第五話 勇者と姫になれない二人

「初めて入ります」


 学校を抜け出した俺たちはバッティングセンターに来ていた。

 平日の昼間なので、俺たち以外に客は誰もいなかった。


「あなたはよく来るんですか?」

「むしゃくしゃしたときに、たまにな」

「打ったら、すっきりしますか?」

「ああ、するぜ、やってみろ」


 彼女はケージの中に入る。一番遅い70キロの球が来るところだ。

 俺はケージの外で彼女のバッティングを見守ることにした。


「うおおおお、死ねぇ、城石ぃ!」


 ボールがくるが、彼女はすかっと空振る。

 どうやらボールをむかつくやつの顔だと思ってスイングしているようだ。まぁ、当たってないが。


「中山ぁ、死ねぇ」


 またもやバットは空を切った。

 しかも二回スイングしただけで息を切らしている。


「ぜぇぜぇ、な、なんで、当たらないんですか」

「ボールを最後までよく見てないからだ」

「見てますよ」

「見てない、スイングするとき、顔が向こうむいてる、ボールを嫌な奴だと思って振るのはいいけど、がむしゃらに振るな、もっとゆっくりスイングしていいから、

バットがボールに当たる瞬間までしっかりボールから目を離すな」


「わかりました、じゃ、言われたとおりにやってみます」


 次の球がピッチングマシンから放たれる。

 キンっとわずかにだが音が響いた。


「あっ、や、やった、あたりました」

「ああ、前に飛んでないけどな」

「ド素人がこんなにすぐに当てれるようになったんですよ、ほめてくださいよ」

「ああ、すごいすごい」

「むむ、バカにしてますね、見てください、ホームラン打ってやりますから」


 と、気合十分でバットを構える彼女。

 城石死ねぇ、中山死ねぇと叫ぶが、せいぜい前にぼてぼてのゴロを打つくらいだった。

 ケージから出てきた彼女は唇を尖らせる。


「あなたはうそつきです、そこまですっきりしませんでした」

「まぁあんまり飛んでないからな」

「あなたさっきからなんか偉そうですね、そういうあなたの実力はどうなんですか?

全然打てなかったら鼻で笑ってやりますけど」

「まぁ見てろ」


 俺はこのバッティングセンターで一番早い130キロのところに入る。


「そんな速いところで大丈夫なんですか?」

「大丈夫大丈夫、まぁ、黙ってみてろ」

「ふふふ、とかいって空振りしまくったら大笑いしてやります」


 と黒い笑顔を浮かべている彼女をちらっと見て、苦笑いした後、ピッチングマシンに目線を定めた。

 やがて、マシンからボールが放たれた。

 ビュンっと音を立ててボールがやってくる。

 よし、真ん中高め。打ちごろのコース。

 ボールがバットに当たるその瞬間までよく見て、振りぬく。

 キィンッと、甲高い音が響く。

 ボールはホームランと書かれた的の真下に行った。


「ちっ、もう少しでホームランだったのに」

「うそ、すごい」


 尾関は口をあんぐりと開けている。

 そうそう、ああいう顔を見たかったんだよなぁ。


「よし、次だ、おら、城石ぃ、死ねぇ!」


 尾関をまねて、ボールをムカつくやつの顔に見立てて打った。

 カキィィンっと快音が響き渡る。今度はホームランにした。


「わぁっ、すごい、ホームランですよ!」

「いいか、こうやって、打つんだよっ、死ねぇ、中山ぁ!」


 またホームランにする。

 それからも快音は続いていき、結局、20球中6本ホームランにした。


「ふぅ、気持ちよかったぁ」

「あなたって、野球うまいんですね、野球部はいってたんですか?」

「小学校のころな」

「中学では野球部はいらないんですか?」

「ああ、野球部は、もういいや」

「なんでですか? そんなにうまいのに」

「……才能の限界を感じてな」

「才能、あると思いますけど」

「いや、全然だよ、俺よりうまい奴なんてたくさんいた。世界は広いんだよ」

「ふーん」

「そんなことより、また打って来いよ、俺は少し休みたいから」

「じゃあ、今度こそホームラン打ちます」


 彼女が再びケージに入る。先ほどと同じ70キロのところ。

 俺だと逆に遅すぎて打ちにくい球速だ。


「死ねぇ、城石!」


 弾道は低いが、ライナー性の打球が行くようになっていた。


「あははっ、ほんとだ、気持ちいいですね、これ、確かにストレス解消になりそうです」

「だろ?」

「おらっ、死ねぇ、中山ぁ、あはははははは! 楽しい、すごく楽しい、あははははは」


 笑いながら彼女は物騒なことを叫んでボールを打つ。

 俺も笑った。こんなに笑ったのは初めてってくらい。

 彼女は結局ホームランは打てなかったが、満足気な顔だった。


 俺たちはバッティングセンターを出た後、彼女が行ったことないから行ってみたいと言うのでカラオケに行った。

 俺は別に歌がうまいわけではないが、カラオケには何度か言っているので歌うのには慣れていたからそんなにひどい点数は取らなかったが、尾関は音痴だった。彼女が50点とかそんな点数を取っているのを見て、「まぁ、カラオケ初めてならそんなもんだよ」とフォローすると、「そんなへたなフォローされるくらいならけなされた方がまだまし」と怒った。

