第9話 パッと咲いて散って灰に 1
「いやー、今年の競技会はたいへんな盛り上がりですな」
準決勝と決勝の間の休憩時間。いそがしくグラウンドを整備するスタッフを横目に見ながら、審査員の一人、初老のシュナウザー系イヌ人が言った。彼は、ディスクドッグ愛好家で知られ、同時に地元出身の政治家でもある。
「昨年度より観客は3倍!SNSやメディアでも取り上げられていますし、市の『ディスクドッグのまち』としての知名度も上昇間違いなしでしょう。グラウンドや施設を整備した甲斐がありましたね。先生のお力添えのおかげです」
市のスポーツ課の担当者も、上機嫌で数字を赤ペンで囲っている。
「いやいや、そりゃあ私もいろいろとやりましたけど、やっぱり『ディアナ人気』が一番でしょう。正直ここまでとは!」
「SNSのフォロワーも何万人いるとか……普段はディスクドッグに興味がない層まで、ディアナ目当てで見に来ているみたいですからね。みんなディアナが優勝するのを見に来てるんですよ」
「こらこら、私は公正な審査員だぞ?ひいきをするようなことはしないが……自治体のスポーツ振興という観点ではやはり、ねえ?」
「ですねえ!」
盛り上がる二人。地方の競技会としてはすでに約束された成功に、盛り上がっているようだ。
「そうでもないかもしれませんよ」
そこに、真面目そうな顔をした一人の審査員が口をはさんだ。
「先生もご覧になっていたかと思いますが……他の参加者も、今年はレベルが高いです。決勝の対戦相手だって……そうですよね、シバさん」
彼の言葉に、他の審査員たちはぎょっとした様子で私のほうを振り返った。こんな形で話をふられるとは思っていなかったので、私は苦笑いしながら会釈する。
「シ、シバさん!てっきり今日はいらっしゃらないものかと……」
市の担当者は私に何度も頭を下げた。
「いえ、事前にお知らせしていなかったのは事実ですし」
私は彼を手で制してから、政治家の男に向き直った。
「先生、お久しぶりです。審査を引き受けていただいたお礼を申し上げようと思っていたのですが、なかなかタイミングがあわず」
「ああ、あなたは教育委員会の……もしかして、競技会に出ているシバ・サクラ選手は」
「娘です。お見苦しい演技をしておりまして」
「やっぱりそうでしたか!いやあ、往年のシバ・タケルを思わせる、大変いい演技じゃないですか、ねえ!優勝だってあるかもしれませんよ。なあ君!」
「え……はい、そうですね!おっしゃる通りで!」
調子のいいことを言う二人を横目に、私は競技会の得点表を見た。サクラは80点以上を出して決勝に進んでいる。かなりの高得点だが、対するディアナの点数は毎回90点台をマークしている。優勝することはないだろう。誰にでもわかる。
真面目そうな審査員が、得点表を眺めている私に声をかけてきた。
「娘さんの演技、素晴らしかったです。でも、あれだけ何度も長距離を走って、大丈夫なんですか」
「……そのあたりは、娘とスロワーに任せています。ご心配ありがとうございます」
私は務めて笑顔で、牙が出ないようにしながら、答えた。穏やかで理性的で、娘の自主性を重んじる、教育委員会の長、シバ・タケアキとして。
だが、本心は違う。サクラは父と同じ道をたどっている。体格の不利を走る距離でカバーするやり方は、いずれサクラにとって良くない結果を招く。本音を言えば、今すぐ辞めさせたい……。
そんなことを考えている間に、審査員側の準備も始まったので、私は政治家に挨拶をして、審査員テントを後にした。
「あ、パパ!」
サクラの声がした。どこかで私を嗅ぎつけたのか、貴重な休憩時間だというのに、小走りに私に向かってくる。
「あたし、決勝まで進んだんだよ。演技見てた?」
「ああ、見てたよ。よくがんばってるね」
サクラはやる気に満ちた表情だった。後ろには、スロワーの人間――増田大輔といったか――も一緒だった。彼には以前、サクラに無理をさせないように釘をさしておいた。
「増田くんもお疲れ様。娘のために投げてくれて、ありがとう」
「あ、はい……」
わかりやすく気まずそうな反応をしている。私が言ったことを気にしているのだろう。
「サクラ、どんな演技にするかはサクラ自身で決めているんだね?」
「もちろん。大丈夫よ、パパが思ってるより、あたしはずっと上手くなったんだから。それに、見た?!2回戦の時、すごい数の人があたしを応援してくれたのよ。今だって、『がんばって』って声かけられちゃった」
「……そうか」
私は、自分の表情が曇るのを、抑えられなかったように思う。『がんばって』。無責任な言葉だ。
私にはわからない。なぜ、そこまでするのか。体力を限界までふり絞り、無理をして、一歩間違えれば故障しかねないスポーツをするのか。父もそうだった。サクラもそうだ。唯一理解可能なのは、「やらされている」という可能性だ。周囲の人々や観客の期待が、そうさせているのではないか。
ここでもそれが起こっている。私も、審査員用のテントに行くまでの道中、聞こえた評判はほとんどがディアナのものだったが、無視できない量、サクラに期待するものがあった。
「あの小さな体で」「一生懸命」「だから頑張ってほしい」。
「サクラ、勘違いしてはいけないよ。その人たちは、別にサクラが『勝つと思って』応援しているわけじゃあない」
