第15話 夏休みの旅行は?

 夏休み最初の朝、バスで一緒になった鈴風と学校までの道を歩いている。朝だってのにクソ暑いのなんとかならんか。放課後なら角のパン屋さんでアイスとか買えるけれど、まだ閉まってるから日陰を探しながら学校に向かう。

 夏の部活動は平日午前に登校、一時間の作庭作業を行う予定。家からロックインすればいいのにわざわざ部室に集まるのは、手持ちのVRギアと部のVRブースとでは体験解像度が全然違うから。時間は朝がいいという鈴風に合わせて決めた。あたしは十六夜や鈴風とわちゃわちゃしたくもあったけれど、バイトが始まれば来られなくなるし、十六夜は家のVRブースからのロックインで済ますって言ってた。つまり夏の間ここは、ほぼ鈴風の部室となるから。

 部活棟の廊下は涼しいかと思ったらそうでもなかった。大きな窓から差し込む太陽のせいだろう。園芸部の部室の鍵を開ける。

〈♪ゴリゴリーン。佐倉鈴風様、おはようございます。夏波、おは〉

 生徒管理AIの挨拶に辟易しながら部室の中に入ると、むっとした空気が充満していた。

「クーラーをお願い」

 空調管理AIに声を掛ける。

「お断りします。すでに適温に保たれております」

 鈴風に温度計見てと言うと、

「27度です」

 まったく、誰がシンギュラリティは起こらなかったって言った? これを正常と言い張るAIの存在こそシンギュラリティの動かぬ証拠だろ。

 取りあえず、バス停から歩いてきて体に溜まった熱を冷やすため冷蔵庫を開けてアイスを探す。あった、ちょうど2つ。は? 誰だ、山椒味の買った奴。一本はソーダ味のガリガリーン、もう一本が山椒味のピリピリーン。極度の冷え性の鈴風に一応、

「アイス、食べる?」

 と聞いてみる。どうせいらないと言うからソーダ味はあたしのものだ。

「あ、ください」

 まじか? 鈴風は山椒アレルギーだから絶対ガリガリーン。つまりあたしは一年ぶりのピリピリーン。

「はい。ガリガリーンね」

「ありがとさいます」

 ピリピリーンの袋を開けて一口で食べる。ワシュワシュっとしてすぐピリピリって来る。鼻に抜ける刺激が不愉快この上ない。こんなもの誰が考えたんだ? アイディアまでなら許せる。誰が作ろうって言った。止める奴はいなかったのか? 

「VRブース、火入れますね」

 鈴風が二台のVRブースの起動スイッチを入れる。吸気音とともに振動がドコドコと部室に響きだした。暖まるのを待つ間、世間話。

「鈴風は夏休み、旅行とか行かないの?」

 予定では、学校がお盆休みで校門が閉まっている日以外、部活に参加することになっていた。

「親からは誘われましたけど行かないです。ヴァーチャルで十分ってとこないですか?」

「そうだね。VRツアーならほぼ行ったと同じみたいだし」

 最近流行のメタバース海外旅行。まだ値段は高いけど、体験解像度はリアルと同等かそれ以上だという。

「あ、違います。ヴァーチャルはヴァーチャルでもゲームのほうです。ゲーム・フィールドを旅するんです」

 どういうこと?

「いつもプレイしているRPGをノン・エネミーモードっていう敵が出てこないモードにして、普段は独裁者の軍勢と闘う平原だったり、魔物が住む山林だったりする場所を一人でハイキングするんです。雄大で美しくって気持ちがいいんです」

 現在のゲーム体験のリアルさは、視覚、聴覚、触覚はもとより、臭覚や味覚までが再現されているというレベルに来ている。

「リアルの体験よりゲームのほうが濃い。もう、そういう時代だもんね」 

 鈴風はVRブースの外部モニタで起動状況をチェックしながら、

「でも過剰にロックインすると瀉血するようになるんですよね」

 ド直球を投げてきた。十六夜のこともあるから今一番したくない話題。

「どうだろうね。あたしは全然想像付かないよ」

 目が泳いでませんように。

「あたしのクラスの子が誕生日に親からVRブースをプレゼントされたんです」

 一年生といえば、後期未成人プログラム最初の年だから、親御さんとしては娘の成長を喜んでのことだろう。あたしの同級生でもそういう子いた。正直お金持ち過ぎて羨ましくもなかったもの。十六夜は小学生のころからVRブースを使ってたって言ってたけど、それはもう別次元。

「それで、毎日制限時間いっぱいの一時間みっちりロックインし続けて、連続60日に及んだそうです」

 ふんふん。

「そしたら、60日目に倒れて入院してしまいました。腕には注射痕がたくさんあって瀉血をしていたと。聞けば、30日ころから不安に襲われるようになって瀉血をすると落ち着く気がしてやめられなくなってしまったんだそうです」

「そうなんだ、因果関係があると言えば言えるけれど、無いと言おうとすれば言えるね」

 と流しておいた。鈴風はあたしの反応を見てがっかりした様子だ。自分でも頭の悪い返しだと思う。でも、今のあたしはそのことが十六夜に結びついてしまうので避けたくて仕方なかったのだ。ごめん鈴風。

 VRブースの起動が完了してロックイン・OKのサインが点いた。あたしは右の、鈴風は左のブースに付いてVRゴーグルを装着し、六道園プロジェクトにロックインする。そういえば、このロックインという言葉もゲームから来ているんだった。ゲームで岩とか壁をすりぬけてしまうコリジョン抜けというバグがあるが、その岩を抜けた向こうの世界がメタバースっぽいところから言われるようになったらしい。諸説あり。

 ロックインが完了して、アクセスポイントの石橋に立つと、早速ゼンアミさんが目の前の州浜から、

「佐倉鈴風様、いらっしゃいませ。夏波、ようおこし」

 と挨拶してきた。ゼンアミさんまで生徒管理AIのような差別をと思ったが、これは冗談だとすぐ分かった。表情はシルエットなので分からないが肩が小刻みに震えていたからだ。

「よう、ゼン。元気か?」

 とやり返すと、

「あれあれ、名前の一部を取られる名作アニメみたいですね。これは参りましてございます。匠の御方」

 縮こまって頭を掻く仕草をした。

「さてと、今日の作業は?」

 ゼンアミさんに聞くと自分が立っている白い玉砂利が敷かれた州浜を差して、

「お二方には、州浜の敷石作業をお手伝いいただきたく」

 と言ったのち、白い小石をつまんだ手をこちらに差し出した。それを掌で受けようとしたら、ゼンアミさんが小石をあたしの掌に落として指先をこすりだした。すると、ゼンアミさんの指先からいくつもいくつも小石が出て来て、あたしの掌の上から溢れ州浜に零れ落ちだした。小石はいつまで経っても停まらないものだから、州浜には銀閣寺の向月台のような小山が出来るんじゃないかという状態になった。

「ちょっと、どうするの? これ」

 ゼンアミさんは、再び肩を小刻みに上下させて、

「仕返しでございます。私をゼンなどと言った」

 けっこう根に持つ奴だな。

「ゴメンね。大殿に頂いた大切な名前だったね。阿弥姓は」

「さようでございます」

 それでようやくニワカ向月台は消え失せたのだった。

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