第23話 暗殺は笑いで

「何なんだ一体」


 アルフォンス相手に思わず荒々しい言葉になったことは否めない。


「はぁ? いきなり何なの?」


 のろりと重そうに顔を上げた今日の彼は覇気がない。麗しい王子とはどこへやら、彼がまとう空気は闇の気でも発していそうなくらい不穏で、瞼が半分落ちかかっている。相変わらず積まれている書類が原因だろう。


「彼女、クリスタル王女は魅了使いの妖精か何かなのか!?」

「はあぁぁっ!? レイヴァン、頭大丈夫!?」

「いや。お前の顔のほうが大丈夫かと言いたくなるが」


 段々と剣のある顔つきになってきているような気がする。しかし、もちろん手伝おうかという選択肢すら自分の中にはない。


「うん。まあ、大丈夫だよ。ちょっと休憩したいところだったからレイヴァンの話を聞いてあげる」


 仕事机から離れて彼はソファーへと腰かけると身を乗り出した。いつもの彼に戻ってきたようだ。


「それで? 魅了使いの妖精が何だって?」

「誰がそんなことを言った?」

「君だよ。何なら忘却の魔術もかけられたかもね」

「ああ――そうだったかな。いや、そうだ。昨夜、皆が寝静まった頃に彼女が部屋から抜け出したんだ」


 書斎から自室へ戻ろうとしていた廊下に出た時に彼女を見かけた。


「それで不審に思って彼女を呼び止めた」


 可哀そうなくらい跳ねていた姿が思い出される。慣れぬ夜の屋敷内は彼女にとってさぞかし怖かっただろう。


「そこで彼女は言ったんだ。ミジュ、ホシッと」


 私は頭の痛みを感じて思わず額に手をやる。


「は? 何?」

「彼女は覚えたばかりの片言のサンティルノ語で水が欲しいと言ったんだ」

「……なるほど?」

「分かっていないだろ! ミジュ、ホシッだぞ。あの容姿でミジュ、ホシッだぞ!? 妖精と呼ばずに何と呼ぶ!?」

「知らないよ! ってか、レイヴァン、テンション高すぎだから!」


 アルフォンスにたしなめられて、はっと我に返った。なぜ自分はこんなことを力説しているのだろうと。


「悪い。少々取り乱した」

「さては混乱の魔術もかけられたな。というかさ、僕は王女がどんな容姿か知らないからね。でも、とにかく君は王女の『ミジュ、ホシッ』に魅了されたってわけだ」

「そうは言っていない」

「じゃあ、そんな彼女は魅力的ではなかったんだ」

「そうも言っていない」

「……ねえ。このくだり必要だった?」


 アルフォンスは苦笑いし、私はソファーに背を任せて大きくため息をつく。


「何というか戸惑っているだけだ。これまで周りにいた女性とは違うから」

「まあ、それはそうだろうね。これまで君の周りにいた女性が君に求めていることと言えば、君のお綺麗な容姿だとか、公爵夫人の座だとかだもんね。レイヴァンに水を求めた女性なんて初めてだっただろうね」

「それもあるが、控えめで王女としての品格がある割にはどうにも彼女は世間慣れしていない印象がある。見知らぬ異国に来たというのが大きいのかもしれないが」

「それ以前に、祖国でも公の場に姿を見せなかったんでしょ」

「……ああ。そうだったな」


 彼女にまつわる噂は何だったか。私はソファーから身を起こして考える。

 確か、容姿に自信がないだとか、人嫌いだとか、公務を嫌う我儘王女ということだっただろうか。しかしどれもしっくり来ない。強いて言えば、病弱が一番理解できる。まだうちに来てそんなに経っていないとは言え、食事量はなかなか増えず、線の細さは改善されていない。昨日の夕食時はどこか元気がない様子も見られた。――ただ、今朝は緊張が解けた様子で微笑も見られたし、少しは食べていたか。


「そういえば気になることがあったな。深夜、水を欲しがったから一緒に厨房へ行ったんだが」


 あの時は私が水を取りに行くから部屋に戻れと説明できなかったから、一緒に来るよう仕草で促したら理解したようだった。


「そこで、彼女が空腹でお腹を鳴らしたんだ」


 彼女は頬はおろか、耳まで赤く染め、両手でお腹を押さえていた。厨房の明かりをつけたことは幸いだった。……いや。幸いの意味が分からない。


「え? 何で? 食事は自らの意志で食べるのを終えているんでしょ?」

「ああ。その時はお腹が一杯になったと言っているようだ」

「王女はサンティルノ国で食事を取ることに警戒をしているのかな」


 アルフォンスがその表情を真剣なものにする。気付けば私は、彼がクリスタル王女に抱く不信感を払拭するために口を開いていた。


「いや。その割にはホットミルクを用意した時は、何のためらいもなくすぐに口にしていた」

「ん? 誰がホットミルクを用意したって?」


 引っかからないでいい所で彼は目ざとく引っかかって来る。


「私だ」

「誰だって?」

「……私だ」

「念のために再確認しよう。君がホットミルクを王女に用意したと?」

「そうだと言っている」


 ああ。嫌な予感しかしない。私は彼から視線を外した。すると。


 ――ぶはっ!

 アルフォンスは盛大に吹き出した。

 知っていた。こうなることは。


「ああいや、失礼。そうかそうか。君がホットミルクをね。そうか。ホットミルクを君がねえ! ――あああぁぁっ。駄目だ、ごめん。やっぱりレイヴァンが甲斐甲斐しくホットミルクを作る姿は予想外すぎるよ! やばい可笑しすぎる!」


 そう言ってお腹を抱えて大笑いする。


「と、というか君さ、最近、僕の暗殺を考えていない!? こんなの笑い死ぬわ!」

「アルフォンス、お前が王太子で良かったな。そうでなければ今頃、笑いで捻じれた自分の腹を真正面から見ることになっていたと思うぞ」

「わあ。こわーい! それは謀反かな? そして君が代わりに王座に就く?」


 ようやく笑いが収まったらしいアルフォンスは、言葉とは裏腹に怖がる様子もなく、にっこりと笑った。一方、私は大きくため息をつく。


「そんな面倒な席に座ってたまるか」

「そう。残念だな。レイヴァンにもあの山のような書類を処理する苦しみを感じてほしかったのに」

「だとしたらお生憎様だったな」


 アルフォンス相手に皮肉っぽく笑ってみせたが、ふと彼女のことを思い出す。昨夜は初めて見せた彼女の笑顔に自然とつられた。


「レイヴァーン、何思い出し笑いしてんの?」

「黙秘権を行使する」


 適当に流してもいいのにそんな風に答えると、彼は意外そうに目を丸くする。


「そう。まあ、いいけどね。さっきの君の話は僕も気になるから、こちらでも王女のことをもう少し詳しく調べさせるよ」

「ああ。よろしく頼む」


 私は彼女のことをもっと知らなければならない。そんな気がした。

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