ボンボン探偵・猫山賀京志郎 只今昼寝中!
有笛亭
第1話 光の文字事件
光の文字事件
郊外の国道バイパス沿いに建つ瀟洒な喫茶店。その二階が、ボンボン探偵・猫山賀京志郎の住居兼事務所であった。
事務所の窓に、風変わりな張り紙がしてある。
『謎のあるご依頼のみ募集中!』
普通、探偵事務所というものは世間の噂や夫婦の浮気などを調査するものだ。猫山賀は、そういったくだらない調査はしないことにしている。なぜなら、猫山賀にとって探偵は単なる趣味であり、金儲けが目的ではないからだ。
それができるのも、猫山賀が金持ちのボンボンだからだ。この事務所も一階の喫茶店も、猫山賀の親の所有物であった。
要するに猫山賀は、自他ともに認める親のすねかじりであり、ごくつぶしなのであった。
しかし、人間何か一つ取り柄があるもので、訳の分からない、これはもう降参するしかない、というような難事件を猫山賀は今まで何度も解決してきた。無報酬で。
今では県警も、猫山賀京志郎に一目置き、彼ととくに親しい刑事たちは、不可解で、彼が興味の惹きそうな事件を、わざわざ知らせに来るほどだった。しかしそれは、つまり自分らの仕事が忙しすぎて、猫の手も借りたい状態だったからで、早い話、猫山賀は、いいように持て囃されているのだ。実際刑事たちの間では、猫山賀は、単に猫と呼ばれている。
しかし、それは猫山賀にとって、決して悪いことではない。むしろ願ってもないことなのだ。
なぜなら、そういうときの猫山賀は、まるで新規のゲームをプレゼントされたかのように喜ぶからである。
猫山賀は、まだ独身の二十代。血気盛んなのだが、どうも女性には苦手で、とくに妙齢な女性とは、面と向かってうまくしゃべれないところがあった。
そんなことだから、冬の寒い日に、コートを着た身だしなみの整った若い女性が訪ねてきたとき、猫山賀は緊張して、うまく言葉が出なかった。
ドアのところで、女性の方が先に言った。
「あのーお頼みしたいことがありまして、ここに来ました」
「ああ、もちろん、さあどうぞ、中に入って、ソファーに腰かけて……。寒かったでしょう」
この日は、いつになく寒く粉雪が舞っていた。
「はい。でも車ですから」
すらりと背の高い品のある女性である。モデルとも違うが、普通のOLでもなさそうだった。
女性は黒のカバンを横においてソファーに座った。
「お話というのは、他でもありません。私の兄が、ある組織から命令に逆らったら命を奪うと脅されているのです」
猫山賀は、目の前の女性の印象からまったく懸け離れたことを言われて、緊張した。
「ほう。それは尋常ではありませんね。では、あなたのお兄さんは、いったい何をその組織から命令されているのですか?」
「はい。大変自分勝手なことを言うようですが、それは秘密です。でも、それではいけませんので、簡単に言いますと、ある物質を運ぶ役を言いつけられたのです。お察しください。その組織は、外見上は立派な商社なのですが、その陰で違法なものも取り扱っているのです。そして残念なことに、その違法なものの方が、まともな商品より儲けが大きいのです。兄はそのことを知りませんでした。前にいた会社が倒産して、つい数か月前に社員を募集していたその会社に就職したのです」
「いわゆる運び屋ですね」
「はい。今回の任務は、船に乗って荷物と一緒に外国に行くというのです。兄は最初のうちは気づかなかったのです。が、あることから、上司に運べと言われたものが、違法なものであると気づき、それでその任務はできないと断りました。そうしたら、上司はこの任務を断れば、お前はこの世にいなくなるぞ、と脅したのです。上司は、兄が荷物の中身に気づいたと判断したのです」
「で、お兄さんは、今どうしています?」
