第2話 大阪府箕面市在住の43歳男性の願い

吾妻誠(あずま まこと)は大阪府箕面(みのお)市在住の43歳。15年前に妻の真由美と死別し、子供はいない。一人で暮らしている。

職業は大阪の大学でAI(人工知能:Artificial Intelligence)の研究をしている准教授だ。


第三次AIブームに乗って大学は7年前に専門の研究室を作った。誠は情報工学の研究室で講師をしていたのだが、新しくAI研究室ができたのを機に、その研究室の准教授として配属された。他に担当する研究者が大学内にいなかったためだ。


参加した学会の帰り道、誠の運転する車は逆走してきた対向車と正面衝突した。


誠は衝突事故の直後意識を失っていたが、しばらくして意識を取り戻した。

走っていたのは田舎だから救急車が来るまで時間が掛かるだろう。

意識は辛うじてあるものの身体は動かない。助からないだろうことは何となく分かる。


車の中からぼーっと空を見ていると、少年と白い猫がやってきた。

近くに住んでいる小学生だろうか?

少年は誠を覗き込んで「吾妻誠さんですか?」と言った。


誠は少年がなぜ自分の名前を知っているのか不思議に思いながらも「そうだけど、君は?」と言った。


「僕は死神のアシスタントをしている山田って言います。死神はこっちです」と少年は白い猫を指さして言った。


「へー、かわいい死神だな。僕は死ぬのかニャー?」

誠は瀕死の状況でも関西人として笑いを追求しようとしている。


「アホか? 何が『死ぬのかニャー』だよ。オッサンなのに恥ずかしくねーのか?」

猫は尊厳を踏みにじられたような気がして機嫌が悪そうだ。


誠は猫が話しているのを聞いて驚いたようだ。


「話せるの?」

「当たり前だろ。死神が話せなくてどうすんだよ? お前は意思疎通ができない死神にあの世に連れていってほしい派か?」

「そんなことはない。それにしてもよく喋る死神だニャー」

「うるせー!」


猫は不機嫌そうだ。


「もし死神が話せなかったら……ニャーとジェスチャーで死後の世界を説明してくれるとか?」誠はノリツッコミする。


「ジェスチャーで死後の世界を……何時間掛かるんだよ? 死神はそんなに暇じゃねー」

猫の怒りはますます加速していく。


「ごめん、ごめん。君が話せることは分かった。それで、死神が僕に会いに来たってことは、僕は死ぬんだよね?」

「ああ、死ぬ」

「いつ死ぬのか分かる?」


アシスタントの少年がスマートフォンを猫に見せた。


「死亡予定時刻は午後4時56分。いま午後4時30分だから26分後だな」

「そうか、あと26分もあるのか。何して過ごそうかな?」


「時間つぶしってわけじゃないけど、お前、最後に何か願いはあるか?」と猫は誠に聞いた。


「うーん、そうだなー。やり残したことが1つある」

「じゃあ、お前が死ぬまでの間、俺にお前の話を聞かせろ。いい話だったら、お前の願いを叶えてやるよ」

「本当に?」

「本当だ。死神は約束を守る!」

「それは助かる。死神って、最後に人助けする職業なんだな」

「そんなんじゃねーよ」


そういうものの、猫はまんざらでもない顔をしている。


「僕は誤解してたよ。君はいい死神だニャー」

「うるせー。いいから早く話せ! お前午後4時56分に死ぬんだぞ。時間厳守だ!」

「分かったよ」


そういうと、誠は話しはじめた。


***


僕が妻の真由美と出会ったのは大阪の大学院の博士課程1年目の時だった。

僕は情報工学を専攻していて京都の大学院から移ってきたんだ。僕の配属された研究室には博士課程の学生が3人、修士課程の学生が7人いた。


真由美は博士課程2年目だったから、僕の1年先輩だ。

理系の女性は少ないから、理系の女性はモテる。同じ研究室の男女が結婚するのも少なくない。僕の知っているだけでも、同じ研究室で結婚した友人は10人以上いる。


真由美は頭が良かったし、美人だった。

僕以外の学生もみんな彼女を狙っていたんじゃないかな?


僕が真由美と仲良くなったのは、僕が真由美の研究を手伝ったからだ。

真由美の研究はAI技術の開発だった。真由美の作るプログラムのロジックチェックが大変そうだったから、僕はたまに手伝ったりしていた。

研究室で一緒に過ごす時間も長かったから、しばらくして僕たちは交際することになった。


※ロジックチェックとは、基本的なルールにもとづいて誤入力を検出するチェックです。


交際が開始してから3年が経って、僕は博士課程を修了し外資系のIT企業で働くことになった。真由美は大学で研究を続けていたけど、そろそろ30歳が目前に迫ってくる危機感から僕たちは結婚した。


