第73話 受胎告知

 冬凪との作戦会議の後、自分の部屋に戻ってVRギアに火を入れた。リング端末をかざしてまゆまゆさんのバッキバキのスマフォからダウンロードした六道園の動画を取り込んむ。ゼンアミさんにも見て貰うので、ホロ動画変換ツールの「ゴリゴリ鳥」(デファクトの「ホロホロ鳥」をYSSがパクった)を使って向こうで撮った複数の動画から立体ホロ動画を生成する。このツールは2D動画から焦点深度を計算して自動3D化した上でホロ動画を生成する優れものだ(パクりだけども)。より多くの動画を合成することで精度もあがる。出来上がるのに少々時間が掛かるので、その間にVRギアのメッセージをチェックする。それほど多くないメッセージをスライドしていると気になる差出人のものがあった。十六夜からだった。最初は連絡が出来るまで回復したのかと沸いたのだけれど、すぐにそんなはずはないと思い返した。あたしがここを留守にしていたのはたったの一日なのだ。18年前の辻沢では一月近く経過したようだけれど、こちらの時間で言えば昨日の朝に出て夕方帰ってきただけだった。その後、クロエちゃんと山の中の鬼子神社に泊まり、次の朝に四ツ辻まで山道を歩き紫子さん宅でお世話になって、夕方ブクロ親方のポルシェで藤野家に帰ってきたのだった。

 メッセージを開けて待っていると真っ白い空間に和装の人が現れた。相変わらず真下を覗き込むような姿勢でいるのは高倉さんだ。

「こんばんは。高倉さん、胸を張って正面を見てください」

 高倉さんは言われたとおりにして、

「あ、藤野夏波様。こんばんは。今日は見ていただきたいことがあってご連絡差し上げました」

 きっと十六夜の容態のことだと思ったけれどそれほど不安には思わなかった。なぜなら、赤いエニシから伝わってくる十六夜の気持ちは平常だったから。

「十六夜のことですね。見せてください」

「では、ご一緒にどうぞ」

 すると真っ白い空間が大きなベッドがある十六夜の部屋に変わった。高倉さんが立っているのは、VRルームの出入り口だった。促されるままに十六夜のいるVRブースに進む。見る度に胸が締め付けられる赤い浄血管。その他医療機器に繋がれたチューブの数々。VRブースに近づいてゆく高倉さんの後についてゆき、促されるまま十六夜の変わらぬ獣の姿を見る。チューブを装着するために開らかれ乳房が露わになった胸は肋骨が浮き出て痛々しい。

「お気づきになりましたか?」

 高倉さんが指しているお腹を見た。入院服のお腹が出っ張っているように見える。

「お腹の調子でも悪いんですか?」

 そんなことでは無いことは分かっていた。でもそれを受け入れることはあたしには辛すぎた。辻川ひまわりと千福ミワさんの身に起こったことが十六夜の身に降りかかったのだ。18年前の辻沢で作左衛門さんは言っていた。

 (まあ、二人とも苦労が多いよ。辻川はDV野郎でひまわりの体は痣だらけだったって聞いたし、千福はエロじじーで毎晩風呂場を覗きにくるっていうしね。こう言っちゃあ何だが、まゆまゆたちだって誰の子かわかたもんじゃない。鶴亀鶴亀)

「そうです」

 高倉さんは何を肯定したのか。そろそろあたしも分かって来たのだけれど高倉さんはあたしの心の中を覗いて話をしている。だから、

「誰の子なんですか?」

 十六夜を妊娠させたのはいったい誰だ。そんな悲惨なことは考えるのも嫌だけれど、十六夜のこの状態ならこの屋敷に出入りする全ての男が容疑者になる。けれど高倉さんは全く違う説明をした。そもそもこの部屋に入れるのは医者と高倉さんだけで、十六夜がVRブースに拘束されてからずっとこの部屋は監視されていて、そのような事は起きた記録はない。それ以前に交渉があったかといえば、最初の検査の段階で見つかっていないのだからそれもない。実は、このような状態になったのは昨日の昼すぎ突然だったのだそう。それで改めて検査したところ、