「兄は、会社のどこかに閉じ込められています。携帯電話を没収される前に、私に電話して、そんな話をしたのです。それで私は警察に届けようと兄に言ったのですが。ところが兄は、それはするな、そんなことをすれば間違いなく俺は殺される、いや俺だけでなくお前も危険な目にあう。俺は仕方なく組織の命令で犯罪行為に手を染めることになるが、任務期間中は命の保証があるだろう。その後は分からない。命のあるうちに俺はお前に告げる。もしも俺が死んでも、あるいは行方不明になっても、俺を探そうとか、真相を暴こうとかするな。それは非常に危険なことだ。お前はお前の人生を歩んでくれ。俺は運悪く、最凶最悪の会社、いや犯罪組織に吸い込まれてしまった。だがしかし、誰かに、このことを知らせたかった。お前には、すまんと思う。幸せになってくれ。そこで電話は切れました。私は兄のことが心配で、兄はどこに監禁されているのか、そして誰に探してもらえるのか、と迷いました。すると、地方のタウン情報誌に、こちらのことが書いてありました。──謎のあるご依頼お引き受け致します。──で、こちらにお頼みしようと伺った次第です」
「なるほど、警察に頼むとかえって危険だから、僕とこに来られたわけですね」
「ええ。警察は事件が起きた後でないと動かないという話も聞きますし」
「確かに警察は、憶測だけでは動きません。ちゃんとした証拠がなければ。で、お兄さんの組織名あるいは会社名が分かるのですか?」
「それが兄は教えてくれないのです。教えれば、お前は余計なことをするから、と。とにかく兄は、私が危険な目にあうのを一番恐れているのです」
「会社名が分からないとなると、なおさら警察は動きませんよ。いいでしょう。この僕が探してあげましょう」
と言った後で、猫山賀は電話の送信位置は調べることができることに思いついた。
そのことを依頼者に言うと、
「兄は、港の方にいてそこから電話していると言っていました。国際港のK港です。ですが今、軟禁されているのは別のところです。その後、兄からの電話は一切ありません。こちらが掛けても繋がりませんから、もう携帯電話は処分されているのでしょう」
「なるほど。では、あなたからのご依頼は、お兄さんの居場所を突き止める、というのでいいですか?」
「はい。それ以上のことはお頼みするわけにはまいりません。そちらの命が危険に晒されますから」
「しかし、それでは何の解決にもならないでしょう」
「はい。でも仕方ありません。警察に頼めば殺されるわけですから。個人の探偵さんにお願いするしか方法はないのです」
「お引き受けいたしますが、もっとたくさんのヒントを僕に与えてください。今の状態では、あなたのお兄さんが日本にいるのか外国にいるのか、それさえ分からないのです」
「日本だと思います。というのは、電話を受けたのが二日前で、そのとき兄は、あと一週間したら俺は外国行きの船に乗ることになるだろうと言っていましたから」
「なるほど、お兄さんがK港にいたのは、下見だったのかもしれないですね」
「兄は以前、今度入った新しい会社は、機械の部品をあちこちの工場に配送するのがメーンで、貿易のようなこともしていると言っていました。しかし二日前の電話では、今度入った会社は、日本からはまともな商品を輸出するが、帰りの船では違法なものを持って帰る。商社という看板のもとでそれを行うので、摘発されるおそれは少ないと。兄は三十一歳の独身で、身長は百七十五センチほどあります。兄に関する手掛かりは、それだけです」
「弱りましたね」
とボンボン探偵・猫山賀は、両手をあげて言った。「手掛かりが少なすぎます。その会社がどんな物品を取り扱っているか分かりませんか?」
「先ほど申しましたように機械の部品としか聞いていません」
「せっかくですが、大変恐縮ですが、今回のご依頼は僕の力ではどうにもなりません。第一、あなたのお兄さんが、自分から逃げる覚悟がない以上、お助けすることはできません。まるで悟りを開いたかのように事の成り行きに身を任せておられる。この寒い中、わざわざ僕を頼って来てくださいましたが、そういうことですので……」
猫山賀は頭を下げた。謎のある自分好みの依頼であったが、なにぶん手掛かりが少なすぎて猫山賀は、降参するしかなかった。
「分かりました」
依頼人は、頷いて、「私も無理なことをお頼みしました。ですが、一つだけお願いしたいことがあります」
