第68話 悪魔(ドラクル)の親友

 話はつい先日まで遡る。

 俺はシエナの諜報網から、神聖ローマ帝国がボヘミアに食指を伸ばしていると聞いてイジー・ポシェヴラトやフス穏健派の支援の在り方を考えていた。

 上部ハンガリーのフス派に分裂の兆しあり、という急報が舞い込んできたのはまさにそのときだった。

 ヤンの手腕をもってしても御しきれなかったか!

 ハンガリー王国に対する利権を有する神聖ローマ帝国に、ボヘミア国王を名乗らせるのはワラキアにとっても都合が悪いが、フス強硬派が完全に主導権を握ってしまうのは悪夢ですらある。

 偉大なる遠征と呼ばれたフス派の遠征は、長く東欧に悪夢として語られる類のものであった。

 抵抗する諸侯の軍をなぎ倒し、都市を焼き、市民を虐殺し、資産を略奪する。

 容赦のない彼らの行動は、ドイツやポーランドの諸侯たちにとってはさながら現世に降臨した悪魔のようであった。

 もっともそれは、フス派に対し十字軍を編成し、異端の名のもとに粛清しようとしたカトリックの自業自得と言えるのかもしれない。

 いずれにしろボヘミアをフス強硬派の手に渡してしまうのは危険に過ぎた。

 彼らは毒薬なのであって、ポーランドや神聖ローマ帝国にとっての災厄なのは間違いないが、ワラキアにとってもそうならないとは誰も言えないのである。

 それに俺はヤンに対して個人的に借りを感じている。

 ヤーノシュ率いる十字軍を迎撃したまさにそのとき、ヤンに後背を衝かれていたら……いや、あるいはヤーノシュと中立を保っているだけでも、ワラキアは敗北を免れなかっただろう。

