45. 頬をなでる誘惑

「そうは言ってもなぁ……」


 妹扱いされている十五歳の少女にとって、一体何をどう言ったらミラーナの心をつかめるのか皆目見当がつかない。


 ふとミラーナに目をやってオディールは固まった。


 へっ!?


 なんと、ローレンスがミラーナの手を握っているではないか。


 ガバッと起き上がり、真っ青な顔でその認めたくない現実を眺めるオディール。


 ミラーナは嫌がる様子もなく、にこやかに談笑している。


「あわわわわ……」


 オディールはレヴィアの腕を掴んだがその手はブルブルと震えていた。


「ふははは。ま、早めに覚悟を決めるんじゃな。カッカッカ!」


 他人ひと事なレヴィアは楽しそうに笑う。


 くぅぅぅ……。


 オディールはギリッと奥歯を鳴らし、フゥフゥと荒い息を漏らすとバッと立ち上がり、大声で叫んだ。


「宴もたけなわではございますが! そろそろ! お時間が来たようです! 明日も早いですから本日はこの辺りでお開きとしましょう。では、ローレンス君、最後に一言お願いします!」


「えー! オディールさん、ちょっと早くないっすかぁ?」


 トニオが不満顔でクレームをつける。


「君のところ、ドアの取付工事が遅れているようなんだけど、これからちょっと相談の時間を取ろうか?」


 オディールは有無を言わせぬ鬼の形相でトニオをにらんだ。


「あ、いや、だ、大丈夫っす。頑張りまっす!」


 かくして、歓迎会は早めにお開きとなって、飲み足りないメンバーは二次会へを繰り出していった。



       ◇



 その日の晩、オディールは寝支度をするミラーナをボーっと眺めていた。ミラーナは心なしか上機嫌で、流れるような髪をとかしている。


 改めてじっくり見ると、ミラーナのプリッとした紅い唇にはドキッとさせる大人の色気が纏い始めていた。なるほど、ローレンスが目をつけるのも仕方ないだろう。


 はぁ……。


 どうしたらいいか分からなくなったオディールは、深くため息をついてうなだれる。


「じゃあ、私は寝るわね。おやすみ」


 オディールに手を振り、自室に入ろうとするミラーナ。


 あっ!


 オディールは自然に身体が動き、慌てて駆け寄った。このままではとても眠れそうにないくらいオディールは追い詰められていたのだ。


 しかし、引き留めてどうするというのだろう。『ローレンスと仲良くしないで欲しい』喉まで出かかった言葉が行き場を失い、ぐるんぐるんと脳内を巡る。そんなことを言う権利などどこにもないのだ。


 オディールはミラーナのパジャマのすそをつかんでうつむいてしまう。


「あら? どうしたの?」


 ミラーナは苦笑しながらオディールの顔をのぞきこむ。


 レヴィアの言う通り、想いは伝えねばならない。


「あ、あのね、ミラーナ……」


 オディールはギュッとこぶしを握ると、ありったけの勇気を振り絞って声にした。


「どうしたの? そんな改まって……」


 ミラーナは小首をかしげる。


 言うぞ、言うぞとオディールは気持ちを盛り上げていく。


「あ、あのさ、実は僕は……」


 オディールはバッと顔を上げ、ミラーナのブラウンの瞳を見つめた。


「なぁに?」


 まるで小さい子をあやすように、優しい笑顔でオディールを見つめているミラーナ。


 その瞬間、オディールは言おうとしていた言葉が全て霧散してしまった。ミラーナの瞳に溢れているのは慈愛であって、恋愛とは程遠い色だったのだ。


 うっ……。


 オディールは凍りつく。


 今、告白なんてしたら気持ち悪がられ、むしろ今までの関係が根底から破綻してしまうに違いない。オディールはそんな予感に言葉を失った。そんなことになったらとても生きていけないのだ。


「どうしたの? ……。一緒に寝たいの?」


 ミラーナは優しい目でオディールを見つめる。


 オディールは静かにうなずいた。


「しょうがないわねぇ……。今日だけよ?」


 ミラーナはオディールの金髪をやさしくなで、手を引っ張る。


 オディールは大きくため息をつき、当面妹ポジションを抜け出せなさそうな現実に打ちのめされていた。


      ◇



 ベッドに飛び込んだオディールはミラーナの優しい匂いがしみ込んだ毛布を抱きしめ、ふんわりと温かな気持ちに染まる。


「狭いのは我慢してよ?」


 月明かりに薄青く照らされたミラーナが毛布を持ち上げながらベッドに入ってきた。


 オディールは半分毛布に潜りながらミラーナを見つめる。美しくカールした長いまつ毛、スッと筋の通った高い鼻。透き通る肌が月明かりを浴びて妖艶に輝いていた。


 いつかはミラーナは自分のことを好きになってくれたりするのだろうか? そうこうしているうちにローレンスに口説かれてしまったらどうしたらいいのだろう?


 くぅ……。


 すぐ隣にいるのにどうしても縮められない距離を感じ、オディールはギュッと目をつぶる。


『一体どうしたら……』


 ふぅと大きく息をつくとオディールは意を決し、切り出した。


「ねぇ……。ミラーナ?」


「なぁに?」


「ロ、ローレンス……、ど、どう思う?」


 オディールはドクドクと高鳴る心臓の音を聞きながら核心を尋ねてみる。


「どうって……? 役に立ってくれそうだと思うけど?」


「そ、そうじゃなくて……。ひ、人として……どうかなって……」


 ミラーナはピンと来たように人差し指を立て、ニヤッと笑う。


「ふふーん、オディ、好きになっちゃった?」


「ち、ち、ち、違うよ! ミラーナが今日楽しそうに話してたから、もしかしてローレンスのこと……気に入ったのかなって」


「ははっ! 私は今はそんな恋愛モードにはならないわ。だって毎日楽しいんだもの」


「あ、そ、そうなんだ……」


 オディールは毛布の中で何度もガッツポーズを繰り返す。


「なぁに? そんなことが気になって一緒に寝たいだなんて言い出したの?」


 ミラーナはオディールのほっぺたをツンツンとつついた。


「え? あ、いや……」


 オディールは真っ赤になって毛布に潜り、ミラーナの腕に抱き着く。


「まだまだ子供なんだからぁ」


 ミラーナはそう言ってやさしくオディールの頭をなでる。


 その拍子にミラーナの柔らかなふくらみがオディールのほほをなで、オディールはドキッとして思わず唾をのんだ。


 甘くやわらかなミラーナの匂いに包まれ、オディールの脳髄にパチパチと衝撃が走る。震える手が知らず知らずのうちにミラーナのふくらみを目指してしまう。


『ダメダメ!』


 すんでのところで正気に戻ったオディールは、改めてミラーナの腕にギュッとしがみついた。


 やはり自分は妹ポジションなのだ。オディールは大きくため息をつく。


 レヴィアは気楽に言うが、この妹扱いからの発展は極めて困難に思える。オディールは想いの置きどころを失い、キュッと口を結んだ。


 やがてスースーというミラーナの寝息が聞こえてくる。


 そもそも自分は何をやりたいのか分からなくなり、オディールは頭を抱えた。


 ミラーナを誰かに取られるのは絶対に嫌だが、では自分はどうなればいいのかがさっぱり分からない。男だったら単純な話だったが、妹扱いされる十五歳の少女では手詰まりにしか思えなかった。


 オディールは窓の向こうの青い月を眺め、深いため息をつくと毛布をバッとかぶった。



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