悪女の錬金術師ミリアムは、錬金術を使わず金を増やす。

チクチクネズミ

錬金術師ミリアムの日課

 ミリアムの朝は自分の家の壁の落書きを消すことから始まる。


『悪女は火炙り』

『錬金術師の恥さらし』

『強欲の魔女』


 毒々しい青色の塗料で落書きされたその文字はミリアムに向けられたもの。飽きず毎日のように自分の家の壁を台無しにする労力もそうであるが、毎日異なる悪口を書き散らす犯人たちの執念に呆れる。


「毎晩飽きずに錬金術の成果をこんなしょうもないことに使うんだから」


 この落書きの顔料は水だけで消しても夜になれば月の光に反射して浮かび上がる代物だ。錬金術の研究で作り出された顔料を完全に消すための洗剤を作らなければならず、しかもそれを常に作り貯め置かなれけばならないため苦痛だ。

 ミリアムの家は村から外れたところにあるので来訪者など少ないのだが、毎朝自宅を汚される姿を見るなど精神的に堪えない。

 それが犯人たちの狙いであるのを承知として。


 手製の洗剤を入れたバケツにモップを突っ込み、壁になでつけるように擦る。洗剤の泡で落書きの顔料が泡立って分解されていく。この作業を家一周するのに朝から一時間も時間がとられる。

 こんな生活抜け出したいなぁ。でもこの家で仕事する以外私はみ出し者状態だし。錬金術師は錬金術師との横のつながりが大事になる。それは友人関係だったり、論文だったり、研究の成果でもある。しかしミリアムはに注力してしまい半ば村八分状態。この家を守ることでしか、ミリアムの居場所がないのだ。


「見るに堪えないな」


 後ろから重苦しい声が放たれた。

 前髪を二つに分け、切れ長の目を隠すようにかけている眼鏡の長身瘦躯の男性がいた。かつてミリアムと同じ大学に通っていた学友のヴァールだった。卒業から五年経っていたが、見た目はまったく変わっていない。


「ヴァール。あ、これ」


 親友の突然の来訪に後ろにある醜態をまだ消せてなかったのをどう隠せばいいかと、とっさにモップを後ろに回した。もちろん自分より背の高いモップを隠せるわけがなく穂先がミリアムの頭上に飛び出ている。

 ヴァールは一瞬目を伏せて、眉間にしわを寄せるとミリアムが持っていたモップを奪い取ると壁の落書きを消し始めた。


「貸せ、そんな細腕では跡が残るだろ」

「そんなことしなくても」

「構わん。予備の服は持ってきている」


 静止させようとするも、ヴァールは手を止めずコートに泡が跳ね返りながら『悪女』の文字を消し始める。

 それを眺めるミリアムは見られたくないもの見られて、恥ずかしさが込み上げてきた。


 落書きを消す作業を終えたヴァールは、汚れたコートを脱いで、ミリアムが淹れたお茶に口をつけていた。王宮の近衛兵として仕えているためか所作が流れるように美しく、安い陶器のカップまでもが品のあるものに見えた。


「王宮勤めになると所作も洗礼されるのね。学生の頃は作法の授業の後悲鳴を上げていたのに、驚きよ」

「俺としては、錬金術科初の満点主席の学友が落書き犯を捕まえないでいるのが驚きだがな。あの落書きを消す薬品事前に準備していたようだが毎回やられているのだろ」


 切れ長の黒目がすっとミリアムに向けられた。

 落書きのことを話題にあげないようにそらしたのに、見逃すわけもなかったか。


「考えたこともあるけど、女一人に複数人で襲われる可能性があると割に合わないから。それに彼らの言い分も思うところがあるし」

「『かねに魂を売った錬金術師』だろ」

「……もうヴァールの耳にまで入っていたのね」

「錬金術師界隈の話は時折情報を仕入れているからな」


 錬金術は目的である金の錬成という究極の真理に至るために崇高なる精神と社会の役に立つべしという題目を掲げている。

 そのため金儲けや私利私欲ために乱用するべきでない『高潔な精神』の証明として金銭を得るのは錬金術で作った商品を売って得たもののみと暗黙の了解で定めている。それ以外の特に金貸し業などは何もせず金利を得て儲ける堕落した職業であると錬金術師からタブー視されている。ミリアムはそれに手を付けてしまったのだ。


 だって、ちまちま錬金術の商品だけ売るだと生活成り立たないし。

 錬金術師の就職先はたいてい民間で錬金術の成果物を売るのが基本だが、たいてい薄利多売で生活が困窮し、研究も捗らない。錬金術師協会に入れば錬金術の研究に集中できるのだが、年齢が三十以上でなければ試験に挑むことができないため主席であっても門前払いなのだ。


「しかし見たところ、そういう気配がないのが不思議なのだが」

「家中が金箔で覆われて、毛皮の絨毯が敷き詰められているとでも? 生活と研究費用に困らない分くらいしか家に置いてないから、あるのは手形ばかりなの」

「お前の中の金持ちのイメージが貧弱でよかった」


 ふっ、とヴァールが軽く噴き出す。

 こういう嫌味を直接口にするのは相変わらずなんだから。よく王族の前で侮辱罪に抵触せずに勤めてこれたものね。


「それで金貸し業は錬金術よりも楽しいのか」

「正直辞めたい。お金の動きとか知見を得て学びはあったけど、錬金術の仕事に集中したい。ほかの錬金術師からは軽蔑される。でも金がないと生活もままならない」


 錬金術師の大半は錬金術の研究で困窮している。ほかの手段で金銭を得ようにも、売って収益を得るぐらいしか認められてない。ミリアムが人並みの生活するにはこの手しかなかったのだ。

 自分の生活事情を終えると、ヴァールはカップの中のお茶を飲み干し、テーブルに置くと体をミリアムの前に傾けた。


「……そうか。錬金術に興味がなくなっていたのならと思ったが杞憂だったな。うちで錬金術の研究をしないか」

「……協会は私のこと門前払いだと知らないの」

「いや、王宮のほうだ。王族の個人付きなら協会からの追及もなく、生活も保障される。もちろん俺の伝手でな」


 突然降って湧いて出てきた誘い話にミリアムは泡立った。が、すぐそんな都合のいい話が突然転がってくるわけもないことを直感で気づいた。


「王族の方のどなたかが怪しい錬金術師にほだされかけている話?」

「おお、さすが主席。すぐ勘付いてくれて助かる」

「貴族や王族絡みの錬金術師で困ることは、予算と詐欺と言われてますから。それであなたがなんの前触れもなく私のところに来たのも符号がつきます」


 ヴァールが何の見返りもなく助けてくれる人間でないのは知っていたが、心の奥で気落ちした。


 ヴァールが仕えている第二王女フィオーネは多大な浪費家で常に家計がが火の車状態であった。その隙をまるで知っていたかのように王女が主催するパーティーに金の錬成に成功したという錬金術師がフィオーネにすり寄ってきた。


「間違いなく詐欺ですね。錬金術師の目標である金の錬成はまだ完成に至っていません」

「やはりな。協会にも話を聞いてみたが、未だないと言われた。もしやミリアムが完成させて、その嫉妬に狂った輩があることないこと噂を立てているのではと思ったが」

「残念でしたね。噂が真実で」

「俺としては本当にやると思っていたんだがな。で、やってくれるか」

「錬金術研究生活のためなら、喜んで熊の巣穴に飛び込みましょう」

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