変わる



 

 通勤、通学で賑わう朝の駅。その一角に、同じ制服を来た生徒たちが引率の教師に囲まれるように集まっていた。


 どうやらまだ集合時間には早いらしく、来た生徒たちから出席が取られ、クラスごとの列に並んでいる。


 クラスメイトの列に加わった生徒たちの反応は様々で、嬉しそうに京都の予定を語る者から朝早いことの愚痴ぐちを言う者まで。良くも悪くも修学旅行の朝らしい空気が広がり、生徒たちの期待は大きく膨らんでいた。


 そんな場所にまた一人、荷物を背負った生徒がやってきた。


 その生徒が担任と話してから列に加わると、すでに集合していた生徒たちにわずかな動揺が走る。言葉にするなら、『なんでお前が来たんだ』という無言の圧力だろう。


 気の置けないクラスメイトと京都を楽しむ予定だった者たちからすれば、普段、学校の行事に興味どころか姿すら見せない彼が、ここにやってきたことは大きな誤算だったに違いない。


 そのせいで、敵意とまではいかないものの、それなりに厳しい視線が彼に注がれるが、それを向けられた彼の方はさして気にした様子もなく、むしろ、ニコニコしかながら旅のしおりを読んでいる。


 生徒たちもそんな様子を見せられては、さすがにバカバカしくなり、不服そうにしながらも引き下がっていく。


 静かな攻防の勝敗は彼の不戦勝だった。


 一部ではそんな不毛な争いが繰り広げられながらも、修学旅行は止まらない。


 教師たちが集合時間になったことを確認し合うと、引率の一人である学年主任が前に出た。数点の諸注意の後、移動の指示によって生徒たちは続々とホームに上がっていく。


 そんな中、ただ一人立ち止まる生徒がいた。先ほどの彼である。


 何やら探し物をしているらしく、しきりにポケットの中や荷物の中身を確認しては、うわごとのように「ない……ない……」と繰り返している。


 まさかとは思いつつも、そんな様子を見かねた彼の担任が事情を聞くと、返ってきた言葉はある意味で予想通りだった。


 彼が言うには、

・家の鍵がどこにもない。

・どこかに落としてきたわけでもない。

・鍵をかけた記憶もない。


 要するに、家の鍵をうちに忘れてきてしまったのだろう。


 そして、ここで取れる選択肢は限られる。


 進むか、戻るか。まさに二つに一つだ。


 どちらにせよ、すでに楽しい修学旅行など望むべくもなく、そんな選択肢は彼に残されていない。


 そんなことが担任から遠回しに伝えられると、彼は今までの笑顔が嘘だったかのような表情で弱々しく「そんな……」と呟いた。


 だが、時間すら彼の味方ではない。


 出発までの短い時間の中で、戸惑いながら彼の出した答えは家へと戻ることだった。


 かくして、本人の意志が尊重され、担任に見送られながら、その生徒は家へと帰っていった……



 ……はずだった。




 * * *



 少し重めの荷物を背負い、さっきは立ち往生していた改札をすんなり通る。行き先は京都。俺にとって、二度目となる京都だ。


 いろいろと準備に手間取ったからか、出発までの時間はあまりない。急いでホームに上がり、目的の新幹線に駆け込む。


 おそらく他の生徒も乗っているだろう京都行きに飛び込むと、ちょうど俺の後ろで扉が閉まった。


 ギリギリセーフなことに安堵しつつも、目立つ髪色を隠すために帽子を被る。制服は上着で隠せても、髪色を隠すにはこれが一番手っ取り早い。


 自分の席を探して、片手切符に車内を歩く。たどり着いた指定席には誰も座っていなかった。なかなか好都合だ。


 背負っていた荷物を座席上の棚に上げ、窓側のシートに気兼きがねなく腰を下ろす。クッションのやわらかい感触に身を任せると、全身の力が抜けていくようだった。



 ここまで来てしまえば、もう誰も俺を止められない。



 久々に感じる身体の奥底からの熱と自らへの充足感で気分は高揚している。


 これから向かうのは京都。きっと二度目ではない。どこまでも初めての京都だと思った。






 気がつくと、そこは新幹線の座席ではなく、どこかの別の場所だった。


 子供の声と先生の声が聞こえる。


 そこは教室のようで、自分を含めた小学校高学年ほどの子供たちが授業を受けているようだった。


 そして、俺はそれを見せられている。


 これは夢だ。


 特にやることもなく、フカフカのシートでうつらうつらとしていた俺の見ている夢に違いない。身体の感覚がなく、漠然と見せられているように感じるのもそれで説明がつく。


 とにかく、停止も倍速もできる気配はないので、大人しく成り行きを見守ることにした。


 教室では、少数の子供が授業中にも関わらず、あることないこと喋っている。

 

