第28話 馬鹿かな?

 私は重く大きくため息をつくと、身をソファーに沈めた。


「レイヴァン、すみません。ここで重いため息を落として空気を悪くするのは止めてもらっていいですか」


 何気なく視線をやると、仕事机で頬杖を突いている機嫌の良さそうなアルフォンスがいた。それもそのはず。本日はいつものような書類の山に囲まれていないからだ。


「今何か言ったか?」

「だからぁ。ようやく書類の山から解放された僕の部屋で憂鬱そうなため息をつくのは止めてもらえる? って言ったの。せっかくの一息が台無しだよ」

「そうか。終わったのか。それは遺か――お疲れ」

「今、遺憾に思うと言いかけた?」

「お疲れと労ってやっただろ」


 彼は苦笑いしながら机から離れて向かいのソファーに腰かけた。


「あ、そう。じゃあ、その言葉を素直に受けよう。ありがとう。だけど君のほうがお疲れの様子だね。昨日はせっかくの休みだったのにゆっくりできなかったんだ?」

「昨日は宝石商が来た」

「ああ。クリスタル王女のために呼んだんだよね? 喜んでいた?」

「……宝石商が来るまでは微笑んでいて少し楽しそうにもしていたが、彼が来てからは終始浮かない表情だった。宝石商が帰った後も、ずっと沈み込んでいた」


 どれにしようかと目移りして悩んでいるのではなく、まるで正解を導き出すように真剣に考え込んでいる様子だった。焦りさえ見えるその様子は痛々しいまでに。


「レイヴァンは助言してあげなかったの?」

「私に女性の装飾品なんて分かるわけがないだろう」

「ああ。だよね。想定内すぎる答えだった。でもさ、王女は困っていたんじゃないの?」

「なぜ困るんだ? 自分が好きな装飾品を選べばいいだけだろう」

「これだよ……」


 アルフォンスは額に手をやると、疲れたようなどんよりした目を向けてきた。


「妻として入ったとは言え、シュトラウス家に来たばかりの人間が早々に散財できるとでも思う? まして喜んで迎えられた結婚でもないのに」

「だから彼女は真剣に思い悩んでいたと?」

「もしレイヴァンから見て彼女がそう見えていたんだとしたら、そうだろうね。自分が好きなものを選ぶだけでいいなら、そんな浮かない表情で悩まないでしょ。当然、値段のことも考えていたと思うよ」

「そう言えば」


 視線を横に流して昨日の彼女の様子を思い出す。あの時の彼女は茫然とした様子で青ざめて気がする。


「何」


 感情のこもらない淡々としたアルフォンスの物言いに視線を正面に戻すと、彼はなぜか呆れと軽蔑を含んだような半目で私を見ていた。


「何だお前。顔怖いぞ」

「いいから何」

「ああ。彼女が選んだ宝飾品が最高級品だと宝石商から伝えられた時、強ばった表情をしていた。あれは高いものを選んでしまったと思ったからなのか?」

「これまで聞いたところの王女の言動で判断すると、おそらくそうだろうね。――で? その時の君は一体何をしていたのかな? 当然ちゃんとフォローしていたんだよね?」


 アルフォンスは笑顔で尋ねてくるが、なぜか彼から圧を感じる。


「え? あ。いや。彼女が選んだものは、値段自体は高いらしいんだが、他と比べて控えめな装飾だったからそれに合わせた耳飾りも必要じゃないかと考えていた」

「ふむふむ。それで? 君は当然そのことを王女に提案してみたんだよね?」

「いや。女性の装飾品のことも分からない私が口出すのはどうかと思い直して止めておいた」

「うん。なるほどなるほど。君は――馬鹿かな!?」


 もう耐えきれないと言った風にアルフォンスは私を罵倒してきた。


「おい。いきなり人を馬鹿と呼ばわりとは一体どういう了見だ」

「いきなりじゃなくて、もしかしたら君は馬鹿かなと僕はずっと考えていたよ!」

「だとしたら、もっと質が悪いだろ」

「だって事実、馬鹿なんだから仕方がないでしょ。彼女が思いの外、高いものを選んでしまってショックを受けているのに、フォローも無しなんて最悪だよ。耳飾りのことを考えていたって言っていたけど、どうせその時も難しい顔をしていたんだろうし? きっと君が怒っていると思ったに違いないよ」


 立て続けにガンガンと口攻撃されて防御する間もない。自分の顔だから見えるわけないだろと、やや弱気で反論することがやっとだ。


「とにかく今日帰ったら、昨日から考えていたけどやっぱり胸元の飾りだけでは寂しすぎるからネックレスと合わせた耳飾りも用意してもらうことにしよう、って言うんだよ。分かった!?」

「あ、ああ……分かった」


 アルフォンスの勢いに押されたまま私は頷いた。


「まったくもう、子供じゃないんだから。だけどいくらレイヴァンが女心も分からない鈍感馬鹿だったとしても、いつもならもうちょっとくらい配慮できているんじゃないの?」


 鈍感馬鹿と言われたが、もう反論する気も起こらない。

 私は一つため息をつく。


「少し気になることがあった」

「気になること?」

「ああ。彼女が初めて来た日、彼女の荷物をすべて検めたんだが、その中で一つ入浴直前まで身に付けていたものがあったんだ」

「服?」

「それは当たり前だろう」


 ようやくここで彼に呆れの目をお返しすることができた。


「そうではなくて、青い石がはめられた指輪を通したネックレスだ。昨日も大事そうに服の上から触っていたようだったから、青い石にするかと尋ねたんだ。すると彼女は首を振った」

「……だから?」

「もしかしたら大事なものなのかもしれないと思ってな」

「はっきりしないな。何が言いたいの?」


 訝しそうにアルフォンスは眉をひそめる。私は何となくきまりが悪くなって視線を横に流す。


「つまり男に、元婚約者にでももらったものかもしれないと。青い石はそれだけでいいという意思表示かと」


 急遽決まった政略結婚だ。二国間の和平のために二人は引き離されたのかもしれない。


「あー、なるほど。それが気になって集中できなかったと。男からもらったものかもしれないネックレスを大事そうにしている彼女が気になったからと」


 むかつくことに、アルフォンスはそう言いながら不敵な笑顔を向ける。


「女性の装飾品が分からなかったので口出さなかったのは本当だ」

「はいはい。分かった分かった。君がそう言うのならばそうなんだろう。うん。そういうことだ」

「……思ってないだろ」


 ぼそりと低く呟くと、今度はくすりと穏やかな表情で彼は笑った。


「互いに敵意見せながら生きていくよりずっと健全だと思うよ。まあ、二国間平和のためにもフォローよろしくね」


 悪戯っぽく片目を伏せる彼に私は善処すると答えた。

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