第2話 指令①犬耳帽をかぶらせろ?!

「えっ、犬になれって?」

 

 動揺する私の横で、アーロンは何故かキラキラとした満面の笑みを浮かべながらボーリーンを見つめている。

 

「僕が犬になって、クローディアのペットになるの? 面白そう!」

「そうよ!」 

 

 盛り上がる二人をよそに、私はひやひやしていた。

 親しく付き合わせていただいているとはいえ、二人は侯爵家の方達。

 子爵家風情の私とは身分が全く違うのだ。

 それなのに、侯爵家ご子息を犬扱いって!

 

「クローディア、色々考えてるのだろうけど、貴女のその症状は一人では克服できないわ。だからこの子をひとまず犬だと思って男性に慣れるのよ」

「そうだよ! 僕は全然犬でいいよ」

「えっ、あの、ちょっと待って······」

「じゃあアーロン。お互いの予定が合うときは原則毎日学院帰りにクローディアの家に行きなさい。それでクローディアに家族以外の男性と接することに慣れさせるのよ。貴男、トビィがいるから犬の真似は出来るわよね?」

「自信はあるけど練習する!」

「それでは決まり! クローディアもいいわね? アーロンなら元々幼馴染なんだし、他の人より怖くないでしょう?」

 

 たしかにアーロンは背の高いところは怖いけど、面差しは昔と同じ柔和な雰囲気のままなので、このくらいの距離なら大丈夫。

 でも問題はそちらではなく、侯爵家ご子息を犬にさせる方なのだけど、どうしてだか二人とも全く気にしていない。

 

「あの、ポーリーン。その、アーロン様を犬扱いはちょっと······」

「クローディア、犬好きでしょ? アーロンは犬。ね、この子のことは犬だと思うのよ! はい決定!」

「もうクローディアひどい! 僕のことだけ様付けで呼んでる! 僕はクローディアの犬なのに!!」


 ギブソン姉弟の怒涛の攻勢に耐えかねて、ついに私は大声を上げた。


「誤解を招くような発言をしないで下さい!」

  

 

   ◇   ◇   ◇

 

 

 結局ポーリーンに押し切られて、翌日から学院帰りにアーロンが我が家に立ち寄るようになった。

 アーロンとは同学年だけれど、彼は魔術科、私は淑女科に通っているため学院でもほとんど接点はない。

 

「これからよろしくね、クローディア。僕、今日から幼馴染をお休みして犬になるよ! ワン!」

「アーロン様、本気ですか?」

「本気も本気、大真面目だよ。だからクローディアも犬に様付けなんかだめだよ! アーロンって呼んでね。ワン」

 

 ポーリーンの考えた訓練はこうだ。

 学院帰りにアーロンが我が家に来る。

 アーロンはお茶菓子を買ってきてくれて、少し広めの応接間だとかで一時間ほど雑談をする。

 私が男性に恐怖心を抱かず普通に接することが出来るようになるために、アーロンは犬になる。

 ······なんで?




 

 初日はポーリーンからの手紙を渡された。


『アーロンを犬にするため耳付き帽を編んでほしい』

 

 ――え、なに、これ?

 

「これは司令官からの任務だそうだよ、ワン」

「そ、そうなの······」

 

 なので今は指示どおり、私は頭に犬の耳風な三角の付いたニット帽を編み、それをアーロンが少し離れた席から物珍しそうに見ているという構図だ。

 時々同じように手を動かしているので、自分でも編めるのか想像してるのだろう。

 はじめはアーロンに見られていると思うと手汗が滲み、体が固くなっていたけれど、編み物に集中し出すと徐々に気にならなくなる。

 犬耳帽の耳部分をどうしようかなどと考えを巡らす余裕まであったほどだ。

 

 

 そうして約束の一時間が過ぎたが、犬耳帽はまだ三分の一くらいしか編み上がっていない。

 

「今日中には終わらなかったわ」

「じゃあまた明日ね! 僕の犬スイッチは帽子被ってからだから! ワン」

 

 ······犬スイッチ?

 

 

   ◇   ◇   ◇

 

 

 二日目。

 犬耳帽製作の続き。

 アーロンは『ペットに癒しに〜かわいい犬と猫〜』を読みながら、時々話しかけてくる。

 

「犬は服従するとお腹を見せるんだって。トビィは郵便配達人にも見せちゃうよ。ワン」

 

「犬が体を擦り付けてくるのはその人の匂いが好きだからみたいだけど、そもそも犬って臭い匂いが好きなんだって。僕はどっちの理由でトビィにスリスリされてるんだろう? ワンワン」

 

 まるで緊張感のない会話で、一時間はあっという間に過ぎる。

 席も相変わらず離しているからか、変な手汗や動悸は出てない気がする。

 しばらく会っていなかったとはいえアーロンは幼馴染だったし、背は高いけれど大声を出したり男臭い感じがないから、思ったより大丈夫なのかも。

 

 ギブソン家の馬車は一時間で迎えに来るように指示されているようで、大体そのくらいの時間になるとアンから『侯爵家の馬車が到着されました』と声がかかる。

 

