四話

 王宮の一画にある預言の間――そこの重々しい扉を開け、私は二人の兵士と共に入る。その扉はすぐに兵士の手で閉められ、鍵がかけられる。その音を聞きながら、私は円形の部屋の正面に置かれた、同じく円い鏡の前に立ち、声がかかるのを待った。


「……準備ができました。始めてください」


 部屋の隅に置かれた机に着き、兵士は手にペンを握る。それを確認して、私は鏡に向かって話しかけた――こうして神々と会話をすることが私の仕事であり、そんな職業をここでは預言師と呼んでいる。


 預言師は王国で唯一、神々と会話をすることが許されている人間だ。たとえ国王陛下が話したいと言われても、それはできない。何かを伝えるなら預言師を通さなければならない。それほどこの決まりは絶対なのだ。


 ではそんな預言師がどうやって選ばれるかと言えば、自ら名乗り出たり、国王陛下の指名を受けるわけではなく、ずばり神々の意思によって選ばれる。人間は神の存在を認識してはいるが、その声や気配を感じ取れる者は少ない。声が聞こえなければ預言師としては話にならず、神は自分達の声が聞ける資質を持つ者の中から、務めを果たせる人間を選び、こちらに伝える。そして国王陛下が勅令としてその者を召し抱えるという形になる。つまり、預言師は王国の人間ならば、地位や家柄に関係なく誰でも選ばれる可能性があるのだ。かくいう私も、預言師になる前はただの庶民で、細々と茶を出す店を営んでいた。私のような庶民が選ばれたことは過去に何度もあり、決して珍しくはないらしい。そんなところに神の公平さは現れている。


 仕事内容は神々と会話を通しての意思疎通、それのみだ。国王陛下からご要望を受け、王国に関する助言や可能な助力を求めたりする。またその逆に、神のほうから私を呼び出すこともあり、そういう場合は大抵忠告であることが多い。考えた政策の欠点を指摘したり、城下の治安対策を急かしたりと、大半は庶民の立場からの忠告だ。それによって国王陛下は王国のかじ取りを微調整し、より豊かで平和な国造りをなさるのだ。こう言うと、まるで神々が王国を仕切っているかのようだが、あちらからの忠告はそれほどなく、見過ごせない出来事がある場合だけで、神々が無闇に出しゃばることはまずない。お互い、支え合う関係性であることは大昔から肝に銘じてあるのだ。


 私が神々と会話をするのは週に一度だが、国王陛下からご要望を受ければ、その日数は増えることもある。だが何も受けていない今日のような日は特に話すべきこともなく、こういう日はご機嫌伺いになる。そちらの世界はどうか、こちらはこんな様子だと簡単な報告で終わらせることにしている。これが話好きの神だと、なかなか切り上げるのが難しく、余計なことを話さないようこちらはひやひやしてしまう。というのも、神々と唯一会話を許されている預言師は、あくまで王国と神々との橋渡し役であり、そこに私的な感覚を入れることは厳しく禁じられているのだ。だから私には護衛兼監視役の兵士二人が常時付いている。神の声を聞ける者は、どんな場所だろうと会話はできるが、預言師は必ずこの預言の間で話さなければならない。その内容は付いている兵士が一言一句書き取り、報告、保管する。なので必要以上に話をしないよう、神との会話は細心の注意も必要なのだ。以前教えられたところによると、かつて王国に私利私欲に走った預言師がいたらしく、神の言葉と偽って当時の国王を操ろうと画策したものの、神の怒りを買い、誅伐された出来事があったという。それがきっかけで預言師には制限と監視が付けられたのだ。


 傍からすると、ただ神々に言葉を伝えるだけの簡単な仕事のようだが、一歩間違えれば命懸けの、神経を使う大変な仕事でもある。私はこの鏡の前に立つたびに心身を引き締め、神々の信用に応えることを意識するようにしている。その気持ちは今日も変わらない。