「はい。それは何でしょう?」
「預かってもらいたいものがあるのです。書類です。もちろん謝礼はいたします」
「それでしたら構いません。預かりますよ。で、どのくらいの期間ですか?」
「約一か月です」
「肝心なことをお聞きしますが、なぜ書類という、どこにでも収納できるものを、わざわざ僕に預けるのですか?」
女性は少し間を取った後、「それは私の遺書のようなものだからです」
「遺書ですか」
「遺書というのは、自分が読むものではありません。私には兄以外に親族がいないのです。私は自分一人で兄を助け出すつもりです。兄がこれからやろうとしていることは、兄の破滅になるだけです。任務が終わった後、兄は抹殺されるおそれがあります。その会社、いえ組織は、兄の身寄りが、私だけというのを知って採用したのでしょう。つまり兄は使い捨ての駒なのです。もしも私が一か月以内に死んでいたら、それはその組織の仕業です。海で死ぬか山で死ぬか、はたまた事故で死ぬか、あるいは行方不明になっているかもしれません。私は封筒に期限を記しています。その日までに、何らかの事情で私がここに書類を取りに来ることができない場合は、まずこちらからご連絡いたしますが、それがなければ、中身を確かめた上で、警察に届けてほしいのです」
「分かりました。書類は金庫の中にしまっておきます。カレンダーに印をつけて」
「ありがとうございます」
女性は、黒いカバンから週刊誌が入る大きさの封筒を取り出して猫山賀の前のテーブルに置いた。その上に、手紙の封筒をのせた。「これは謝礼金です。五万円入っています」
「五万円とは景気がいいですね。ただ預かるだけなら、一万円でもいいですが……」
「いえ、構いません。ほんとに他に頼める人がいないものですから」
「しかし、あなた一人でどうやってお兄さんを助け出すことができるのですか。探偵をしているこの僕でさえ、手掛かりがなくて不可能と判断したのですよ。ただお兄さんの知り合いがいれば、そこから手掛かりを得ることはできます。誰かご存じないですか?」
「それがいないのです。兄はいたって人間関係の希薄な人で、私は一人も知らないのです」
「でしたらやはり、無理だと思います。しかし、その会社の募集を見て応募したのなら、その募集要項がどこかにあるかもしれません。ハローワークかなんかに。よろしい。では僕が、片っ端からハローワークをあたって調べてみましょう。まずあなたとあなたのお兄さんのお名前を教えてください。それと電話番号も」
依頼者の女性は、紙に二人の名前と携帯電話番号を書いて猫山賀に手渡した。猫山賀も、自分の名刺を女性に手渡した。もちろんそれには携帯電話番号がのっている。
女性は、安堵の表情で帰って行った。
2
猫山賀は、はっきり言って自信がなかった。
あちこち走り回るうちに、ひょんなことからヒントが与えられることも過去にあったが、しかし、今回に限っては、そううまくいきそうになかった。
K港の最寄りのハローワークを始め、県内にあるハローワークはほとんど回った。
──商社、配達、機械部品、貿易、といったキーワードで調べたが、これといったものが見つからなかった。
これはおそらく募集が終わったせいなのだろう。
猫山賀は落胆し、事務所のソファーに寝転がって思案した。
次なる一手が思い浮かばない。
そこへ携帯電話が鳴った。
猫山賀は起き上がり、電話に出ると、相手はいきなり言った。
「メモをとれ」男の声である。
猫山賀は一瞬、いたずら電話かと思った。しかし気分が塞いでいたところに、奇妙な電話が掛かってきて、かえって救われた気分になった。
「はい。手帳を用意しましたから、ご用件をどうぞ」
「今夜、お前が探している男の居場所を教えてやる。そこに行け。もし行かなければ、その男の命はない。警察に知らせても命はない。お前一人で来い。分かったか」
「分かりました」
猫山賀は、これは思いがけないチャンスがやって来たと心が躍った。
男は言った。
