囚われし少女
「父上、母上……」
スミンは何度、父母を呼んだことであろう。
最初、彼女は助けを求める意味で、その名を口にした。
無残にも男に処女をけがされているあいだでさえ、彼女は助けを
そのあと、彼女は一人で暗い部屋に閉じ込められ、純真でか弱い小さな心が絶望に染まるにつれ、謝罪をつぶやくようになった。
「父上、母上、ごめんなさい……」
父も母も、スミンの行方を
だが悪いのはスミンだ。
母の
彼女に道を教え、花をくれた老婆も、連中の一味だ。スミンを医師ユチャンの娘だと知って、早くから目をつけられていたのを、彼女自身の不用意さと油断で、このように
恐らくもう、父母には会えまい。
それを思うと、スミンは父母に対する申し訳なさで自責の念にさいなまれ、幾度も涙した。
時間が、どれくらい
スミンには分からない。石造りの部屋は外部の光や音が全く入らず、隅にトーチが
粗末な
スミンははっと上体を起こし、震えながら女の顔を見上げた。
見覚えがある。あの男の隣に控えて、彼女を犯す手伝いをしていた女だ。
「そんな顔をしなさんなよ。取って食うわけじゃないんだ」
女の手にしている盆には陶器の食器がひとつ。肉の煮込んだようなにおいがする。
「ほら、食べな」
スミンが恐れて動けずにいる。女は自ら
「食いなさいな。食わないと死ぬよ」
スミンはそれでもしばらくじっとしていたが、やがて肉のにおいに誘われ、おずおずと食器を手にした。
獣の脂がたっぷりと浮いた汁が、胃袋にしみわたるようだ。
女は、ゆっくりと、大切そうに食事を味わうスミンの姿に、はかないほどに淡い微笑みを向けている。
「時間だけは、たっぷりあるんだ。よく噛んで食べな」
料理をすっかり平らげたあと、スミンはそばで黙々と煙をくゆらせている女に、尋ねた。
「あの」
「なんだい」
「あなたは……」
「アンタと同じだよ。あの男に飼われる
「私と、同じ……」
スミンには、その事実がまだ受け入れられない。
当然であった。年はまだ12を数えるようになったばかりで、恋すら知らない年頃だ。父母への孝養や、医師として立身し、多くの人を救いたいという志だけがある。世の中をもっと知って、医学を広めたい。
そうした彼女がすべてを奪われ、化け物のような男に飼われる
女は呆然とするスミンをあわれに思ったか、声の調子を明るくした。
「今はそりゃあ死にたい気分だろうけどね、思ってるよりはいい暮らしだよ。尽くしている限りはお
そう言われるとそうなのかもしれない、とこの時点で正気を失っているものなら、容易に信じ込んでしまうものかもしれない。
だがスミンは、まだこの程度の犬の論理に洗脳されるほど、理性と知性の足りぬ少女ではなかった。
「あの人……」
「あぁ、アンタを
「……はい。あの人は、どのような人ですか」
「名前はリュウ・ウェン。自分で言ってたように、ここいらじゃ高名な
「私の父は医師です。父母も、あの人になにかされるのでしょうか」
「さぁ、アンタ次第かもね」
スミンは苦しそうな表情を浮かべ、右手で胸をおさえるようにした。
父と母を守るためには、自分があの男に飼われるほかないのではないかと、彼女はそのように思い始めている。
「私は、私はこれから、なにをされるのでしょうか」
「アタイがされたこと、これまで見てきたことで言うと、そうだねぇ」
「…………」
「まずは、一日に何度か、あの男の相手をする。好みに合うように教え込まれて、それからは……」
女はそこで止めた。
もったいぶっているわけでも、恐怖させるためでもない。
単に、言葉にするのがはばかられたのであろう。
「まぁ、言わないのが
女の予言のとおり、リュウ・ウェンはよほどスミンが気に入ったらしく、日に何度となく彼女を呼び寄せては、淫楽の相手となることを強要した。
そのたび、スミンの体はおびただしく出血したが、男の欲求は血の乾く
「すぐに気分がよくなる」
とリュウ・ウェンは繰り返し
恐らく、あの軟膏はただの偽薬であろう。実はどのような成分も配合されてはおらず、単に気休め、あるいは洗脳のために使っているだけの小道具だ。
数日、スミンはリュウ・ウェンの相手を務めた。
それ以外の時間は、もはや悲しみを抱くことすらなくなり、虚無に
例の女も、食事を運ぶたび、目に見えてスミンが
「アンタ、気をしっかり持ちなさいな。まだ生きるのをあきらめる年じゃないだろ」
スミンはぐったりと横になったまま、身動きもしない。女の持ってきた食事にも見向きさえしなかった。
女は何度もスミンの口に食事を運ぼうとしたが、顔を床に向けて拒否するので、文字通り匙を投げた。
「アンタ、死ぬよ」
冷たい声で言い残し、女は去った。
だがその言葉も、スミンの
リュウ・ウェンも、彼の
彼は興を失い、行為を中断して、衣服を整えた。
腹立たしげに、スミンの監視役である大男に命じる。
「秘薬を用意せよ」
「はい、しかしただいまは切らしており、明日の船荷を待たねばなりませんが」
「かまわん。それまでに、飲み食いをさせよ。肌が乾いている」
「娘が、頑として口にいたしません」
「
「承知しました」
スミンは聞いているのかいないのか、やはり全身の力を失って倒れている。
連中が引き揚げてから、食事係の女が再びスミンを訪ねた。
様子が違う。
「アンタ、起きな」
スミンが無視していると、女は無理に彼女を抱き起して、その頬をひっぱたいた。
「起きな、アンタこんなとこにいちゃいけないよ」
スミンの瞳にわずかに生気が宿る。
女はさらに声を励まして、
「次、あの男がここに来たら、アンタに北方の秘薬を吸わせる。薬漬けにされたら、もう何もかもおしまいだよ」
「……私は、どちらにしてももうおしまいです」
「アタイが逃がしてやるよ」
「えっ……?」
「今度、アタイが食事を持ってきたら、あのデカブツの
「でも、そんなことをしたらあなたが……」
「へっ、こんなときに人の心配するなんて、
スミンはここへきて、ようやく生きるために必要な希望を得た思いだった。
いったいどれくらいぶりだろう。
しかし、この悪の
あのリュウ・ウェンという男は、恐ろしい人だ。
白い顔と、その奥に闇をまとったように黒く光る瞳。
あの男の恐ろしさを、スミンは未だ成熟しきってはいないその体で思い知っている。あと数日もすれば、彼女は北方の秘薬とやらを吸わされ、体だけでなく精神までをも完全に、あの男に支配されるようになっていたかもしれない。
そうなる前に。
とにかく、とにかく逃げなければ。
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