「……神よ、そこにおられますか」


 立派な台に載せられた円い鏡を見つめ、話しかける。だが鏡といっても、私の顔は映らない。正しく呼ぶなら、鏡のようなものだろうか。あまりに古くからあるため、これが正式には何なのか、誰が持ってきたものなのか、はっきりしていないらしい。ただ神々との意思疎通の道具であることは間違いなく、国王陛下を始め、その周囲の者達は皆これを鏡と呼んでいる。


 鏡の表面は預言の間の薄暗い空間を映していたが、やがてその景色は絵の具が滲むように変わり、白い雲が浮かぶ透き通るような青空を映し出した。この美しい空が映ると、神が現れる合図だ。私はその声が聞こえるのを待った。そして――


「今日のお話の時間ね。よろしく」


 明るく、どこかおっとりとした女性の声が言った。


「本日はペレアリー様ですか。お珍しいですね」


「今は誰もいなくって。だから私が来たのよ」


 朗らかに笑うような口調は、やはり喜びの神らしい。その姿が見えなくても、微笑む表情が目に浮かぶようだ。


 私との会話の相手は、毎回同じとは限らない。神には神の事情や予定もあるだろう。その時、私に応対できる神がこうして現れてくれるのだ。私も預言師としてそこそこ時間が経っている。声を聞けば誰であるのか、大体はわかるようになっている。喜びの神ペレアリーは過去に数回話しているが、その特徴的な話し方は少し聞いただけでもわかりやすいものだ。


「そちら、カーラムリアにお変わりはありませんか」


「ないわ。とっても静かで、とっても安らかよ」


「それはよかった。他の神々もご同様でしょうか」


「ええ。皆いつも通りよ。トラッドリアが平和な証拠ね」


「我らが国王陛下のご手腕に加え、神々のご助言のおかげでしょう。感謝しております」


「私は助言らしい助言は一度もしたことはないけれど……他の皆に伝えておくわ」


「はい、お願いいたします」


 背中越しにペンを走らせる音を聞きながら、私は引き続き鏡に耳を傾ける。


「そちらはどうかしら。国王陛下はお元気にしている?」


「毎日、精力的にご公務をこなしておられます」


「今の国王陛下は真面目で働き者ね。お互いの世界は明るいようね」


「はい。我々も、国王陛下の施政下に暮らせることは幸いです」


「確か、お子が一人いたわね。王女だったかしら」


「六歳になられたダイナ様がおられます」


「可愛いお子でしょうね。たくさんの喜びを感じて成長してもらいたいわ」


「ダイナ様は神の祝福をいただいております。きっとペレアリー様のご想像通りにご成長なさるでしょう」


「そうなることを願っているわ。……今は何も懸念はないようね」


「はい。トラッドリアにはそういったことは――」


 何もない――そう言いかけた時、私の脳裏には先ほどすれ違ったダイナ王女の護衛兵の姿がよぎった。


「……どうかした?」


 言葉が止まった私にペレアリーが聞いてきた。これは話しても問題ないことだろう。私的な感覚ではあるが、相手はダイナ王女の護衛兵なのだ。場合によっては深刻な事態にもなり得る。おそらく禁止事項には当たらないはず……。


「何かあるのなら、言ってみてちょうだい」


 促され、私は意を決して口を開いた。


「実は、ここに来る前のことなのですが、廊下でダイナ様とすれ違った際に、そこに追随していた護衛兵に、何と言うか、妙なものを感じまして……」


「妙? どういうこと?」


「あれは、神の気配には違いないと思うのですが……感じられた気配は、これまで体感したことのないほどに淀んでおりました」


 神の気配とは、神が奇跡を起こす直前や、人間に助力をしてくれる時など、トラッドリアに神の力が及ぶ場所に現れ、感じられるものだが、当然大半の人間は感じられず、神と通じる資質を持った者だけがその身に感じることができる。私は過去に二度、神の気配を感じる機会があったのだが、まるで全身を柔らかな羽毛で包み込まれるような、何とも言えぬ感覚は、やはりトラッドリアには存在し得ない、不可思議な感覚だった。


