第2話 生命の源、水探し

気づいたことがある。


てのひらが思ったよりも小さい。

歩幅も心なしか距離が短い。

背も……縮んでる?

あっちもこっちも縮んでいる気がする……。


そういえば、見るものすべてが少し大きく見える。

もしかして、この世界のものが元の世界のものより大きいのかもしれない。

自分が縮んだのか、この世界のものが大きいのかはわからない。

自分自身の姿を見ることができないので、どちらなのかあるいは両方なのか確かめようもない。


自分の姿を見ることができないのは不安になる。

昨日までは毎日起きて当たり前のように鏡の前に立ち、歯を磨いたり、顔を洗ったり、寝癖を梳かしたり、服を見直したりと色々していた。

それだけで自分がどんな見た目をしていて、それから今はどんな表情をしているのかがわかった。

そして、自分がこれからどうなりたいか、そういう目標みたいなものも少し見えていた。

鏡に映る自分を見て、やっぱり自分は自分であることを毎日確認していたのかもしれない。

けれど今、私は自分の姿を見ることができない。


この手は、この足は、この見えない顔は、本当に自分のものだろうか。

今見えているこの世界は、私自身が見ている世界なのか。

誰か違う人の体に意識だけが乗り移っているとか、霊体とか魂だけの状態だったりはしないのか。

そもそも本当にこの世界が実在するのか。

現実世界の私はまだ眠っていて、これはただの、夢なのかもしれない。


不思議な森を一人で歩いていると、つい現実逃避もしたくなる。

昨日の夜、寝る前に飲んでから水分を全く口にしていないので、24時間のタイムリミットは……残り半日くらい。

すでに水分を摂取していないことによる弊害が出はじめているのかもしれない。

必要な水分を取らないと、水分不足で血がドロドロになって血流が悪くなり、脳や身体への酸素や栄養供給が減り、判断力の低下を招いたり、幻覚をみたり、頭痛や動悸、息切れ、便秘、肌荒れ、手足のしびれ、肝臓や腎臓などの臓器への負担増加などなど、生きる上で不利な作用が引き起こされる。

