第18話 お料理の味
「トるヴェすとマイヤー。……ア、アむーるレイヴァン」
緊張しながらサンティルノ語で行ってらっしゃいませと、レイヴァン様を玄関でお見送りすると、彼は何か呟きながら頷き、モーリスさんとともに外へと姿を消した。
昨日も耳にした言葉なのでマノンさんに尋ねたところ、同意する時に使われるいわゆる、ああ、という言葉に当たるらしい。ただし、主に男性が使う言葉なので女性は、まして貴婦人は使わないようにとのことだ。女性が同意する時に使う、ええに当たる言葉は別に教えてもらった。
「お疲れ様でございました、クリスタル様」
部屋に戻って一息ついた私にマノンさんは優しく声をかけてくれた。
今日の私のお見送りの位置は玄関口に近い、侍女さんが並ぶ列の先頭だった。モーリスさんに誘導されたのだ。もし今後もお出迎えしてくれるのならば、この場所を定位置にしてほしいということらしい。
「ありがとうございます」
「本日午後からのご予定ですが、仕立屋さんが見えますので、採寸となります。その際、ドレスの色や形も選んでまいりましょう」
「はい」
「今はとても細くいらっしゃいますが、少しずつ食事量を増やしてこれからふくよかさを出していきましょうね。ですから少し余裕を持ったドレスをお考えいただくことにいたします。ところでその後のお食事はいかがでしょうか。昨日はお食事中、上の空のご様子でおられましたが」
確かに昨日はレイヴァン様に失礼なことをしてしまったことがあって、美味しいですと定型文のように生返事ばかりしていた気がする。
「それが昨夜は、いえ、今朝も申し上げなかったのですが」
「はい。何でもおっしゃってください」
「ええ。全体的に味が……薄くなっているのです」
「え?」
「初日に頂いたものと比べると格段に味が薄くなっていたのです。味の深みとでも申すのでしょうか。わたくしは昨日の好みの調査の時に濃厚で美味しいと申したと思うのですが、もしかしたら意味を間違って受け取られてしまったのでしょうか」
するとマノンさんは表情を硬くした。
「マノンさん?」
「――あ。いえ」
彼女は、はっと表情を緩めると無理矢理笑顔を作ってみせる。
おそらく思い当たる節はあったものの、あまり良いことではなかったようだ。
「マノンさん。きちんと伝わらなかった可能性がありますし、もう一度ミレイさんたちにお伝え直ししましょうか」
「そうですね……」
マノンさんは顎に手を当てて少し考えた後、首を振った。
「――いえ。クリスタル様、料理長に直接味の変更を訴えませんか?」
「え?」
なぜ料理長に直接話をすることに……ああ。
もしかしてマノンさんは、ミレイさんらが信用できない何らかの確信めいたものを持っているのかもしれない。彼女らが私に対して良い感情を抱いていないということくらいは、私にも分かっている。
「そう、ですね」
私はマノンさんの提案を飲むことにした。
ミレイさんらが信用できないと私の気持ちの中で定まったわけではない。ただ、わざわざ本人たちに悪意かどうかを確かめに行くことはないと考えたからだ。
「分かりました。そう致します」
「はい、そう致しましょう! そうと決まれば、さあ、これから会話の練習ですよ!」
「え? わたくしが料理長にお話しするのですか?」
「ええ、もちろん! 会話の練習にもなりますし、直接伝えられたほうが思いが伝わりますよ」
「そうですね。では先生、よろしくお願いいたします」
私は両手を膝に置き、ぴしりと背を正すと頷いた。
何度も練習を繰り返した後、私はマノンさんとともに厨房へと向かった。
もうお昼の準備を開始しているのだろうか。それとも夕食のためにも何か仕込んでいるのだろうか。怒号が飛び交う中、何人かの料理人が忙しなく動いているのが厨房の外からも見て取れた。これは後にしたほうが良いかもしれない。
「クリスタル様、あの方がここの料理長、ヘルムートさんです」
マノンさんが指さす方向にいた男性は、レイヴァン様よりも背が高く、がっしりと体格のいい方だった。少しつり上がった目と太い眉が意志の強さを表している。恰幅の良さから、もし彼が騎士団長だと紹介されればなるほどと誰もが納得するに違いない。
「ではクリスタル様――行ってらっしゃいませ!」
とんと軽く背中を押され、覗き込んでいた私は前のめりになって、嫌でも厨房に足を踏み入れてしまった。
「わ、わたくし一人でですか?」
びっくりして振り返ると、マノンさんは目の届く範囲ではあるが、少し距離を取った所まで避難していた。
……避難?
ふと浮かび上がった自分の考えに疑問を持つ。すると不意に低い声が降ってきて、私の足下が大きく陰った。
マノンさんはちょいちょいと私の背後を指さし、もう予感も予想も何もないが、振り返った先にいたのは当然ながら料理長のヘルムートさんだった。
大きい、想像以上に大きい。見上げる首が痛みを伴うくらい大きい。
忙しい最中に私がやって来たせいかもしれない。不機嫌そうにこちらを見下ろす彼に圧倒される。けれど圧倒されている場合ではない。当初の目的を果たさなければ。
しかし最初に声をかけてくれたのは彼のほうだった。
「アメースクリスタル?」
ヘルムートさんからの呼びかけに頷いて礼を取る。はじめまして、を習うのを忘れていた。伝えたいこと、伝えなければならない言葉がいっぱいだ。
それでも、まずはつたないサンティルノ語で、いつもお料理をありがとうございますということを伝えてみたところ、何とか通じたようで彼は頷いた。
ほっとした私は続いて、現在の味をもっと濃くしてもらうようお願いしてみた。
最初に食べた時の味にしてというには、言葉が難しくて難度を下げた言葉にしてもらったのだ。それでもきっと、料理、もっと、濃くして、くらいの片言さがあるだろうと予想される。
自分の料理の味を否定されたと思ったのか、ヘルムートさんは嫌そうに眉をひそめたが、それでも頷いて了承してくれたようだった。
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