 そして、あの護衛兵に感じた気配――すれ違った瞬間、彼女にまとわり付く気配に私はすぐに気付いたが、同時にその違和感にも気付いた。これまで体感した神の気配が透き通って輝く清流だとすれば、あれは黒く汚濁して淀んだ泥水のようだった。清さ、輝きは微塵もなく、近寄ることもためらわれるくらい、心地が悪く、恐ろしかった。明らかにこれまでの気配とは違い、異質で感じたことのないもので、それが王宮内に、しかも一人の女性兵士にまとわり付いていることは、見過ごせない事態と言ってもよく、私の中に不安を生じさせている。


「淀んだ気配……一体誰かしら」


 私の心境とは違い、ペレアリーの明るい口調にはまだ深刻さが見えなかった。


「どのようなものを司る神だとしても、あのような恐ろしい気配を発する神などいるのでしょうか」


「何かに腹を立てていれば、そんな気配も出すでしょうけど、それをトラッドリアで感じるのはおかしいわね」


「はい。その気配が護衛兵に付いているということも……。ペレアリー様、そちらでは本当に何も異変は起きておりませんか?」


「カーラムリア全域を見て回ったわけではないから、絶対とは言えないけれど、少なくとも私の周りや、そんな話を耳にしたことはないわね。……心配だと言うなら、皆に聞いてみる?」


「よろしいでしょうか」


「ええ。心配事はすぐに取り除いたほうがいいわ。でないと笑顔にはなれないもの」


 喜びの神らしい快活な答えに安堵しつつ、私はもう一つ聞いた。


「ところで、幽閉されているという邪神は、現在も変わらずにいるのでしょうか」


「そうだと思うけれど、いきなりどうしたの? 彼女の話をするなんて――」


 そこでペレアリーにわずかな間が空いた。どうやら私の懸念を察したらしい。


「……その気配が、彼女のものだと思うの?」


 その可能性はあると、私は考えていた。


「あれほど淀み、恐ろしい気配を発せる神など、私が思い当たる中では一人しかおりません。堕ちた神しか――」


「それは考えすぎよ。彼女はずっと幽閉されているし、力も封じられているのよ。トラッドリアに彼女の力が及ぶなんてことはあり得ないわ」


「ですが、その幽閉場所から逃げ出していたり、何らかの方法で力を使うなどしていたら――」


「あなたは心配性なのね。彼女が逃げ出していれば、こちらの世界は大騒ぎになっているでしょう。だけどそんな報告は誰もしていないわ。彼女には見張りも付いているし、その気配とつなげるのは少し現実的ではないわ」


「そうですか……」


 言われてみればそうかもしれない。大勢の神の目を盗んで、幽閉場所から逃げ出すことは至難の業だろう。あの異質な気配の印象が強すぎて心配しすぎたか……。


「それも心配なら、私が彼女の様子を見てきてあげるわ。それで安心してもらえるかしら」


「ありがとうございます。お手数をおかけしてしまい……」


「いいのよ。久しぶりに彼女の顔を見るのも一興だわ。様子を見たらあなたを呼ぶわ」


「はい。お待ちしております」


 私の言葉を最後に、鏡に映った青空はその色を滲ませ、再び預言の間の薄暗い空間を映し出した。これでひとまず会話は終わりだ。部屋の隅で私の言葉を書き記していた兵士も、ペンを置いて紙をまとめる。もう一人の兵士が扉の鍵を開け、両手で開け放った。途端に爽やかな風が新鮮な空気を運んで入ってきた。


「私室へ戻りますか?」


 兵士に聞かれ、私はうなずく。


「そうですね、ひとまずは……。ですが、近日中にまたここに呼ばれると思うので、その心積もりで」


「わかりました」


 返事をした二人の兵士が預言の間を出ていく後に私も続いた。歩き慣れた廊下と見慣れた王宮の景色を眺めるが、頭にあるのはやはり、あの護衛兵に付いた淀んだ気配のことだった。本当に私の心配しすぎならいいが、万が一そうでなかったら……。その場合、あの恐ろしい気配に対して後手に回るのは、あまりに危険なように感じる。神が異変の有無と、気配の正体を探ってくれるまで、こちらも何かしておいたほうがいいのでは――


「……少し、いいですか」


 前を歩く兵士を呼び止め、私は言った。


「一つ、頼みたいことがあるのですが」

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