しかも、さらに長く、具体的には72時間全く水分を摂取しない場合は、体内の血液の循環や脳や神経への悪影響がある。

視界が狭く暗く視認が難しくなって、内臓や手足の活動が阻害され、活動自体が困難になり、生命維持に支障をきたす。

つまり、水を3日間飲まなければ人は死んでしまう。


昨日の動画を見ていて、水を飲むというのは生命を維持するために必要な事だったんだと、改めて実感した。

まさかこんなに早く、その実感を役立てなければならない事態に遭遇するなんて、思ってもみなかった。

死なないために、今は必死で手足を動かして、目をさらにして、耳を澄まして飲み水になりそうな水源を探さなければならない。


森の中は至る所からぼうっと光るキノコや苔や植物が生えており、木々に囲まれているにしては視界は暗くない。

しかし、でこぼこの地面や高い木の根がいたるところに隆起していて、非常に歩きにくい。

行けそうなところをどうにかこうにか進んでいる。

木々からは茶色いツタが伸びていて、上にもある程度注意する必要がある。


ぐぐぐぅ〜……


何度目かもわからないお腹の音。


「水が最優先だけど、食べられそうなものも探しておかないと」


それでも、道中で見つけた小枝を片手によせ持ち、落ちていた葉も一掴ひとつかみを持ちながら進む。

小枝や草は、どちらも乾燥していないと火がつかないらしい。

早めに集めて持ち歩いている方が乾燥しやすい。

昨日の動画の人もそうしていた。

それに、あとから集めようとしても、乾燥した草木は簡単には見つからない。

いくつか拾ってみた時に、日陰になっているところにあるものは明らかに湿っていた。

対して、日射しが当たっていたものは、持った時の感触が全然違った。

表面がカサカサしていて木の皮がけかけていたり、湿ったものと比較すると明らかに軽い。

中には小枝同士をぶつけるとカラカラと軽い音が鳴るものもある。

音が軽いと、中の方も乾燥しているから、そのままでも燃やすことができるかもしれない。

それに、軽い方がたくさん持ち歩けるから、重いのと交換してでも乾燥したものを拾った方が効率も良い。

今は燃料になるようなものがたくさんあっても困らないから積極的に拾っている。



1、2時間くらい歩いただろうか。

日射しが高くなってきて、木々の間から射し込む木漏れ日が少し眩しい。

そして、ひとつの問題が発生していた。


「トイレ……」


朝起きたらトイレに行く。

当たり前にしていたことを、今日はまだしていない。

水を見つけたらと思っていたけど、そろそろ限界に近い。

動画の人は、水が確保できない時にトイレに行くのは最低限にした方がいいって言ってた。

体内の水分が失われてしまうからだ。

でも、でもこれは……っ。


「も、もう無理!」


手に持っていた小枝の中で1番丈夫そうなものを使って、落ち葉をかき分けて見えてきた地面に少しだけ穴を掘った。


「……あ…………」


血の気が顔からサーッと引いていく。

拭くものがない。


改めて身の回りを見直してみると、着ている服の替えもないので、汚したら汚れたまま着ていくことになる。

拭かずに服を着るとなれば、その匂いを発しながら水探索をしなくてはならない。

それだけは嫌。

あってはならない。

絶対ダメなやつ。


「し、仕方ない…………んしょ……」


結論としては…………。


いや、やめておこう。

考えてはいけない。

だ、誰もいないもんね。

うん。

だって、しょうがないよ。

こんな状況だし、ね?

は、恥ずかしいとかは見られたらの話だし、見られてないからセーフ。

Not 変態。

セーフセーフ……。

う、歌でも歌おうかな。

なんか音がそれっぽすぎてあれだし。

うん、歌おう。


〜♪〜〜♪〜♪



改めて持ち物を確認し、拾い集める。

枯れ葉が減ってしまったからまた拾っておかないと、今度は少し多めに拾っておこう。

手に小枝を広い集めて、しゃがんだ姿勢から立ち上がり際。


ズキリ……


「……ぅゔ…………なに、これ……。

……急に、あたま……痛くなってきたっ……」


軽い立ちくらみと頭痛。

たぶん水分が不足している状態で水分を出したから、さらに水分が不足したのかもしれない。

これはよろしくない。

はやく、はやく飲み水を見つけないと……。



カサカサッ……


「え?」


近くの茂みから物音がする。


カサカサッ……


また音がした。

茂みの高さは膝くらいの高さだ。

その茂みから何かが動く音がする。


ガサゴソ……ザザっ


「きゃあ!」


何かが茂みから飛び出してきた。

クリーム色の毛むくじゃらの何か。

丸っこくて…………ちっちゃい何か。

この森で初めて出会った生物。


黒い目が2つ。

鼻が茶色でその下に口があり、もそもそと動いている。

耳も2つ、たまにピクピクと羽ばたくように動く。

全体的にずんぐりむっくりな、なんだか動物園で見た事のある形をしている。

動物園のより少し小さくて、毛色もクリーム色だけど。

これは……そう。


「カピバラ?」


クリーム色の小さなカピバラっぽい生き物。

長いから心の中でチビカピさんと名付けることにした。

チビカピさんを見ていると、前後の足を動かして、のそのそと歩く。

動物がいるということは、近くに水辺がある可能性がある。

この世界の動物も同じように水を飲む習慣や生体ならという話だが、見知らぬ異世界の森の中を闇雲に探し回るよりも、このコについて行く方がよっぽどいい。

なにより、見ていると癒される。


のそのそと歩くチビカピさんの後ろをそっとついて行く。

チビカピさんは特にこちらを気にすることもなく、気ままに歩き回っている。

後ろ姿も愛嬌があってとても可愛い。

あれだけゆっくり移動する生物がいるということは、この辺りは獰猛な肉食動物とかはいないのかもしれない。


気がつくと、あっちにも、こっちにも、そっちにもチビカピさんが歩いていたり、日向ぼっこしている。

モグモグと口を動かして何かを食べているコもいる。

どうやらチビカピさんはそれ以上大きくならないみたい。

どれも似たり寄ったりの大きさで、たまに小さいのは子供なんだろうな。


「ふふふ、か〜わいっ♪」


そして、


「おお〜〜♪」


念願の水辺だ。

チビカピさんたちが水を飲んだり、水の中に入ったりしている池が見えてきた。


「けっこうおっきい!」


あれ?

でも、チビカピさんたちがたくさん浸かっているこの水って、飲めるの?

菌とか何とか衛生的によろしくなくない?

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