「え」
「……いや、とにかく、無理をしないよう、気をつけて。見ているから、無事に帰ってくるんだよ」
私は、思わず踵を返して、サクラの前から消える。今から競技に臨む娘に、かけるべき言葉ではないとわかっていても、思わず口に出してしまった。自分が情けない。
「あの小さな体で」「一生懸命」「だから頑張ってほしい」。聞こえのいい言葉だが、彼ら・彼女らはサクラの『勝利を願う』わけではない。限界に挑み全てをなげうつ姿が見たいだけなのだ。父も、サクラも、お前たちの娯楽のためにいるのではない。
◆
サクラが、父親を見つけたというので、大輔は彼女とともに挨拶に向かった。サクラの父親は、相変わらず表面上はにこやかだったが、やはりサクラがディスクドッグをやることに否定的なようだった。そして、サクラが応援されている、ということを口にしたとき、父親ははじめて、大輔にもわかるほど表情を曇らせた。
「その人たちは、別にサクラが『勝つと思って』応援しているわけじゃあない」
そう言い残して、父親は去っていき、慌ただしく準備を進める人々の中に、大輔とサクラが残った。
「……相変わらず、パパはなんというか……」
これから試合に望む、というときに、父親が娘にかける言葉とは思えない。が、正直なところ、大輔も似たような印象を周囲から受けていた。地方のいち競技会に来ている観客は、もとからディアナ目当てだ。観客たちの中では、もうディアナが勝つことは確定しており、みんなそれが見たくて来ている。たまたま、奇抜な演技で高得点を叩き出したサクラが相手で、その対象的な組み合わせが、サクラの名前を口に上らせているのだろう。
サクラはなんでもないような素振りを見せていたが、しばらく付き合っていれば、尻尾の動きで少し落ち込んでいることがわかる。
「関係ない、サクラ。相手が誰だろうと、誰にどう思われていようと、最善を尽くすだけだろ」
「……うん、そうね。それに、パパはああいう人だから、約束をやぶったことだけは絶対にないの。必ず勝って、ディスクドッグを続けさせてもらうんだから」
サクラの耳が、いつも通りぴんと上を向いた。大輔も、決勝戦に向けて気合を入れる。ディアナがどれだけ強かろうと、どれだけ周囲が彼女の勝利を望んでいようと、やるしかない。
決勝戦が始まる直前。グラウンドに、ディアナとそのスロワーが現れた。試合前の挨拶のため、二人はサクラと大輔の前に立つ。それだけで歓声があがった。
未だ多少の疲労の色が残るサクラと、毛皮に汗ひとつ、土埃ひとつついていないディアナ。小柄で手足の短いサクラと、長身で長い四肢のディアナ。相対して立つと、違いがはっきりとわかる。
「よろしくおねがいします。ほら、ディアナも」
にこやかな赤毛のスロワーが手を差し出し、促すと、ディアナも頷いてサクラに握手を求めた。
「よ、よろしくお願いします」
サクラは、大人と子供ほどの差がある体格のディアナを前にして、少し気圧されたようだったが、彼女の手を強く握り返した。ディアナはその力強さに驚いたようで、少し目を見開き、スロワーに何事か外国語で伝える。スロワーは一瞬躊躇してから、それを翻訳して伝えた。
「『あなたの演技は、シバ・タケルを思い起こさせる。すばらしい演技だった。あなたは素晴らしいプレイヤーだ』……と」
「見てくれているとは思わなかったわ、ありがとう」
「ただ、その……『だから、そこまでリスクを侵さなくてもいい。あなたのような素晴らしいプレイヤーがケガをしたら、私は悲しい』と」
大輔は思わずディアナのほうを見た。ディアナの表情には、嘲りや見下したような様子はなかった。それどころか、申し訳なさそうに眉根を下げてすらいた。
「それって……どういうこと?あたしじゃ勝てないからってこと?!」
「すみません、ディアナもそんなつもりじゃないとは思うんですが……」
牙をむきだすサクラに、スロワーの男は謝りながら、おそらく『だから言ったじゃないか』というようなことをディアナに伝えていた。ディアナはそのまま踵を返し、スタート地点へと向かっていく。男も慌ててそれを追った。
「さっきから、みんな、なんなのよ」
サクラはディアナの背中を見送りながら、珍しく喉を鳴らして唸り声をあげた。ディアナのあの態度では、サクラが怒るのも無理はない。見下されてすらいないのだ。
「サクラ、戻ろう」
大輔はサクラを落ち着かせようと、いっしょにグラウンドの脇に向かう。ほどなくディアナの演技が始まるので、どちらにせよ大輔たちは一旦退かなければならない。
エリと合流した大輔たちは、試合の開始を待った。くじ引きの結果、先攻はディアナたちに決まっていた。決勝はそれまでと違い、交互に演技を行うのを
「おかえりなさい、サクラちゃん。お父さんとは話せた?」
「うん、まあね……」
「そ、そっか。さっきディアナとは何をお話してたの?」
「ん……」
エリは大輔の方を見上げ、大輔は首を振った。エリはそれ以上、サクラになにか聞こうとはしなかった。
風が吹き、公園の桜が花びらを散らした。わずかに暮れていく空と相まって、すがすがしい光景だった。大輔たちの塞いだ気分とは対照的に。
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