 そのときは不本意極まることだが、国内で焦土戦術をとりつつゲリラ戦を戦うことを決めていた。

 確かに焦土戦術によって敵の補給線を叩くことに徹すれば勝利することはそれほど難しくはない。

 現にオスマン帝国がワラキアにが敗れた戦いのほとんどはそれである。

 この時代の有する補給能力では大軍を敵中深く侵攻させ、兵站を維持し続けるのは不可能に近いのだ。

 しかし焦土戦術は諸刃の刃であり、焦土と化した土地は国土を荒廃させ、税収を減らし、民衆の支持を失うことは避けられない。

 結果、焦土戦術を繰り返す為政者は国民の信を失って味方に裏切られて、結局敗北のやむなきに至るのである。

 東欧諸国の状況がまさにこれにあたる。

 先頃占領されたセルビアや古くはブルガリアなどもこれにあたり、英雄スカンテルベグでさえ例外ではない。

 彼のカリスマがかろうじて軍を維持してはいるものの、やがて民衆の心は離れ厭戦気分は日に日に強さを増していく。

 ましてジリ貧の国力減退は、彼がいかに優秀な為政者であろうとも隠しようのないものなのだった。

 故にもし仮にオレがそうした焦土戦術を使ってヤーノシュを撃退したとしても、失墜した威信を取り戻すために俺は少なくない時間と労力を割かなくてはならなかっただろう。

 そんな回り道をしていたら先のヤーノシュ率いる十字軍にも勝てていたかどうか。

 ヤンがどうしてそれをしなかったのかその胸中を知る術はないが、俺は確かに返さなくてはならない借りをヤンに作っていたのだった。

 小型のキャラベル船の供給によって、また一段と発達した河川交通によって常備軍の精鋭は速やかな集結を終えた。

 ブダやベオグラードといったドナウ川流域の都市の発展はめざましい。

 首都トゥルゴヴィシテも政治の中心としてはともかく、商業の中心としてはこの先はドナウ川商業圏に譲らざるをえないだろう。

 ガラティのような河川港湾都市の整備も進んでいる。

 往来する多国籍化した河川商業流通の重要度を考え、河川警備隊の発足も間近に迫っていた。

 少なくともドナウ川流域の大都市に関するかぎり、ワラキアの力は国境を越えて様々な都市へと及びつつあった。

「さてと、いくか。せっかくできた数少ない友を救いに」

 常備軍銃兵二千、ピストル抜刀騎兵一千、擲弾兵二百、砲兵を除いた機動力重視の精鋭は一路北へ向かって進発した。

 斥候の報告ではヤンの軍勢はおされ気味であり、一刻の猶予もないということであった。

 ヤン率いる傭兵軍三千に対し、フス強硬派六千、およそ二倍の兵力を相手にいまだ本陣の守りをゆるがせないヤンは流石の用兵家だといえる。

 側方へと機動するワラキア軍を双方が全く気づかなかったのは、フス派特有の堡塁車両内での火力戦に負う所が大きかった。

 陣地にこもるため視界が限定されているうえ、硝煙と発砲の轟音で周囲への警戒が著しく不足してしまうのである。

 ワラキア軍突入のタイミングはドンピシャだった。

 どの戦闘でもそうだが、勝利の直前ほど警戒が薄れる瞬間はない。

 また防御に厚い堡塁車両から出てきてしまえば、歴戦のフス教徒も正規の訓練を受けていないアマチュア歩兵にすぎないのだ。

 ワラキア公国軍擲弾兵が突進するとともに、手榴弾を叩きつけた瞬間勝負は決まっていた。

「ワラキア公国軍だ!」

「馬鹿な! 奴らがどうしてここに?」

「くそっ! 異端の輩め! ヤンともども神の罰を受けよ!」

 やはりフス教徒の戦意の高さは尋常ではなかった。

 陣地へと退却するまでに、ほぼ半数を喪失しながらも敢然と反撃を開始したのである。

 もしも相手に騎兵の衝力に頼ったドイツ諸侯軍の支援があったなら、彼らが逆転することも不可能ではなかったであろう。

 しかし、彼らの前に立ち塞がるのはワラキア公国の精鋭軍であり、オレであった。

「銃兵! 援護の弾幕を張れ! 騎兵は迂回して退路を断て! 擲弾兵! 奴らの手砲は射程が短い。不用意に近づかず落ち着いて狙え!」

 この時代の火器は一様に命中率が低い。

 十メートル以上離れてしまえば命中する確率は運任せだ。

 だからこそ彼らの堡塁車両は、当てられる距離まで敵を呼び込むために作られた。

 十字軍の主力であった重装騎兵の騎士相手ならそれもよかろう。

 しかし、ワラキア銃兵と擲弾兵の相手をするには最悪の相性だった。

 一斉に投擲された手榴弾が車両ごとフス教徒を吹き飛ばしていく。

 長年無敵を誇ってきた堡塁車両が全く通用しなかったことで、フス兵士たちの間に深刻な動揺が広がっていった。

 再度の手りゅう弾投擲で、車両で形成されていた戦線に繕いようのない大穴が空く。

「銃兵突撃!」

 着剣した銃兵が一斉射撃とともに突撃に移った。

 空いた戦線を埋めるための予備兵力も、機略縦横な用兵家もフス残党軍には残されていなかった。

 天嶮たる堡塁車両も、内部への侵入を許してしまえば、ただの開け放たれた箱と変わりがない。

 経験のない事態に混乱の極に達したフス残党軍は総崩れとなって壊乱した。

 しかし彼らの背後にはワラキア騎兵が進出して退路を遮断している。

 フス派残党軍はここに完全に戦力を失った。

 長年に渡って東欧に恐怖を撒き散らしてきたフス派強硬派が、歴史の表舞台から退場した瞬間であった。


「――こりゃあ参ったわ」

 ヤンは目の前で繰り広げられる一大絵巻に感嘆の念を禁じえなかった。

 既成の戦いを遠い過去のものとする新世代の戦術だった。

 十字軍をまるごと焼き払ったと聞いたときには眉につばをつけて聞いたものだが、あながち誤りでもないかもしれぬ。

 あの妙な投擲武器も面白いが、何よりも銃兵が素晴らしい。

 歩兵であり、銃兵であり、槍兵でもある。これまでの兵科を根こそぎ覆してしまう恐るべき兵である。

 しかもどういう機構かはわからぬが火縄銃と違って密集できるところがまた驚きだった。

 どうやら自分が見込んだ以上のものがワラキア公にはあったらしかった。

 それにしてもその公が何故俺を助ける………?

 それだけがずっとヤンの胸に抜けない棘のように疼痛を与えていた。

 熾烈な戦闘が終わり、白馬に跨った男がヤンの前に進み出た。

「ヤン殿、無事でなにより」

 この男がヴラド・ドラクリヤか。

「ありがとうよ。助けてもらっておいてなんだが、お前さんいったい何が望みだい?」

 俺に配下に下れとでも言うだろうか?

 あるいは上部ハンガリーを明け渡せとでも?

 ヤンの向けた言葉に、ワラキア公は困惑したような笑みを浮かべただけであった。

「友を助けるのに理由が必要だろうか?」

…………この小僧、今なんと言った?

「俺を友、だと?」

「ワラキアがヤーノシュと対立したとき、俺は貴殿の友であることを約束した」

 ヴラドのひょうげた台詞にヤンは胸を衝かれた。

 なにか閊えていたものがすとん、とあるべき場所に落ち着いたようなそんな爽快感が胸を満たしていった。

 ああ、そうか。

 自分の思うように生きるとか、面白いように生きるなんて言ってはみたが、いつも何かが物足りなかったのはそのせいか。

 俺も友を助けたかった。

 あいつを、プロコプを助けられなかったことをずっと諦められなかったんだ。

 気づいてみれば簡単なことだった。

 もう助けることのできない相手への思いが満たされるはずもなかった。

「ちっ、あんたはそれで気が済んでよかったかもしれないが――――友を助けられなかった男はどうすればいい?」

 そう気がついたらヴラドがなんとも小憎らしかった。

 自分だけ友を助けて、清々しているのが許せなかったのだ。

「……こんなのは所詮自己満足だからなあ……月並みだが、俺ならそいつが喜びそうなことをしてやるかな………」

 プロコプの奴なら俺に何を望むだろうか。

 フスの教義のために戦い続けることを望むのだろうか。

 あるいはリパニで殺しあったかつての兄弟への復讐を望むのだろうか。

 いや、…………そんなはずはない。

 そうであるならリパニの紅い夕暮れで別れたときに、あんな優しい目でみるはずがなかった。

 幸せになれ。

 死んでいく俺たちの分まで幸せにお前は生きろ、そう言われたのではなかったか。

 なんてことだ。

 その理解に今頃たどりつくとは。

「俺も焼きがまわったもんだぜ」

 ふざけやがって、こいつだけにいい思いをさせておくものか。

「お前が本当に俺を必要とするとき、俺は必ずお前の力となる。これは俺が勝手にするお前への誓約だ」

 これほどの借りをどうして返さずにおくものか。

 いつか十倍にして返して、感激の涙に溺れさせてくれる。

「頼りにしているさ、我が親友(とも)」

「とっておきの酒を開けてやる。まずはそこからだ。我が親友」

 銃と剣を使ってすっかり黒く染まったごつごつしたヤンの手と、大きいが白くのびやかなヴラドの手がゆっくりと重ねられた。

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