第103話 新たな戦雲

「あっさり敗れるとは、共に謀るに足らず、か。情ないことだな」

 ブルジーマムルーク朝と黒羊朝の相次ぐ敗報はメムノンにとって憂鬱な問題であった。

 オスマン軍は結局のところいまだコンスタンティノポリスへの攻撃を継続しているが、ヤン・イスクラが中心となった防備は予想以上に堅い。

 あてにしていたわけではないが黒羊朝の援軍があれば、戦況は今よりずっと楽になったことだろう。

 しかもマムルーク朝をロードスで破ったヴェネツィア・フランス合同艦隊は、ダーダネルス海峡のゲリポルで上陸し、そのまま北上してマルカラの地でスカンデルベグと合流を果たしていた。

 フランス王国軍大元帥リッシュモンが率いる兵数こそ少ないが、スカンデルベグともども数字どおりの戦力として受け取ることは絶対に危険であった。

 マルカラと言えば首都アドリアノーポリとコンスタンティノポリスのほぼ中間にあたる。

 オスマンとしてはその双方に戦力を割かざるを得ないのが現状だった。

 コンスタンティノポリスさえ落とせれば全ては解決するのだが、あの忌まわしい傭兵上がりの手腕は残念ながら当代一級であると言わざるをえない。

「城壁の下にいる兵を殺すならただの石で事足りる! 銃兵は敵を惹きつけろ! 手の空いてる奴は適当に石を放り投げとけ!」

 小憎らしいほどに冷静なヤンの手腕は、長期戦を戦い抜いてきた経験に裏打ちされている。

 このままでは敵の弾薬が尽きるのを待つにはいったいどれほどの時間が必要となることか。

「いったいオレがどれだけの兵力差のなかで、どれほどの間戦い続けてきたと思ってるんだい、ええ? メムノンさんよお」

 ついにこの日もオスマンは城壁のまえで多くの死者をだして鉄平せざるをえなかった。



 ジェノバばかりかヴェネツィア船までもがマルマラ海の海上輸送を圧迫しつつある。

 アルバニア・フランス連合軍一万数千の動向も、確実にオスマン軍の体力を削り取っていた。

 古来より巨獣は持久力には定評がない。

 なんとかしなければならない、しかし今は早急な打開手段がない。

 メムノノが懊悩しているそのとき――

「伝令! 伝令!」

 斥候に送り出していた騎馬がほとんど気死せんばかりになって、本陣に駆けこんできたのはそのときだった。

「いかがした?」

「ワラキア公の本隊と思われる部隊が、ヤンボルで遊撃部隊と合流しアドリアノーポリに迫っております! どうか急ぎ御戻りを!」

「………ここでアドリアノーポリに現れたか!」

 まったくあの男らしい迂遠で狡猾なやり方だった。

 おそらくは海路ヴァルナに上陸し、補給してそのまま南下してきたものだろう。

 先日のように直接コンスタンティノポリスへ挑みかからないところが呪わしい。

 ヤン・イスクラさえいれば、我がオスマンの力ではコンスタンティノポリスは落とせぬと侮ったか!

 しかしヴラドよ。

 これほど早く姿を現したのは貴様の油断だ。

 オスマンの戦略目標は以前からいささかも変わってはいない。

 コンスタンティノポリスを陥落させるか、あるいはヴラドの首さえあげられれば、その後のことなどいかようにもして見せる。

 戦場にヴラドが戻ったのはオスマンにとって、危機であると同時に願ってもない好機でもあったのだった。


 そう思うとメフメト二世の決断は早かった。

 即日、ヤン・イスクラの逆撃に備えて一万の兵を陣城に残して、コンスタンティノポリスからの転進を下令したのである。

 西方でアルバニア・フランス連合軍を牽制するために、ケルグ・アブドル率いる兵団三万を分派したため、北上する総兵力は八万にも満たぬものとなった。

 半減した兵力をもってワラキア公にあたる将兵の戸惑いは隠せないが、アドリアノーポリに駐留する三万余と国境警備の余力を考えればあと二万は合流できることを考えればやはりそれは尋常な兵力ではありえない。

 オスマンが誇る国力はこの情勢にあってなお巨大なものであったのである。


 ――それにしても、とメムノンは思う。

 さすがにワラキア軍が姿を見せるのが早すぎはしないだろうか?

 ヤン・イスクラとスカンデルベグたちをアテにしているのならば、今しばらくはオスマンの消耗を待つのが妥当なように思われる。

 コンスタンティノポリスの守備力に不安があるというのならわからなくはないが、ヤン・イスクラの用兵術は口惜しいが見事の一語に尽きた。

 時の流れを意図的に速められてしまったかのような違和感が、メムノンの脳裏に棘のように突き刺さって抜けない。

「いったい何を急ぐ? それともこれも罠のうちか? ヴラドよ!」

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