 根を詰めて編んでいたからか、指がちょっと固まってしまったみたい。

 凝りを取るように両手指を開いたり閉じたりを繰り返していると、アーロンが気づいて吹き出している。 

 

「子爵にご挨拶してから帰るから、ここでいいよ。クローディアまたね」

 

 アーロンは「ワンワーン!」と言いながら手を振って去っていった。

 

 

   ◇   ◇   ◇

 

 

 三日かけてアーロンの犬耳帽が出来上がった。

 耳がピンと立つように編み方に苦労した甲斐があり、なかなか可愛い仕上がりだ。

 特に三角の耳部分に詰め物をしたのが功を奏している。

 自分で試しているところをうっかり弟のティムに見られてしまい、ほしいほしいと騒がれてもう一つ編むことになってしまうアクシデントはあったものの、家族以外の男性であるアーロンと過ごす時間は驚くほど穏やかだ。

 

 



 今日はまたポーリーンから司令があった。

『犬に散歩をさせておいて』

 

 困ってアンに相談すると、不思議な顔をしつつも『お庭を散策されてはどうですか?』とアドバイスされたので、犬耳帽を被って犬スイッチONのアーロンとアンの三人で庭園を歩くことになった。

 

 ――アーロン、犬耳がとてもお似合いだわ······、美形って何でも着こなすのね。 

 

 

 庭園はアルバーティンの蔓薔薇アーチをくぐると、小さな明るい色の花達のゾーンとハーブやグラスなどで自然を生かした造りのゾーンとに分かれ、少し奥の四阿を建てているあたりにはお母様のお好きな薔薇が数種類植えられている。その先の小さな池の水回り近くには水仙など背の高い花達が咲いていて、四阿からは薔薇の先に光る水面とともに水仙が佇んでいる様が楽しめる。

 

「ワンワン!」

 

 アーロンが喜んで走り出した。

 貴公子然とした見た目だか、犬耳帽を装着したアーロンはいま犬なのだ。

 

「アーロン様、待って下さい! ······待って!」

 

 いくら呼んでもアーロンは止まってくれない。

 犬だから?

 じゃあ······

 

「アーロン、ストップ! 待て!」

 

 ピタッと止まったアーロン。

 ニコニコしながら私の到着を待って、頭を撫でてほしそうに下げている。

 

 ――これはやるべきかしら?

 

 飼い主の言うことを聞けた良い子だから、ということで、恐る恐るアーロンの頭を撫でた。

 ······触ったのは犬耳帽のところだけど。

 

「ワン! ワンワワン!!」

 

 犬として喜びを爆発させるアーロンの後ろをついてきていたアンは混迷を深めた顔を一瞬見せたが、さすが、すぐにいつもの表情に戻した。

 

「お嬢様、四阿でお茶のご用意をしてきますね」

 

 

 

   ◇   ◇   ◇

 


 

 お母様のお気に入りの四阿でお茶を摂ることにしたので、犬は一時お休みなのかと思ったらなんと続行するらしい。

 

 お茶を前にしてもニコニコしたまま動かない。

 動かない。

 ······もしかして、『待て』なの?

 

「アーロン、よし! お茶をどうぞ」

「ワン!」

 

 そうだったみたいだ。

 

 しばらくお茶をいただき、アーロンのおもたせスイーツを食べようとした時、またアーロンが鳴いた。

 

「ワンワン、アオーン」

「······取ってほしいのですか?」

「ワン!」

 

 アーロンが指差すクッキーを取り分け、お皿を前に置いてあげる。

 何だか本当に犬におやつをあげている気持ちになってきた。

 

 犬スイッチ中でも、さすがにクッキーは手で持って食べていたアーロン。

 よかった。

 

 


   ◇   ◇   ◇

 

 


 アーロンとの謎の交流再開に関して、家族に報告しようとしたのだが、『ポーリーンから聞いているわよ。あの子の結婚式のために何か計画してるんでしょう?』とお母様にあっさり返され、その話に乗っておくことにした。

 

 また婚約の話についても、『貴女が倒れてしまったこともあるから、ひとまず様子見にしましょうね』と猶予をいただいた。

 

 私は男性に苦手意識があって、身内以外の男性が近づくと恐怖を感じるということを改めてお母様に伝えた。

 政略結婚は使命だから受け入れるし、お相手様には嫌われないよう努力を怠るつもりはないことも。

 話している内に涙が出てきてしまい、お母様を悲しませてしまったけれど、お母様は私を抱きしめて落ち着くまで優しく肩を叩いて下さった。

 

「クローディア、大丈夫よ。だってガスター家の使用人達とは挨拶出来るでしょう? 貴女は人と親しくなるのに時間がかかるだけなのよ」

「そう、かしら······そうだといいわ?」

「そうよ、誰だって親しくない人のことは少しばかり警戒するし、触れられるのだって嫌だわ。特に貴女は淑女科に通っていて男性への免疫もないのだしね。貴女の引っ込み思案な性格だって素敵なチャームポイントよ」 

「ありがとう、お母様」

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