第13話 面白い話
私はため息をつきながら、アルフォンスの執務室のソファーへと深く身を沈めた。
「レイヴァン、今日は眉間のしわが三割増しになっているよ。一体どうしたの?」
呑気そうな彼の口調が癇に障る。しかし一方で、今日はひと際、彼の机でゆらゆら揺れている書類の山を見ると少し溜飲が下がった。その量のせいか、今日の彼はペンを机に置かず、席からも離れない。
「頭が痛いんだ」
「そう。お疲れ。じゃあ、その面白そうなことを早速報告しようか!」
睨みつけてやったが、視線を落としてペンを走らせている彼には効果がない。
「昨日、クリスタル王女の専属侍女から要請と質問があったんだ。まあ、実際にはクリスタル王女からの要請ということだが」
昨夜、相談したいことがあると、クリスタル王女は専属侍女を伴って私の部屋を訪ねてきた。廊下で話は何だからと部屋に招き入れた。
「ちょっと待った。クリスタル王女って、君が呼ぶのはおかしいんじゃない? 君の妻になったんだし」
「まだ結婚式は挙げていないし、おかしくはない」
「ふむ。まあ、いいや。続けて」
彼は書類に視線を落としたまま不遜に先を促す。今日の彼は王太子として真面目に仕事を取り組んでいる。と言うより、さすがに毎日積み上げられる書類の山に焦りを感じているのか。
「まずは専属侍女の仕事の一つとして、クリスタル王女にサンティルノ語を教えることを加えてほしいと」
侍女の仕事内容については侍女長にすべてを任せている。専属侍女とは言え、それ以外の仕事も与えられているようだ。クリスタル王女は専属侍女が今以上に自分に時間を割くことで、専属侍女が他の侍女からの反感を買うことを懸念したのだろう。彼女を慮っての要請ということだ。
……つまり思いやりのある人物ということか? となると、我儘王女という印象とは異なる。
「それはいい傾向なんじゃない? 彼女自身もサンティルノ語を学んで、今の生活に馴染んでいこうとする意志が見えるし」
「――ああ。だからその旨を侍女長に伝えておいた。ちゃんとした言語学者を付けようかとも思ったが、クリスタル王女は侍女のほうがいいようだ。これ以上、知らぬ人間が増えるのもつらいだろうから承知しておいた」
「うん。それで? 面白いほうは?」
そんな時だけ顔を上げて尋ねてくるアルフォンスに眉がぴくりと上がる。
「頭が痛いほうだ」
私は一度訂正を入れた後、続ける。
「結婚式はいつかと尋ねられた」
「ああ、そういえばそうだね。結婚式はいつ頃挙げる予定? 急遽決まった政略的な結婚だから、準備不足だと言えば言い訳が立つし、そう急ぐこともないけど」
「私もそう思っていたが、彼女は二国間の和平のためうんぬんと言っていた」
侍女が話すことには、クリスタル王女はグランテーレの国王陛下にそう諭されて送り出されてきたようだとのことだった。彼女の意志はそこにないだろうと。深い意味も分かっていないようだと。
「なるほど。彼女の言っていることは間違ってはいないね。そのための政略結婚だったわけだし」
アルフォンスは、指にペンを挟んだままの手を顎に当てながら頷いた。
「で? 君は何と答えたの?」
「ドレスが準備できていないどころか、採寸も終わっていないし、そもそも結婚とは神の前で誓うんだ。サンティルノ語も分からない状態では当分先だな、と」
我ながら苦しい言い訳に、アルフォンスはぷっと吹き出した。
「神をも恐れぬ天下のレイヴァン・シュトラウスを知っている人間なら、到底納得できない台詞だ。君のことをまったく知らない人で良かったね」
同意すべき所だが、素直に頷きたくない。
「それで? 話はまだそれで終わりじゃないんでしょ?」
「……ああ。では」
私はうんざりしながら前髪を掻き上げる。
「それでは初夜はいつ頃になるかと」
「――は!? 何それ、何それ! レイヴァンをろーらくしようと勇みやって来たってわけ!? それは確かに面白いね!」
目を興味津々に輝かせた彼はとうとうペンを放り出し、私の向かい側のソファーへ座った。
「そんなわけがないだろう。侍女も一緒だったんだぞ」
それ以上に、クリスタル王女の表情は真剣そのものだった。おそらくそのことも国王から言いつけられてきたに違いない。先の侍女の台詞、彼女の意志はそこにないだろう、はまさにそれにも当てはまるはずだ。
顔を赤らめて額からの汗を伝わせながらあたふたと説明する侍女がふと思い出される。あの時は確かに彼女もクリスタル王女の被害者であり、私の同志でもあった。
思わず遠い目になる。
「それでレイヴァンはどう答えたの?」
「侍女が先に事情を説明してくれていたらしい」
「何と?」
「王女の体が華奢だからだと。体力がない王女だから延期されているのだろうと。……彼女はよく分かっていないようだったらしいが」
私は目をすがめた後、彼からふいと視線を逸らした。馬鹿にされるのは目に見えているからだ。案の定。
「――ぶっ、はははははっ! やばい、その侍女最高!」
アルフォンスは吹き出した後、お腹を抱えて大笑いした。そのまま笑いながらソファーへと横たわる。
「あ、ちょっ、やばっ。お、お腹がねじれて痛い! こ、このまま僕が笑い死んだらどうしてくれるの!? 国の一大事だよ!?」
「知るか!」
ふてぶてしく足と腕を組んで睨みつけると、ようやく笑いが収まったらしい彼は起き上がった。笑いのあまり出た涙を手の甲で拭いながら。
「それで王女は納得したの?」
「納得と言うか、とにかく国家間の和平を懸念しているようだったから、それについては問題ないと伝えておいたら少し安心したようだ」
初夜の実態が分かれば、彼女だって愛してもいない男を相手に経験したいわけではないだろう。ただ責務としては果たさなければと思っていただけで。
「とりあえず彼女が好きな食べ物や好みの味を探るよう、急務で侍女に指示を出しておいた」
「何それ。どれだけ抱きつぶすつもりだよ」
「お前こそどういう言い方だ」
「だって太らせた後で食べるってことでしょ? やっぱりレイヴァン、野獣じゃん」
「その発想こそ野獣だ」
人聞きの悪いことを言って笑う彼を睨みつけながら反論した。
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