第15話

啓太は矢部に挨拶していた。

ほぼ毎日来る啓太はこの店で既に矢部と交わりがあったのだ。


啓太は何回か会った矢部に挨拶だけして、コア5人衆がいるテーブルへ向き直り、皆に会釈しながら合流しようとしていた、がしかし 


「ケイ、こっちだろ!」

矢部のヤベー台詞だ。


これに対し、大輝は物凄い速さで反応を見せた。

「カウンターのお客さん、ケイちゃんはこっちで飲むつもりでいるんだから、、、」


大輝は、普段一緒に飲んでいる啓太に対して、まるで会社の上司が部下を呼び付けるような矢部の言い方が気に入らなかったのだ。


大輝はそれでも遥の初日を意識して、その口調は極めて穏やかに、そして、まさに諭すように言ったのだった。


一方、絡み酒の矢部はカチンと来た様子で、声の主である大輝に向かって、

「やるかぁ?」


あー、終わった、、、


大輝のこわさを知る皆が数分後の矢部の悲惨な姿をイメージした。


大輝は何も言わず、スクッと立ち上がった。


メモリーズの店内温度は一気に氷点下まで下がった。


大輝がこのようなシチュエーションで何も言わず立ち上がった時、その後、どうなるか皆は知っていたのだ。


一瞬の静寂の後、達治が大輝に何やら耳打ちした。


すると大輝は

「何かありましたっけ?楽しくやりましょう」


と、言って立ち上がる前より深く座り直した。


???


「トラウマになってしまったら困るからね」


大輝は達治にそう言って、グラスを口に運んだ。


そう、達治は遥が今日初出勤だから、と一言大輝に耳打ちしたのだ。


矢部への怒りより遥への配慮を大輝は選択したのだ。


矢部は

「ったく、なんなんだよ。ケイ、こっち」


啓太は仕事については確固たる自分の強い意志を持っていたが、プライベートについては、ゆる〜い輩、、、


フラフラぁー


と、カウンターに座り

「矢部さん、先日は遅くまでお疲れ様でした」


何の恩義も無いはずなのに、このプライドも何も感じない啓太の姿勢も、繊細なソフトが詰まっている大輝には理解が出来なかったが普段通りの平静を装っていた。


そうしてると、また矢部が、


「ケイ、おまえ自分が歌上手いと思ってるだろ?」


矢部は完全に絡み酒の癖を持っていた。


一方、啓太は変なところで真面目で

「いいえ、自分は逆で、音痴ですから練習した曲しか歌わないです」


「はっはっは。なーんだ、そうなんだな。俺はさっき無茶苦茶高い点数だったぞ。見本見せてやる。ママー」


矢部は初老になっても、飲み屋のマナーを全く知らず、他のテーブルで接客しているスタッフにも平気で話し掛け、さらにデュエットまでさせようとしていた。


雫ママは、矢部のヤベー言動を控えさせ、雰囲気を変えようと、頭を下げ、


「歌いましょうか」


と、席を立ったのだ。


矢部が選んだ曲は最悪な香りがする

「忘れていいの」


そして、曲が始まった。






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