第3話 カウンセリング
「それじゃあ夏波の来月のカウンセリングは」
響先生はそこでちょっと言葉を切ってから、
「そっか、月度は今回のセッションで終わりだったね」
VR空間の中でニコリと笑って言った。今、あたしは学校のカウンセリングルームにロックインしている。そこであたしは緑色基調のウイリアム・モリス生地のソファーに寝そべり壁に設えられたウォールナット材の書棚をぼんやりと眺めていて、そのそばの重厚なサロン椅子に白衣姿の響先生が腰かけてメモボードに何やら書き込んでいる。けれど、実際に響先生がいるのは学校のVRブース、あたしは自宅のベッドに寝ころんで学校から貸与されたVRギアをしている。
「はい、今月の六月三十日で十八才ですから」
「次の段階の初期成人保護プログラムは一年ごとのカウンセリングだから、来年の六月か。てことは夏波はとっくに卒業しちゃってるね」
あたしは卒業したら進学しないで日本庭園をメタバース空間にディストリビュートする会社を十六夜と一緒に起業する予定だから次回のカウンセリングは民間施設で受けることになるだろう。だから学校の要請で十六夜とあたしで配置したこのカウンセリングルームとも今日でお別れなのだった。
十五才から十七才のための後期未成人保護プログラムではこまごまとした規制が設けられているが、最も重要視されているのが一日一時間のロックイン制限と月一のカウンセリングだ。ロックイン制限については、メタバースで行われるライブやイベントに行けなかったり(一時間じゃ、途中で出て来なきゃなんない)、お買い物とかゆっくりできない(スーパーで買い出しかっての)から、あたしを含め女子のほぼ全員が不平不満の種だ。それに対してカウンセリングについては人間関係、特に恋愛に悩ましいこのころの女子にとっては誰にも言えない悩みを聞いてもらえる場として重宝されている、らしい。恋愛とかまったく興味のないあたしにとってセッションで先生に聞いてもらうことなどほぼないから茶飲み話をする場でしかなく、途中で寝てたなんてことが何回もあった。それもようやく今回で終わる。
響先生があたしの顔を覗き込んで言った。
「最後だし、禁じ手の夢占いとかしちゃうぞ」
一瞬、最近よく見る夢を思い浮かべたが呑み込んだ。
「いいえ、夢とか見ませんから」
「ホントに? 案外、夏波も白馬の王子様の夢とか見てたりして」
ドキッとした。昨晩見た夢がまさにそれだった。
「おや? 動揺したな」
と言われて自分が今付けているVRギアが医療用だということに今更気が付いた。脳波から心拍に発汗、つまり心の動きを全てモニターされている。
「ほれ、言ってみ。おねいさんが丁寧に聞いてあげるよ。ウシシ」
裏ではあらゆるオタを極めていそうな響先生の笑顔が怖いので、
「このVRギアお返しするの、明後日のスクーリングの時でいいですか?」
と話をそらす。
「そうだな……」
響先生は目の前にライトブルーの透明スクリーンを表示させて日程を確認し出した。
「来週初めに冬凪のカウンセリングがあるからお宅で持ってていいよ」
冬凪は同学年の妹だがあたしと同様ミユキ母さんの養女で誕生日が違う。冬凪は十二月三十一日生まれということになっているから、しばらくは月度のカウンセリングが続く。
「わかりました。それじゃあ……」
とロックアウトしようとしたら、
「夏波。未成人保護プログラムが終わってメタバースの利用制限が緩和されるからってロックインしすぎはだめなの、分かるよね」
そもそもこの面倒な保護プログラムが施行されたのが、若年者のメタバースの長時間ロックインによる精神障害の多発が問題視されたからだった。少子高齢化が極限まで進んだこの国で、希少な労働者予備軍を失うことは国益に反するとのことで、大人たちが大騒ぎして火急的速やかに法整備が進み今に至る。
メタバースへのVRギアやVRブースでのロックインは基本的に視覚を酷使する。そのため強度の眼精疲労からくる肩こり、眩暈、頭痛は普通にある。さらに長時間のアクセス、没入の深度が増すと、粗暴や傷害のような問題行動や自傷行為を繰り返し、最悪の結果自死に至ることもあるとされる。この点については、メタバース運用組織や開発元、大学や政府の諸機関も加わって、安心して利用できるよう原因の究明と対策を講じてはいるが未だに解決に至っていない。それでも未成人者のメタバース利用が禁止とならないのは、すでに社会的インフラになった現状、いずれ成人したらその中で生きることになるのだから若いうちに慣れておけということらしい。
「わかってます。せいぜい2時間くらいに抑えます」
「大丈夫かな。夏波は前科があるからなぁ」
二年生の時、開発に夢中になって警告を無視していたら制限時間を三十分も超過してしまい、二週間のロックイン拒否をくらったことがあったのだ。それ以来、警告前に電痛アラームをかけて用心して来た。お尻にビリビリっと来るやつで相当痛い。それを一時間分延長するまでのことではあるのだけど。
「あたしも病むのは嫌ですから」
「元気すぎる夏波がそれをするのは想像できないけど」
と前置きしてから言いにくそうに、
「例の自傷行為が流行っているみたいだから」
響先生が心配しているのはブラレ(Bloodletting)のことだ。注射器で血を抜く自傷行為で
「大丈夫ですよ。おやすみなさい」
「もし白馬の王子の夢を見たら先生に言ってね。たくさんの子が見てるらしいの。それと瀉血と関係が……」
言葉の途中でカウンセリングルームが暗転し始めた。VR空間に浮かぶROCKOUTアイコンに触れたためだった。最後の言葉が気になったけれど、既に現実のあたしの部屋に戻っていたためそのままになってしまった。
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