迷宮騎士の誓い
@bilbo
序章
第一話 「災厄の中心」 前編
暗闇の中から、狼が飛び出してきた。
首筋にかみつかれた前衛が、悲鳴をあげて倒れた。
もつれ合う一匹と一人。
それに足を取られた中衛の射手が、尻持ちをつく。
「下がるな! 列を保て! 列! 列!」
私は、後列から声を張り上げた。
しかし、前衛の数人が、槍を捨てた。
転がる仲間を助けようと、短剣の
そこに後続の狼どもが、突び込んでくる。
次々と狼にかまれ、
暴発した石弓の矢が、味方に刺さる。
怒号。悲鳴。
私は、列、列、と何度も叫ぶ。
とうとう一人の前衛が、逃げ出そうとした。
そいつの肩をつかみ、止めようとする私。
私ともみ合いになっていた若者の尻を、伍長が短剣で斬り付けた。
「ナめた真似してんじゃねぇ! ぶっ殺すぞテメエら!」
最後尾にいた伍長が、
ひるんだ若者たちは、狼と取っ組み合いを始めた
我々の分隊は、狼を一匹討ち取った。
群れの残りの狼は、逃げていった。
十人いる分隊のうち、一人が死んで、もう一人が駄目そうだ。
残りの連中も、どこかしら傷を負っている。
伍長が、私を殴り飛ばした。
私が取り落とした松明が、石造りの壁に影を躍らせる。
「おっさんよぉ、テメエがしっかり仕切らねぇから、この有様だろうが!」
伍長が、私の胸倉をつかんだ。
彼は、私の後頭部を石畳に叩きつける。
「誰もテメエの言う事聞いてねぇじゃん。見られてんだよオマエ。自覚あんのかよ?」
申し訳ないとか、すまないとか、そういった謝罪を口にしたと思う。
舌打ちした伍長が、私を放り出す。
彼は、傷ついた若者たちに声をかけていった。
「オマエは、おっさんより使えるわ」
「しくじったな。次は上手くやれよ」
私は、のろのろと立ち上がり、虫の息の若者を確かめた。
首筋をかみ破られ、血の池に漬かってるような有り様だ。
もうすぐ死ぬ若者が、うつろな目で私を見ている。
それから、亡くなった二人の服を剥いだ。
革靴も脱がせ、目の粗い麻の袋にしまう。
靴からこぼれた血が、麻袋の中に垂れた。
分隊の若者たちの感情を殺した目が、私を伺っている。
私は、裸の亡き
ふと思って、死んだ若者の髪をひとふさ切り取った。
目ざとくそれを見つけた伍長が、大きな声で私をなじった。
「何してんだよ、おっさん。仲間の髪で小遣い稼ぎか?」
「せめて少しだけでも、持ち帰れないかと思って、どこか地面に埋められれば……」
私は、早口で答えた。
伍長は、鼻で笑った。
分隊の若者たちは、自分の作業をする振りをしている。
私は、生来の馬鹿だ。
人に軽んじられないような物言いが、できない。
人に疎まれないような立ち回りも、できた試しがない。
分隊は、その場を引き揚げた。
石畳の入り組んだ通路を歩くこと、およそ
最後に長い階段を登って、我々は地上に出た。
そこは、基部だけが作られ、その後は放置されている大聖堂だった。
秋の午後の色付いた日差しに、目が眩んだ。
我々と同じような風体の見張り番が二人、登り口に立っていた。
鳥の羽根をあしらった派手な帽子。
胴着の腰は絞られ、袖は肩口から異様に膨らんでいた。
そこに切れ込みを入れ、下の肌着を見せている。
股間を大きく見せる股袋。足の付け根まで届く長靴下。
「また、誰かおっチんじまったのかよ」
だらしなく
しかし、分隊が殺気立つのを見てとった彼は、すぐに道を譲った。
「"老いぼれ"カスパーなんか連れてるから、運が逃げちまうんじゃねえか?」
通り過ぎた我々の背後から、見張り番が、悪態をついた。
聞こえなかった振りをした。
私は、今年で四十歳になる。
たいていの奴は流行り病と戦さで早く死ぬ。
わずかに長生きした者は中隊付きの下士官になる。
私たちが今日しているような、下っ端の見回りには出る事はない。
隣を歩いてた前衛の若者と、目が合った。
彼は、地面に
我々は、閑散とした大聖堂前の広場を横切って歩き出した。
まっすぐな通りはごくまれで、複雑に曲がりくねった
道は舗装されておらず、ぬかるんで、悪臭がひどかった。
奥まった場所、行き止まりなど不規則な場所では、犬や豚が何かを貪っている。
小路に面した両脇は、木造二~三階の建物が密集している。
上階になるにつれて通り側に張り出す建て方なので、通りは薄暗い。
仕事場での物音に、荷馬車が立てる音。
鐘の音や敬けんな歌が聞こえてくるかと思えば、家畜の鳴き声も混じる。