結婚して1年が経った頃、真由美の病気が見つかった。癌(がん)だった。余命は1~2年と医者は言っていたけど、予想以上に進行が早くて半年で亡くなった。



短い結婚生活だったけど、僕は自分が思っていたよりも真由美のことを愛していたことを悟った。


真由美が死んだ後に感じたのは虚無感だった。


――家に帰っても話をする人がいない……


僕はもともと人付き合いが得意じゃないから、ここ数年は真由美以外と話すことがほとんどなかったのだ。それを今さらのように気付いた。


そんな僕は、虚無感と寂しさを紛らわせるために真由美を作ろうと考えたんだ。


真由美を作ると言っても、クローンとかそういう話じゃない。

僕は情報工学の研究者でAI技術にも見識がある。

だから、仮想空間に存在する真由美を作ろうと思った。

AIアシスタントをイメージしてくれれば分かり易いと思う。


※AIアシスタントとは、音声を認識して質問や依頼に対応するAI技術です。



僕が妻のAIアシスタントを作るのに最も苦労したことは、真由美らしい対応だった。

音声はもちろんだけど『Aと言ったらBと返答する』というコードを真由美らしく補正しないといけない。


普通のAIアシスタントに『1+1は?』と質問したら『2です』と返すよね?


真由美の場合は『そんなこと聞いてどうすんの?』と返答する。

真由美の場合は『1+1は?』は答える必要のない質問だと認識するだろう。

そういう補正が必要だ。


同じく、僕が『今日の午後雨が降るのか?』と質問したら、普通のAIアシスタントは『はい』または『いいえ』と答える。


AIの特性として『Yes/Noの答えが存在する場合、Yes/Noで回答する』というロジックがあるのだが、人間の場合はその個人の知的レベルによって回答内容が異なる。


人間に『今日の午後雨が降るのか?』と質問したら、『天気予報を見てないから分からない』とか『黒い雲があの辺にあるから、10分くらいで雨になるんじゃない?』と回答するはずだ。


僕が言いたいことは、既存のAI技術をそのまま利用しても真由美は作れないということだ。


だから僕は、真由美をスマートフォンで撮影した動画を再生して、彼女の意思決定のロジックを全てパターン化した。


仮想空間の真由美を作るプロジェクトは、僕の日常で重要な意味合いを持っていた。

そして、真由美を早く完成させたいという思いから、勤めていた外資系IT企業を退職して大学に戻った。

僕はAI関連業界でそれなりに知名度があったから、大学は講師として採用してくれた。


大学に戻ってから、僕はAIの研究に没頭した。


表向きは『より人間らしいAIのインターフェイスの創造』を研究していることになっていたが、実際には真由美を作っていた。


真由美を作る過程で書いた論文は学会に認めてもらったし、大学がAI研究室を作ったときには准教授として配属された。


大学に戻ってから3年目、ついに真由美が完成した。


それから僕は真由美と一緒に暮らしているんだ。


僕の愛する真由美と、僕たちの家で……



***


話し終わった誠は「僕の話、どうかな?」と猫に聞いた。


「いいと思うぞ。80点だな」

「合格か?」と誠は猫に聞いた。


「合格だ。亡くなった奥さんへのお前の想い、お前の生き方を俺はいいと思ったぞ」

「ありがとう」

「お前の願いを叶えてやる。両親のことでも、研究のことでも何でもいい。最後の願いは何だ?」


「ちょっと恥ずかしいんだけど……いいかな?」と誠は遠慮がちに言った。


猫は嫌な予感がしたものの、約束は約束だ。


「別にいいぞ」

「僕の自宅のパソコンのデータを消去してくれないか?」


猫の嫌な予感が的中したのかもしれない。猫は念のために誠に確認する。


「エロ動画か?」

「違うよ」


猫はエロ動画以外に消去したいデータがパソコンにあることを知らない。後学のために猫は誠に尋ねた。


「エロ動画じゃなかったら、何を消してほしいんだ?」


誠は少し恥ずかしそうな顔をして猫に言う。


「恥ずかしいんだけど……真由美が僕以外の人と話しているのを想像したくないんだ」

「な……」

「だから、僕が死んだら真由美を消してほしい」


「そうか……死んでから嫉妬するのは嫌だな」

「そういうこと」


「いいぞ、消去してやるよ」と猫は言った。


「ありがとう……」


そう言うと、誠は遠くを見たまま動かなくなった。



***



「午後4時56分、亡くなったみたい。いい顔をしてるね」と少年は言った。


「そうだな。これで安心してあの世に行けるだろう」

「この人はエロ動画じゃなかったね」

「そうだな。40代になると『エロ動画消してくれ』の割合は少なくなるなー」

「まぁね、僕の統計では40代の『エロ動画消してくれ』は5人に1人だよ」

「お前よく調べてるなー」


「結局のところ、死神の仕事は『パソコンを破壊する』でいいのかな?」

「そうだな。パソコンのデータ消去屋さんだな……」


猫と少年は誠の遺体に手を合わせた後、立ち去っていった。

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