72. チェレンコフ光の妖艶な輝き

 パサッ……。


 悲嘆にくれるオディールの手の上にドライフラワーの飾り物が落ちてきた。それはミラーナに教えてもらいながら編んだ花冠を乾かしたものであり、リュックに括り付けておいたのが外れたのだろう。


 ミラーナ……。


 オディールはそれを拾い上げ、二人で笑いあったあの頃を思い出して、ポロポロとさらにこぼした。


 すると、ボウっとドライフラワーはほのかに黄金の輝きを放ち始める。


 えっ……?


 いぶかしげにドライフラワーを見つめているとどこからか懐かしい甘く優しい匂いが鼻をかすめる。それは忘れもしないミラーナの匂いだった。


 ミ、ミラーナ!?


 オディールは慌てて辺りを見回す。すると、淡く輝きを放つ人影が薄暗がりの洞窟の中をスーッと通り過ぎ、奥の方へ消えていった。


 人は死ぬときに親しかった人の前に現れるという話を聞いたことがある。


 ミ、ミラーナ!!


 オディールは真っ青になって慌てて立ち上がり、足首の激痛に思わず転がった。


「ミ、ミラーナ! ダメ! 行かないで!!」


 オディールは這って必死に人影を追いかける。ひざをすりむき、ひじをしたたかに打ちつけながらもオディールはただ、ミラーナの影を追う。


「置いて行かないでよぉ! ミラーナぁぁ!」


 しかし、どんなに頑張ってもう薄暗がりが続くだけだった。


 ミ、ミラーナぁぁぁぁ!


 オディールは絶叫し、その場に泣き崩れた。


 自分の無力さ、浅はかさに耐えられなくなりオディールはこぶしでガンガンと冷たい岩肌を叩く。


 ぐあぁぁぁ!


 無能な自分が愛するミラーナを死へと追いやっている。その事実が鋭い刃物のようにオディールの心をえぐった。


 くぅ……。


 しばらく動けなくなっていたオディールは、バッと顔を上げ、ギラっと目を光らせると、手近にあった蜘蛛の脚を取った。巨大なカニの足のようなそれをベキベキとはがし、折り、杖へと加工していく。


「まだ間に合う! 女神様は死んだ後の僕を助けたんだから!」


 オディールは決意に満ちた目で杖をついて立ち上がる。もはや猶予はない。命尽き果てるまでベストを尽くし続けると誓い、オディールは歩き始めたのだった。



     ◇



 爆発でぐちゃぐちゃになった洞窟だったが、奥へはなんとか行けそうに見える。


 オディールはねんざの足を引きずり、ボロボロになった身体に鞭を打ちながら、洞窟の奥を目指す。


「よいしょ、よいしょ……」


 もう残された時間はほとんどないのだろう。とっくに限界を超えたオディールだったがただ、ミラーナに対する想いだけが彼女を動かしていた。



      ◇



 蜘蛛の男に言われた通り道なりに進むと、やがて広い空洞に出た。そこはまるで鍾乳洞のようで、下の方には聖水でできた地底湖が広がっていた。


 キラキラと黄金色の光の微粒子を放つ地底湖。その深い水底には細い洞窟があり、その先から鮮やかな碧い光が吹きだしていた。


「うわぁ……、綺麗だ……」


 洞窟の先で思わず見つけた碧く輝く地底湖。だが、空洞の周りは黒い岩肌が続き、とても神殿といえるようなものではなかった。


「も、もしかしてここで行き止まり?」


 オディールは辺りを見回すがどこにも通路らしきものは見えない。蜘蛛男に一杯食わされたのかもしれないと不安で顔が曇る。


 よろよろと杖を突きながら地底湖まで降りてくると、オディールはそっと腫れあがっている足首を聖水へと漬けた。


 はぁぁぁぁ……。


 じんわりと温かいエネルギーが患部を少しずつ癒していく。それは相当に上質な聖水だった。


 オディールはそっと聖水を両手ですくうとジャバジャバと顔を洗う。蜘蛛男の臭い体液で汚れた所がずっと気になっていたのだ。


「あー、さっぱりした……」


 その時だった、パンパンと誰かがオディールの肩を叩く。


 ヒェッ!


 いきなりのことに驚いたオディールは地底湖の方へ跳び上がり、そのまま足を滑らせて沈んでしまう。


 うひゃぁ!


 手足をばたつかせて地底湖でジャバジャバと水しぶきを上げるオディール。


「はははは、あなた何やってんの?」


 金の縁取りのある白い法衣を身にまとった少女は楽しそうに笑う。それはヘーゼル色の瞳に、透き通るような白い肌の人間離れした美しい少女だった。彼女は楽しそうに銀髪を揺らしながらひとしきり笑うと、年季の入った木製の杖をオディールに向け、くるっと回した。


 黄金色の光の筋がいくつか優美な曲線を描きながらオディールの周りを取り囲み、やがてオディールは宙に持ちあげられていく。


「あ、ありがとうございます……」


 びしょぬれのオディールは、空中でバツの悪そうな顔をしながら頭を下げた。


「ここは天然の原子炉。長く入ってると危ないわ」


「へっ!? じゃ、この碧い輝きは……」


「そう、チェレンコフ光よ。今日も元気に核反応してるわ」


 オディールは命を奪いかねないその怪しくも美しい魔の光に、ゾクッと背筋に冷たいものが走るのを感じた。


 少女は岸辺の岩の上にオディールを降ろすと、杖をオディールに向けたまま何かをつぶやく。直後、バシュッ! という衝撃音と共に、びしょぬれになっていたオディールから水分が吹き飛び、あっという間に乾いてしまった。


 その見たこともない見事な魔法の技にオディールは驚嘆し、綺麗になった自分のワンピースをつまんで見た。


「綺麗になってよかったわね。こんなところで何してるの?」


 少女はにこやかに笑いかける。


 見るからに神殿の関係者であろう少女にどう言ったらいいのか逡巡するオディールであったが、緊張して頭が上手く動かず、いい言葉が浮かんでこない。


「あ、あの……。め、女神様に会いに来たんです。神殿はどちらですか?」


 すると、少女はちょっと困ったような顔を見せ、首を振る。


「神殿は……、資格のある人にしか見えないのよ……」


「資格……?」


「帰りなさい。来た道を戻れば自然と元の世界に帰れるわ」


 少女は無情にも歩いて来た洞窟を指す。


 その拒絶にオディールはドクンと心拍数が上がるのを感じた。女神に会えなければミラーナは死んでしまう。ここで引き下がるわけにはいかなかった。


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