収穫の季節な事もあり、長さを測ったり、重さを量ったり、おしゃべりしたりと、市民たちは、にぎやかだった。
それも、我々が通ると静かになった。
元より歩兵傭兵団は、野盗や追い剥ぎといったならず者同然に見られていた。
しかも今は、文字通り血の匂いを漂わせている。
往来で立ち往生する事もなく、我々は堂々たる市門を出る。
その後、市壁の外を辿るように歩く。
やがて、おざなりな堀に囲まれた天幕や荷馬車の集まりが見えた。
堀に渡された板を渡れば、そこは私が所属している歩兵傭兵団の宿営地だ。
ひどく雑然として、兵士だけではなく、子供、女、男、犬、果ては山羊もいる。
酔っ払いの従軍司祭。
重い荷を背負った行商人。敷物をひいて店を広げる靴職人。屋台を出す移動居酒屋の主人。
鞭の音、車夫の罵る声、壺の割れる音、馬車のきしみ、鶏の鳴き声、いちゃつく男女の笑い声や、笛の音。
そこかしこで博打や酒盛りが行われ、調理がされ、洗濯がされ、歌が歌われ、喧嘩が起こり、愛がささやかれる。
割り当てられた粗末な天幕の前で、分隊は足を止めた。
荷を下ろして、天幕にしまう。
食事番が、支給の飯を
どろっとしたそれを流し込むと、天幕番以外は三々五々に散っていた。
気の合う同士で、屋台に飲みに行く者。
懐に余裕があり、街の居酒屋に行く奴。
伍長は中隊に報告した後、
私は荷物を抱えると、古着屋の天幕を訪ねた。
古着屋の親父に、今日の犠牲者の衣服と靴を入れた麻袋を渡す。
親父は、袋の中をのぞいて顔をしかめた。
「血まみれじゃねぇか。もっときれいに死ねねぇのか」
悪態をつく男を置いて、天幕を出た。
翌日。
私は、一人で街の中心部に向かった。
分隊は、非番の日だった。
我が傭兵団には、約三十の分隊がある。
これが当番を組んで、順繰りに大聖堂の地下に
そして昨日のように、狼やら何やら、よく判らない怪物を狩っている。
我が傭兵団が、この街に駐屯して既に五年。
人間相手の戦争をする事なく、そのような任務を続けている。
事の起こりは、この地方を治めていた公爵が狂った事にある。
彼は、怪しい錬金術、いかがわしい魔術に入れ揚げた。
ついには、街の底の地下で、地獄だか冥府だかの門を開いてしまったんだそうな。
うわさの
だが事実として、公爵は行方不明になった。
そして建築中の大聖堂の地下に、幾多の怪物が潜む謎の迷宮が発見された。
また、その頃を機に、この地方を様々な流行り病と
騎士やら貴族やらの軍勢が迷宮に攻め入ったが、誰一人戻ってこない。
困窮を極めた街の参議会は、遠い地の国王に助けを求めた。
国王は
のみならず、親衛隊として使っている北方の蛮族の一団も遣わした。
街の参議会も、報酬と引き換えに奉仕する傭兵騎士を集めた。
教会も、かつて遠い異国の地で戦った聖騎士の一隊を派遣してきた。
しかし迷宮の探索は遅々として進まない。
我が傭兵団も、追加の募兵を定期的に行っている有り様だ。
傭兵働きをしたい、せざるを得ないという飢えた民草は絶える事がない。
この街の地下迷宮は、そういった人々を飲み込み続けている。
大聖堂前の広場に着くと、
流行り病と
人々がごった返す中、小間物屋、道具屋、古着屋、家具屋といった連中が売り台に品物を並べている。
人々は、目を皿のようにして袋や箱の中をのぞいている。
楽器を手にした辻楽士。
物乞いをする浮浪者。
しゃべる鳥を使った見せ物をしている男もいる。
木を組んだ踊りの舞台が設けられ、前面に引き上げ式の
やがて見せ物が始まると人々は、芸人がとんぼ返りを打つ度に拍手喝采し、
それでも人々は、建築途中で放置された大聖堂には、一定の距離以上は近づかなかった。
にぎわいを見せる広場の中心の空虚に、私は足を踏み入れた。
※歩兵傭兵団の衣装のイメージ画像です。
https://www.google.co.jp/search?q=reenactment+landsknecht+clothing&safe=off&hl=ja&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjavZvB2Y7bAhWBkpQKHSbNDwAQ_AUICigB&biw=1745&bih=818
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