「胎児の姿が」

 高倉さんが正面の大型モニターを指した。するとそこにエコー画像が表示されて赤ちゃんの姿が映し出されのだけれど、すでに人と分かる姿をしていた。でも、その赤ちゃんは変だった。首の周りに何かが巻き付いていたのだ。保健で響先生が妊娠出産のことを教えてくれたけれど、その時雑談でしたへその緒が首に巻き付いて出てきた赤ちゃんの話を思いだした。でも、それはへその緒とは違って形がハッキリとしていた。それは荒縄だった。胎児の首に荒縄が巻き付いていた。

「これって、もしかして」

「そうです。十六夜様は神の子を授かりました」

 十六夜は志野婦を身ごもっていたのだった。

〈♪ゴリゴリーン〉

 耳元でアラームが鳴った。しばらく状況が呑み込めなかったけれど、VRギアを外して落ち着いて考えたら、あのまま気を失ってしまったようだった。既に高倉さんとの通信も切れていた。時間は? 2時を回っていた。今のアラームはゴリゴリ鳥がホロ動画を生成し終わった合図だったよう。

 子を生さないはずの鬼子である十六夜が志野婦を妊娠した。異常事態なことは分かるけれど、どうしてそんなことが起こったのだろう。六道辻の爆心地の上空で光りの球に捕らえられていた志野婦は、そのまま志野婦神社へ移送された。そこにいたトラギクという妖術師は志野婦を人柱にしたと言っていた。そして18年後の今、志野婦が十六夜のお腹にいる。どういうこと? クロエちゃんは夜中に起こすと機嫌悪いから冬凪に相談しようと思ったけれど明日のキツいバイトのことを考えて止めにした。一人で悶々と過ごす窓の外では雨音がしていた。エニシの赤い糸の先に見える十六夜は平安そのものだった。

 朝。ピーカンだった。雨止んでるよ。ワンちゃんバイトなしかと思ったけれど、そんなに甘くなかった。

 朝ご飯を食べてる時、冬凪に十六夜の妊娠について話してみた。クロエちゃんは時差ボケらしくまだ起きていないよう。

「何か感じてた?」

「全然。むしろ良くなってると思ってた」

 やっぱりそうだ。十六夜にエニシの赤い糸が繋がった冬凪も同じだった。とんでもない事が起こっているはずなのに、冬凪もあたしも焦る気分にならないのだった。仲の良い友だちが出産するってこんな気持ちなのかも。

 六道辻に着いて竹垣の道を歩いていると、行く手に小さな体で大きなリュックを担いでせっせと歩く人がいた。江本さんだった。すぐに追いついて、

「「おはようございます」」

 と挨拶すると、いつもより少し沈んだ声で、

「ナギちゃんにナミちゃん。おはよう。今日の現場は大変よ」

 冬凪に同意を求めるように言った。

「雨で足場が悪いし、土が重くなってますもんね」

「水が出ると始末が悪いよ。ホント、今日は休みたかった」

 それから朝礼までずっと江本さんは「帰りたい」とか「来なきゃ良かった」と小声で言い続けていた。

 9時になって朝礼が始まった。赤さんが、

「今日は水が出てますので、まずそれを綺麗にしてから、精査。その後掘削に入ります。午前中はそれでいっぱいいっぱいでしょう。足下ゆるいですから、滑らないように気をつけてください。それでは、今日も一日、ご安全に」

「「「「「「「「「「ご安全に」」」」」」」」」」

 皆さん道具置き場に集まって最初に手にしたのはスポンジが入ったバケツとひしゃくだった。

「あれで何するの?」

 冬凪に聞くと、

「溜まった水全部、排水して綺麗にするんだよ。大きいところはポンプ使うけれど、水たまりレベルは全部、皆んなでひしゃくとスポンジ使って掻い出すの」

 マジか?

「あの水全部スポンジで吸い取るってこと?」

 爆心地は水浸しで、先週掘った大きな穴の他に至る所に水溜りがあった。

「そうだよ。少しでも水没してたら作業できないから綺麗に拭き取るまでやる」

 雨水って放っておけばどこかに流れて行ったり蒸発してなくなるものだ。それをそうなる前に拭き取るなんて想像したことすらなかった。しかもここは建物の中じゃない屋外、土の上だ。江本さんと同じくあたしも「来なきゃ良かった」と思ったのだった。

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