 そこには幼い頃の自分も含まれていて、始めこそ、先生の目を気にした様子で喋っていた子供たちも、会話が盛り上がるにつれて、会話のボルテージを上げていく。


 あまりに大きくなりすぎた声に先生が気付くと、授業中の私語しごに対して注意がなされた。


 注意も終わり、教室に授業の緊張感が戻った頃、先生はまだ幼い俺の顔をのぞき込んで何てことないように遠くから呟いた。


 『不思議な笑顔だね』、と。


 それを聞いてしまった俺は声すら出せずに笑みを深める。自身の底を見透かされたようでただただ恐ろしかったのだろう。


 笑顔を振り撒いて、愛想を振り撒いて。


 そうして日々をつないでいた俺にとって、先生に返す言葉は笑顔以外になかった。


 やがて、先生の方も興味を失ったのか、何事もなく授業が再開される。


 幼い俺は、根底を揺さぶられるような恐怖にただ怯えることしかできなかった。






 グラグラと揺らされているような感覚に目覚めると、駅で別れたはずの担任が俺の肩を揺らしていた。


 「おーい、起きろー」


 喉が渇いていて、言葉は出ない。被っていたはずの帽子も隣の座席に転がっている。おまけに、睡眠を邪魔された気分は最悪で、身体に触れていることへの非難も含めて、俺は担任をにらみ返した。


 「やっと起きたか。それで、なんでここにお前がいるんだ? 家に帰ったはずじゃなかったのか?」


 どうやら、俺の抗議は伝わらず、起こしたことへの謝罪はないらしい。


 とりあえず、言葉を返すためにも車内販売で買っておいた飲み物に手を伸ばす。


 「おい。そのペットボトルはどうした? まさか、買ったのか?」


 外野が何やらうるさいが、構わずにゴクゴク飲み進める。シュワシュワとした炭酸が、喉の渇きを潤したところで、俺は担任に言葉を返した。


 「そうですけど? 何か問題でもありますか?」


 「自由時間以外の買い食いは禁止、そうしおりにも書いてあったはずだ。買い食いについては口頭こうとうでも説明したはずだが?」


 「?」


 はて、そんなこと言われただろうか? しおりに関して思い返そうとしても、思い浮かんだのは退屈な時間と教室の窓に写った自分だけで、他には何も思い出せなかった。


 あまりにもあんまりな記憶に黙秘を続けていると、見かねた担任が溜め息の後に言葉を続ける。


 「この際、買い食いのことはいい。まあ、小さなことだ。そんなことは俺が見なかったことにすればいい」


 そもそも、今の俺が買い食いをしても全く問題がないのだが、担任はそれをわかっていないようで、不良少年を改心させるように滔々とうとうと語り続ける。


 「ただ、これだけは教えてくれ。なぜ、お前がここにいるんだ? 鍵の件で家に帰ったはずじゃなかったのか?」


 会話というよりはこちらを無視して一方的に投げかけるようなお願いだったが、とりあえず俺は他人を安心させるための笑顔を浮かべる。


 「そうか、話してくれるのか」


 それを見た担任が安心しきったところで、俺は言葉を投げつけた。


 「鍵? 鍵ってなんのことですか?」


 担任の表情が驚愕きょうがくの色に染まっていく。


 鍵を失くした件はもちろん一から十まで嘘だ。


 新幹線に乗り遅れるリスクを背負ってまで『家の鍵を忘れて焦る修学旅行生』を演じたのは、『修学旅行に行けなかったはずのやつが一番自由に修学旅行を楽しむ』という意趣返しをしたかっただけで、最初から存在しない問題に説明なんてあるはずもない。


 故に、俺は担任相手にシラを切ることにした。


 「お前、まさか忘れたのか? 朝の駅で、家の鍵を忘れたから帰ると言ったのはお前だったはずだ!」


 「家の鍵ですか? さっきから全く何のことを言っているのかわからないんですけど……本当に何のことですか?」


 「もういい。話す気がないなら、せめて皆のところに戻れ。きっと皆も待ってるはずだし、それぐらいならお前でもできるはずだ」


 結局のところ、担任はそういうことを言いたかったらしい。だから、返す言葉は決まっていた。


 俺は入念に笑顔を作り上げると、丹念に顔へ張り付ける。


 ここでビビってはいけない。

 ましてや、引き下がってもいけない。

 ここで引き下がれば、計画は全て水の泡。


 手元にあるのは長年培ってきたこの『笑顔』のみ。『笑顔』しかないと言うのなら、『笑顔』でこの局面を乗り切るしかない。


 そして、担任に叩きつけた。


 「皆ですか? あなたの手を煩わせるような俺にその皆とやらが待っているとは思えないんですけど?」


 担任は呆然ぼうぜんとした顔で言葉を受け止める。


 しかし、驚きで埋め尽くされた顔も徐々に虚仮こけにされた怒りへと変わっていく。


 「お前っ!」


 担任の尋常ならざる怒気と大声に車内が騒がしくなる。


 沸点ふってんの振れてしまった担任が俺の手首を掴んで立たせようとすると、少し高くなった目線から本能だけをたかぶらせた担任と目が合った。そして、理解してしまった。


 俺はこの人が嫌いだ。


 どこまでも中途半端でいい教師を演じきれないところも、そこはかとなくトラウマの先生に似てるところも、目に写る全てがこの人の全てでないところも、もはや何もかもが気持ち悪く思えてしまう。