「では、時間と場所を言おう。午前二時、〇〇川の中流にある井山建設の建物だ。知っているだろう。そこは数年前に殺人事件があって、ニュースになった。今はその建物は廃墟となっているが、それは社長が殺されて、経営がうまくいかなくなったからだ。まあそれ以外にも理由があるが、その駐車場に一人で来い。時間は厳守。俺はお前を見張っているからな」
そこで電話は切れた。非通知である。
壁時計を見ると夜の八時。午前二時までには十分時間があった。猫山賀は、とりあえず二時間ほど仮眠をとることにした。
さて、〇〇川は一級河川であり、その土手を県道が走っている。井山建設の建物は民家のほとんどない、ど田舎にある。しかも山が四方に迫っている。深夜だから道は空いているとしても、車で一時間半はかかる。おまけに夜で、目印となるものはとくにないから、二時間の余裕は見ておく必要があるだろう。
猫山賀は十時ごろに目を覚まし、軽く食事をとった。ついでに井山社長殺人事件に関する報道を調べた。
猫山賀はまめな男だ。県内及び近県のニュース、とくに犯罪に関するニュースは、全部パソコンに収録していた。
殺人、強盗、窃盗と、各種区分けしているから、殺人、井山建設で検索すれば、すぐに出た。
井山建設社長殺人事件は、じつは未解決事件であった。事件から三年経った今も、井山社長を殺した犯人は捕まっていない。というか犯人の目星さえついていない状態であった。
第一、井山社長は、なぜ殺されたのか、その理由が分からないのだ。犯人は金品を盗んでいなかった。だから強盗の仕業ではない。
犯行現場は、建物の三階にある社長室。
犯行時間は夜の九時半頃で、その時間帯、従業員はすべて帰宅していた。しかし、社長だけが、なぜかその時間まで残っていた。普通に考えれば、誰かと話をするために社長はその時間まで残っていた、ということになるのだが。
もちろん警察は、その日に出社した従業員すべてから聞き込みをした。が、誰も社長が何の目的でその時間まで残っていたか知らなかった。また最後まで社に残っていた人間は誰か、という質問では、ある従業員が手を挙げた。──自分は八時頃まで社にいたが、それからすぐに帰路についた、と答えた。誰も最後の人間が、何時まで会社に留まっていたか知らないので、とりあえずこの従業員が疑われた。しかしすぐに、従業員の言う通り、八時頃には帰路についたことが調べで分かった。帰宅途中のコンビニで買い物をしていた。家のパソコン履歴にも九時頃使用された形跡があった。
結局、従業員たちからは、何一つ手掛かりになるようなものは得られなかった。
ただある従業員が、社長は、通常、七時頃までに会社を出て、そのあとは、どこかの飲み屋で時間を使って帰宅することが多かったと述べた。
井山社長の遺体は、翌朝になって、従業員が見つけた。胸から大量の血を流して床に倒れていた。
犯人と争った形跡はなかった。社長は油断をしていたのだろう。
となると犯人は知り合いで、不意に社長を襲った可能性がある。
殺害動機は、やはり怨恨が一番考えられる。
警察もその路線で捜査を始めた。が、犯人の人物像がまったく浮かんでこなかった。
井山社長は、決して温厚な方ではなく、むしろライバルが多かった。その中には井山社長に恨みを抱く者もいただろう。しかしそれでさえ、こいつが犯人だと断言できる人物はいなかったのだ。
その理由は、凶器の刃物が見つかっていないこと。犯人の遺留品がゼロであったこと。指紋も足跡もそこら中あるのだが、従業員のものと判別できなかったこと。等々。
じつは猫山賀は、この事件に興味を持って、少し調べたことがある。別に県警の刑事から頼まれたわけではない。だから気楽なもので、その結果、自分では手に負えないと判断して、放棄している。
猫山賀は、単なる探偵マニアであって、名探偵ではないから、執着しないのだ。分からないものは分からないと諦めも早かった。
しかし、猫山賀は、井山社長の家族構成は知っていた。井山社長には、子供が二人いた。奇しくも、その二人の子供が、今回依頼を受けた井山恭子という女性とその兄であった。
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