 結局、彼女はその一曲しか歌わず、俺が10曲くらい歌って、カラオケ店から出た。



 その後、カラオケ店の近くにあったデパートに行って、ウィンドウショッピングをした。買いもしないのに、長時間、服をいろいろ見て回った。


「この服、かわいいですね、まあ、不細工な私には似合わないでしょうけど」


 気に入った服を見つけても、彼女は試着すらしない。まぁそれは俺も同じだが。


「この服かっこいいけど、俺には似合わなそうだな」

「買わないんですか?」

「買わないよ」

「気に入ったなら買えばいいのに」

「ならおまえもさっきかわいいって言ってた服を買えばいいじゃないか」


 と言うと、彼女は苦虫を噛み潰したような顔をして黙った。


「お互い似合わない服ばかりですね、容姿がよかったらもっと似合う服が多くて、

服を見るのももっと楽しかったんだろうな」


 とポツリと彼女は言って、嘆息した。

 それからはゲーセンに行ってメダルを落とすゲームとかシューティングゲームとかをして遊んだ。

 帰り際にプリクラが目に留まったので、彼女に訊いてみた。


「プリクラやったことあるか?」

「ないです、あなたはあるんですか?」

「ない、試しにやってみるか?」

「あなたと二人で? 冗談でしょう。それに私、写真とか、嫌いなんです」

「そうか、俺も嫌いだ」

「じゃあやんなくていいですね」

「……そうだな」


 いや、まぁ、俺もプリクラ撮りたいかと言われればべつに撮りたくはないんだが、なんだか少し寂しい気がした。

 それからデパートを出てしばらくぶらぶらとその辺を歩いていたが、のどが渇いたと彼女が突然言ってきたので、近くのコンビニに寄った。


「はぁ……疲れました」


 コンビニの駐輪場で、彼女は紙パックのコーヒーにストローを入れて飲んでいる。

 あのコーヒー、一度飲んだことあるけど、甘すぎて俺は苦手なんだよな。

 俺はペットボトルに入ったコーラを一口飲む。

 すでに空は暗くなっていて、車のライトや街灯の光が眩しかった。


「そろそろ帰るか?」

「そうですね……あの」

「なんだ?」

「今日はありがとうございました」

「なんに対しての礼だ?」

「今日、助けてくれたこととか、あと、バッティングセンターに連れてきてくれたこととか、正直に言うと、嬉しかったです」

「べつに礼を言われるようなことはしてねぇよ、俺がむかついたから殴っただけだ、

バッティングセンターも俺が行きたかっただけだし」

「それでも、ありがとうございます」


 彼女は頭を下げて礼を言う。

 そのとき、彼女の胸のポケットから何か落ちた。

 それを拾う、その紙はあの殺したいやつリストだった。

 そのリストから俺の名前が消えていた。

 あと、城石の名前が追加されていた。


「城石の名前が入っているな」

「はい、あいつ、くそ野郎でしたから」

「俺の名前、消したんだな、俺は死ななくていいのか?」

「……ええ、あなたは、嫌いではないですから、それ、返してください」

「お、おお」


 尾関に渡すと、彼女はそれをびりびりと破き始めたので、少し驚いた。


「破いていいのか?」

「ええ、もういりませんから、これは」


 尾関が殺したがっていた人間たちの名前が書かれていた紙が、紙吹雪となって舞い落ちていく。

 すべての紙の破片が地に落ちると、彼女は一仕事終えたサラリーマンのような顔で、コーヒーを一飲みした。

 なんでもういらないんだろう?

 そこに不穏なものを少し感じたが、なんとなくその理由を訊くのが怖くて、訊けなかった。

 代わりに、俺はこんなことを訊いた。


「なぁ、お前、今までどんな感じだったんだ?」

「どんな感じとは?」

「その、どんな子供時代を過ごしたか、とか」

「……それ、あなたに言う必要ありますか?」

「必要はないかもしれないが、べつに教えてくれたっていいだろ」

「そうですね、それじゃあ、あなたの子供時代について先に話してくれるなら、いいですよ」

「俺か? まぁいいけど、たぶんつまらないぞ」

「べつにかまいませんよ」

「そうか、じゃあ何から話そうか……俺は生まれつき目つきが悪くてな、小さいころからよくガキ大将みたいなやつにからまれたよ。父さんも目つきが悪くてな、俺は父さんに似たらしい。母さんは目つきの悪い男が好きみたいでな、正直、人相が優しそうな男と結婚してほしかったよ、そうすれば俺はもっとまともに生きられたと思う。だがまぁ別に父さんと母さんのことが嫌いなわけではないんだ、どちらも普通の人間だ、俺をこんな容姿の人間に生んだことについては少し恨んでるけどな。

 物心ついたときからずっと、この見た目で不良とか怖いやつという先入観を持たれて、まともな人付き合いなんてできなかったよ。残念ながらほとんどのやつが第一印象は見た目で判断するからな。