 だが、そんなことを考えているうちに、状況は刻一刻こくいっこくと悪化していく。


 俺を無理やり立たせた担任は、腹いせに体罰を所望しょもうしているようで、その頭上には握り締められた拳が今か今かと待ち構えている。


 吊られた俺が引きつった笑顔でその拳を見ていると、ざわついていた乗客の中から男が一人、いやその連れに見える女も合わせて、二人がこちらへ近づいてきた。


 まっすぐ歩いてきた二人は担任と俺のいるところで止まり、紳士然とした男の方が口を開く。


 「そこのキミ。年下に良いようにされたからといって暴力に訴えるのは感心しないが?」


 「暴力? ハッ! これは暴力なんかじゃありませんよ。ガツンとやって、上下関係を教え込む。これこそが教育ってやつなんですよ」


 担任が狂気をにじませた表情で答えると、紳士風の男は残念なモノを見たように溜め息を漏らし、女の方へ話を振った。


 「私はさして教育に詳しくないのだが、彼の言っていることは本当かね?」


 「いえ、そのような事実はないかと。ただ、一部で信じられている迷信を鵜呑うのみにしているだけのように見受けられますが……いかがなさいますか?」


 紳士然とした男に対し、女の方はいかにも秘書といった格好と立ち回りだ。


 そんな秘書風の女に担任の処遇を聞かれた男はしばらく瞑目めいもくすると、突然カッと目を見開いた。そして、言い放つ。


 「うん。殴ろう」


 周囲から一切の音が消え、騒がしくなっていた車内が凍りつく。


 手首を掴まれている俺もそうだが、高ぶっていた担任までもがその突飛とっぴさに目を見張る中、ただ一人、問いかける者がいた。


 「どういう意味でございましょうか」


 先ほどの女性が鷹揚おうようたずねると、


 「私の方が彼よりも上にあたるからだ。他に理由があるかね?」


 男性がさも当然と言った具合に答える。


 「しかし、それではただの暴力ではないのですか?」


 女性からの問いかけに、男性は流し目で担任を視界に収め、


 「いや、彼が私に教えてくれたじゃないか。これは暴力ではなく教育と呼ぶそうだ。何の問題もない」


 と、詭弁を口にした。


 「左様でございますか」


 そう言って女が男から一歩下がると、男はすみやかに担任の胸ぐらを引き寄せる。


 あまりの迅速さに担任が驚いて俺の手首を離すと、男は片手で掴んだ担任を宙吊りにして通路まで運んだ。

 

 そして、ニヤリと笑ったところで、担任の顔面を殴り飛ばした。


 自然と座り直していた俺は、後方に消えていく担任を見送ることしかできなかった。


 「さて、これで邪魔なモノは片付いた。ケガはないかね、少年」


 なにやらスッキリした様子の男が俺に聞いてくるが、人が宙を舞う光景に意識を奪われていた俺はゆっくりと言葉を返す。


 「……いえ、俺はいいのですが、あなたの方こそ大丈夫なのですか?」


 こんな人の多い場所でぶん殴って良かったのかという意味も込めて男に聞き返すと、


 「私かね? 私は大丈夫さ。いろいろと伝手つてがある」


 男は悪戯っぽく微笑ほほえんで、軽く服装を整えた。そして、秘書風の女に目配せをする。


 「では、これで失礼いたします。最後に一つ、ご自身の髪を確認なさった方が宜しいと存じます」


 礼を言う間もなく二人が立ち去ると、ショックで回らなくなっていた頭がようやく回り始める。


 思考停止していた頭にまず浮かんできたのは、拳一つで派手に飛んでいった担任のこと。


 パンチの勢いを思い出して、慌てて通路まで出ると、そこに担任は倒れておらず、小さく情けない背中だけが後方のドアへと消えていく。


 歩けているところを見るに、大事には至らなかったらしい。


 とりあえず安心して席に戻ると、今度は去り際の言葉が気になり始める。


 女は自分の髪色を確認した方がいいと言っていた。それは身体を気遣きづかう言葉でもなく、再会を望む言葉でもない。それがどうにも気掛かりだった。


 髪色を確認するためにスマホを取り出し、自分をカメラに収める。


 すると、そこに映ったのは、頭の先に『青』を残すのみで、燃えるような『赤』をまとう自分の姿だった。



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