都市の中 窓の無い部屋
少女が廊下に立っていた。少女の目の前にはドアがあった。
コンコン。
ドアをノックする。返事はなかった。
ガチャッ―――
ドアを開けて部屋の中に入った。
「・・・・・・」
少女は部屋に入ると、中を見渡した。
部屋の内装は、ソファー、椅子、テーブルといった家具のあるいたって普通のものだった。
「っ!」
部屋の中に何かを見つけた。
少女の目線の先には、椅子に座っている一人の男がいた。
男は壮年で、その男の前には、客人用か、もう一つ椅子があった。二つの椅子の前には物がいくつか載るくらいの丸いテーブルがあった。
「・・・・・・」
少女が椅子に座っているその男を見た。その人には片腕が無かった。
少女が男の正面にあるもう一つの方の椅子の横まで歩き、止まった。
そして少し背筋を正し、男の方に正対すると
「あなたが、私の次のコマンダーですか?」
「そうだ」
少女が聞くと男が答えた。
しばらく沈黙があった。
「ここまでどうやって来た」
と突然男の方が少女に質問を投げた。
「歩いて。警衛に連れられて来ました。」
少女が答えると
「そうか。座りなさい」
男が自分の目の前にある椅子に着席を促した。
「いえ、そのようなことは・・・。おこがましいと思いますので。」
「構わない。座りなさい」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・そ・・・それでは」
少女は指示を聞くと、一人がけの椅子に座った。
「何か飲むかね?」
「・・・・いえ、お構いなく」
男は立ち上がると、部屋の奥にあった大きなテーブルの上にあるポットを取って、同じくテーブルの上にあるカップに紅茶らしきものを注ぎ始めた。
「紅茶は飲むかね」
「・・・・・・え? ・・・・・・紅茶ですか」
「ああ」
「・・・・・・・・・・えっと」
「・・・・・・」
男は自分のカップに紅茶を注ぎ終えると、テーブルの上にある銀色の入れ物を手に取って蓋を開け、角砂糖を入れ始めた。
「・・・・・・・・・・・・」
少女はただそれを見ているだけだったが
「どうする?」
「・・・!」
男に言われ、ハッとすると
「・・・・・・・・・はあ・・・。では・・・いただきます」
と言った。
言われて男はもう一つのカップを取ると、同じようにして紅茶を注ぎ始めた。
「・・・・・・」
その間、少女は部屋の中をぐるりと見渡すようにして観察した。
「・・・・・・・・・」
カップに液体を注ぐ音だけがする。
「これは入れるかね」
「・・・・・!」
再びハッとして少女が声のした方を向いた。男は紅茶が入ったカップを持って少女の方を見ていた。少女は、男の言った「これ」というのが角砂糖のことを指していることを理解すると
「・・・・・いえ、結構です」
と断った。
男が二つのカップを持って戻ってくると、一つを少女の前にある丸いテーブルに置き、一つを自分の前の丸いテーブルに置いた。椅子に座った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・ぇ・・・・・・・・・っと・・・・・・・・・・・」
男が口を開いた。
「体が強張っている。特に肩だ。緊張することはない」
「・・・・・・・・え? ・・・・・あ、はい」
「右腕の筋収縮が左腕より強い。右利きかね」
「・・・・・・・・・・はい」
少女が目を見開いて驚いた。
「”それ”だって情報だよ。君にはわかるかね?」
男が両手首を広げて、同じような”診断”をするように少女に問うた。
「いえ・・・・・私には。ですが必要なら覚えます」
と少女が言った時
「――――――?」
少女は男が何かを制止するように手の平をかざすジェスチャーをしているのを見た。
「・・・・・・・・・その必要はない」
「え・・・・・・・?」
「その必要はないんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あの・・・・・・・・どういう・・・・・」
男が目を細めた。
二人の前にある紅茶の入ったカップから湯気が昇る。
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
男は目線を下げ、何かを見たまま静かになると、それを見た少女はなにをしていいかわからず沈黙した。
すると男が
「時に––––––」
と話し始めた。
「地獄とはなんだ」
「・・・・・・。」
突然の質問に、少女が頭を急速に回転させて考えた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
回転させて考えたが、よく分からなかった。
「・・・そこにいるとツラい場所のこと・・・・ですか?」
「違う。地獄とは創造性のない場所のことだ。では天国とは」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
突然飛んできた質問に再び頭を回転させるも、やはり分からなかった。
「いえ・・・・・・・・・」
少女が正直にそう答えると
「天国とは余白のある場所のことだ。余白とは―――――――――人間に置き換えて言うのであればそれは心の余裕のことだ。『余白』とは創造性を持つ人間の創り出す創造物の中での、最高傑作の内の一つだ。」
そして––––––、と言葉を区切った。
「人生とは不安な要素を取り除いていく作業のことだ。そして人生の目的の一つは言うなれば先述の『余白』をもつことにある。」
少女の前にあるカップから湯気が出ている。
男はカップを持つと、紅茶を啜った。
「ある日道で倒れてみた。確認をしたくてね。するとどうだったか。道行く人たちはその倒れた人を見ることはせず、おそらくパーティーの仲間たちと思われる者たちと会話に華を咲かせて笑いながら通り過ぎて行く。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「いや、違うんだ」
「え・・・・・・・・」