 中学生ぐらいから絡みたくもないのに不良にばっか絡まれるようになってさ、俺と仲良くしようと近づいてくるやつは不良しかいないんだ。もっと普通な奴と交流したいのにさ、人生うまくいかないよな」

「あなた、実はけっこう真面目ですもんね」

「そうだよ、今日はさぼったけど、それまで学校は無遅刻無欠席だったし、宿題も欠かさずやってきたし、成績だっていいほうなのにさ」

「お互い、容姿で苦しんでるんですね」

「残酷だよな、こんな薄い皮一枚でこんなにも人生が大きく変わってくるなんて。

皮はいじゃえばみんなたいしてかわらない見た目なのに」

「整形したら、人生変わるのかな? でも、したらしたで、いろいろ言われるんでしょうね」

「整形してる芸能人とか、けっこう中傷されてるもんな」

「結局、生まれ持った顔からは一生逃れられないんですね」


 しばらく黙りこむ俺たち。

 いつの間にかコーラは飲み干していた。


「俺のこと話しただろ、お前ももっと自分のこと話せ」

「べつにいいですけど、話すことなんて、あんまりないですよ。裕福でもないけど貧乏でもない普通の家に生まれて、すごい溺愛されていたというわけではないですけど、両親からもそれなりに愛情を注がれて育って、小学校の時からゴブリンって言われてよくいじめられていて、友達が一人もいない、休み時間は本ばかり読んでいる、そんな灰色の日々をずーっと送っていました」

「どんな本を読んでいたんだ?」

「恋愛小説が多いですね、自分でも恥ずかしいくらい、甘ったるい恋の物語。

ファンタジーの世界で、主人公が王国の姫で、ピンチの姫をかっこいい勇者が助けるような、そんなメルヘンチックな物語。私、小さいころから夢見がちな子だったんです。勇者に助けられるかわいいお姫様、そんな存在に憧れていたんです」

「いいじゃないか、よく知らないけど、女子はそういうのに憧れるもんなんじゃないか?」

「よくないですよ、私、城石に助けられたとき、彼が勇者だと思っちゃいましたもん、まさかあんな人だとは思いませんでした」

「ふん、助けてくれたやつが勇者か、じゃあ俺はどうだ、お前を助けたけど、勇者みたいだったか?」

「いえ、あなたは勇者というより、魔王ですね」


 なにがおかしいのか、彼女はくすくすと笑った。


「俺は魔王か……まぁ俺にはお似合いかもな。城石は……あいつはまぁたしかに見た目とかだけなら勇者かもな」

「でも、勇者なんてそんなもんかもしれませんね。考えてみれば当たり前かも、勇者はゴブリンなんて助けません、だってゴブリンは倒すべき敵なんですから」


 ゴブリンは倒すべき敵……。なら魔王である俺も、倒される側の人間なんだろうな。


「ほんと、人生嫌なことばかりですね」

「そうだな、でも、今日は楽しかった。特にバッティングセンターは爽快だった。

おまえも楽しかっただろ? あんなに死ねって叫んでたしさ、ボールをあいつらだと思って打ってたんだろ?」

「ええ、あいつらの顔、ぐしゃぐしゃにしてやったわ、あははははは!」


 しばらく笑った後、彼女は急に真顔になって、ぼそっと言う。


「……本当に、あいつら死ねばいいのに」


 それは、まごうことなき尾関の本音なのだろう。

 俺は、彼女のために何かしたいと思った。

 彼女のためなら、何でもできる気がした。

 だから、俺は彼女に言ってやった。


「じゃあ……俺が殺してやろうか?」

「殺してやろうかって……あいつらを?」

「ああ」

「冗談でしょ?」

「冗談じゃねぇよ、おまえだって本気で死んでほしいと思ってるんだろ?」

「それはそうだけど、なんであなたがそこまで」

「お前のためだよ、お前が望むなら、死んでほしいって本気でそう思うなら、叶えてやりたいんだ」


 人を殺したらいけない、そんなことはわかってる、

 でも、どうでもよかった。法律とか倫理とか社会のルールとかそんなのどうでもよかった。ただ、彼女を苦しめる奴が許せなかった。彼女が喜ぶことをしたかった。

彼女が死んでほしいと本気で思ってるやつらがいるなら、俺がそいつらを死なせてあげたかった。


「なにそれ、あなた、もしかして私のこと好きなの?」

「べつに好きじゃねぇよ、ただおまえのために何かしたいって思っただけだ」

「なにそれ、まぁ、私もあなたのことなんか全然好きじゃないけど。好みのタイプじゃないし」

「おまえ、面食いだもんな」

「うるさい」

「ははははははは」

「あははははははは」


 笑った、いつまでも笑っているんじゃないかと思うくらい、俺も彼女も笑っていた。

 笑い終えると、彼女は言った。


「しなくていいわよ、そんなことする必要ないわ」


 何かを決意した顔で、尾関は言う。

 コーヒーを飲み終えた彼女は、それをごみ箱に捨てた後、俺に憑き物が落ちたような笑顔を向けてきた。


「帰りましょ」

「ああ」


 そして、俺と彼女は帰り道を隣り合って歩いた。

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