、レガリアが「いつもの事だから気にしないで」と柔らかい笑顔で語りかける。
そうこうしているうちに、いい具合に紅茶の抽出が終わったらしく、背の高いグラスにたっぷりの氷と、淹れたての紅茶をゆっくりと注ぐ。その上に薄切りのライムとミントの葉を乗せ、マドラー替わりの細身のストローを刺し完成だ。グラスは三つ。肇と玲司とレガリア本人の分である。
「今日は暑いからね、爽やかにしてみたよ」
ありがと、と言いながら肇がストローで氷を掻き回し、渡された紅茶に口をつける。茶葉のコクと爽やかなハーブの香りが氷の冷たさとともに流れ込む。ごくりと音をたて飲み込めば、舌に残るのはミントの清涼感。
「うん、美味い」
目を細めてそう言う肇の様子に、レガリアは満足した様子で未だドアの前に立っている玲司に声をかける。
「ハーブは好きかい?」
「はいッス!」
「ならよかった」
カウンター越しにグラスを手渡し、着席を促す。レガリアの正面、アンリと肇のちょうど間の席に玲司が腰掛ける。
「僕のミルクティーも」
「あたしのアールグレイも!」
はいはい、と言いながらレガリアは既にポットに用意されていたアールグレイを氷たっぷりのグラスと牛乳の入ったマグカップに注ぎ、それぞれに手渡す。別に予想していたわけではない、二人の注文は聞くまでもなくいつも同じなのである。
「全く、僕の趣味に付き合ってくれるのは肇ちゃんだけだよ」
ストローに口をつけブレンドティーを味わう肇を見ながらクスリと小さく笑うと、「さて」とレガリアは本題を切り出した。
「作戦会議を始めようか」
その一言で全員の視線がレガリアに集まる。ピリッと空気が変わったのを感じたのか、玲司の背筋がピンと伸びる。
「まず人員だけど、全員で例のビルに乗り込むのは有りかい?」
「無しだね、ビルは愛流たんの店からも近い。バレたら逃げ切れるかは微妙だし、ここで全員の顔が割れると次に打てる手が無くなる」
「ならやっぱ誰か足止めが必要か」
そう言いながらレガリアがその場に居るメンバーを見渡す。
ファイは見た目的にアウト、肇は足止めと呼べるほどの戦闘力は期待できない、玲司は依頼人なので選択肢からは除外、となると……
「店に行くのは僕かアンリになるね」
「それなんだけど」
案のあるらしい肇がドアの外を見て口角を上げる。
「ちょうどいいや。棗、お前ちょっと東口の近くうろついてこい」
「新宿駅の?」
状況を飲み込めないアンリがキョトンとした顔で聞き返す。
「今そこにスカウトが居る。店の名前も出してたから間違いない、愛流たんの店だ。ここに来る途中で愛流たんと内山っておっさんが話してるのも聞こえたから、多分同伴だろう。内山は嬢たちの間でも評判のいい客だし、愛流たんは言わずもがなの人気キャバ嬢、シチュエーションは最高だ。今日体験入店すれば十中八九愛流たんと同じ卓に着けると思う」
「といいますと?」
その場にいた全員が肇の言わんとすることを察し苦笑いを浮かべる。当のアンリも嫌な予感に眉をピクリと動かし、不自然に口角を上げて引き攣った笑みで首を傾けている。
「お前、ちょっとキャバ嬢になってこい」
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