「彼らは倒れたその人を無視したわけではない。もはや彼等はその倒れた人を認識自体出来ていない。おそらく都市から供給される「楽しさ」に脳が追いつかなくなっている。」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「この都市の特性を知っているか」
「『呪い』、ですか」
「そうだ。都市に入ってくる時に都市はこの世界にやって来た者を過度に『褒める』。もっともらしい集団に入れ、承認欲求を満たし、考える能力を奪取する。そして継続的にその承認欲求を満たしていくために、褒められていることを数字に置換したそれを定期的に表示するようにしている」
「・・・・・・・・・・・・」
そして、と男が言葉を続けた。
「恐ろしいことに現実では誰かが誰かを褒めるという行為は行われていない。ただ完全に形式化されたシステムによって、増減させられた数値が送られてくるだけだ。これらシステムは、人が「不安」と呼ぶそれを、脳が認識し処理することを出来なくしている。状態はうつ病の真逆と言ってもいい。『都市』と呼ばれるここで発生しているこれは症状であり、意図的に起こされていることからこれは事件でもある。もちろんその状況自体の発端となり、そうなる許可を出したのは彼ら自身でありそれが彼らが殺されるべき理由の一つだがね。そして荒野に住む者達はそれを理解している。故に荒野に住む者たちは都市に住む者たちに簡単に殺意を向けることができる。」
「・・・・・・・・・・・・」
「ここは、真に弱者である人間が寄せ集まった『弱者の街』だよ。様々なことが外の人間に劣る。しかして都市では人はなにも悩むことはなく、「楽しさ」が溢れている。ただ与えられたものをこなしていさえいればいいのだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
と、ここまで沈黙し、話を聞いていた少女が口を開いた。
「その・・・・・・つまり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・その・・・・・・・・・」
少女は考えると
最終的に
「・・・・・・・・・・私は何をすればいいんでしょうか」
と目の前の男に問いかけた。
「君はクビだ」
「・・・・・・・・・え」
「理由は君は自由だからだ」
「・・・・・・・・・・・・」
目を丸くした。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっと・・・・・・・・」
未だに男の言っていることが理解できずに少女が呆然とする。
「もういいだろう」
男が言う。
少女は困惑していた。
「もうこんなところでくだらないことをするのはよしなさい。君に都市は必要ない。やりたいことをやるといい」
「・・・・・・・・・・・・」
「私もすぐにここを出る。君も準備を」
男が丸テーブルにカップを置いた。
そして立ち上がると、部屋の奥まで行きそこにあったクローゼットを開けた。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
少女が面食らった顔をしてそのコマンダーを見た。
「なんでこんな人間が都市にいるのか、か? 私は都市の人間ではない。私は都市ができる前からここにいた。そこに都市ができただけだ。」
「・・・・・・・・・・」
「私は、ただ生きるためだけにシステムに入り、配給されるものを受領し続けていた。君と同じだよ。ただ君が違うのは、自分の意思で今の役回りになったわけではないということだ。」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・隣の部屋に何があるかわかるかね」
クローゼットの中についている箱からなにか道具を取り出しながら作業をしている男の方から、少女にまた質問が飛んできた。
少女は気を正してすぐに答えた。
「・・・・・死体ですか。たくさん」
「そうだ。どうしてわかった」
「床が擦れて形が少し変わっています。私が座っているこの椅子からあの部屋にかけて。幅が人と同じぐらいなので人を引きずった跡・・・、ですか?」
「そうだ。ここに来る者で、呪いにかかっていない者が現れるまで、私は私に会いにこの部屋に来ることになった者を漏れなく殺し続けることにしていた。だが・・・、しかしそもそも都市の中でそんなやつが現れることはない、この作業に終わりが来ることはないだろう、と、そう諦めかけていた・・・、そこに君が来た。」
男が身支度を整えた。そして着た生地が厚い服のポケットからリボルバーを取り出すとクローゼット付近の棚の中から弾薬を取り出し、衣服に詰めた。リボルバーのシリンダーを出して全ての薬室に六発分の弾丸が装填してあることを、ジャララララ! と回転させて確認し、リボルバーを右に振る勢いだけでシリンダーを元に戻した。
少女は依然として呆気に取られた顔をしていた。
今まで自分が進んできた暗黒の人生が突然ほとんど真逆に変わったことに頭が追いついていなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぇ・・・・じゃあ・・・・・・私は・・・・何をすれば・・・」
「ゆっくりでいい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
その人が部屋の扉に手をかけた。
「それと・・・・・・・・・・・・都市を出た後––––––もし都市の外にいる人間を見かけて、もしその時その人が困っていたら––––––」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「助けてやってくれ」
「・・・・・・・・・」
男はドアノブをひねると、部屋から出た。
少女はその人の言った言葉の意味が分からず、
突然生まれて、置き去りにされたその環境の中で
ただ立ち尽くすだけだった。
少女が見ると
ドアは開いたままそこにあった。
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