第11話 事故

真夜中、桜井家の電話が鳴った。

好子はこんな真夜中に誰かしら?と不思議に思いながら、受話器を取った。

「夜分にすみません。こちら警察の者ですが、桜井奈々さんは、そちらのお嬢さんで間違いないでしょうか?」

「はい」

「実は、そちらのお嬢さんの奈々さんが、自転車に跳ね飛ばされまして、救急車で病院に搬送されました。ご家族の方に病院まで来てもらいたいと思いまして、ご連絡したところです」

「なんですって!奈々が?それで容態はどうなのでしょうか?」

「詳しいことは病院でお聞きになった方が確実なのですが、どうやら骨折などしているそうです。なるべく早目に病院まで行ってあげて下さい。本人もかなりショックを受けているようですので……。病院の名前と場所は……」

好子は慌てる気を抑え、震える手でメモを取った。

「は、はい。わかりました。連絡ありがとうございました」

電話を切った頃には、朝の4時過ぎになっていた。

好子は急いで雅紀を起こした。

「あなた!起きて!大変よ!奈々が、奈々が自転車に跳ねられ、入院したそうよ!」

「なんだって?入院?」

「今から準備すれば、朝1番の新幹線に間に合うわ。急ぎましょう」

「そうだな。しばらく向こうにいられるようにしよう」

「私、乃々にも伝えてくるわね」

そう好子は言い、乃々の部屋のドアをノックした。

「どうしたの、お母さん?」

「あのね、大変なのよ。奈々が自転車に跳ねられたそうなの。しばらく東京に行って来るから、お留守番お願いね」

「え?お姉ちゃんが?…分かった。気を付けて行って来て。必ず着いたら連絡ちょうだい」

「分かった。それじゃすぐに支度して行くから、後は任せるわね」

「うん、こっちは大丈夫だから心配しないで」


雅紀と好子は、しばらく奈々のところについていてあげようと、それなりに荷物を準備し、急いで車に乗り込み駅に向かった。

駅の駐車場はガラガラだった。早朝ということもあったのだろう。

好子は自動販売機で缶コーヒーを2本買い、1本は雅紀に渡した。

「6時にはまだ少し時間があるら、コーヒー飲んで落ち着きましょう」

「ああ、そうだな」

プシュッと2人は缶コーヒーを開け、ゆっくりと飲み始めた。イラ立つ気持ちを必死で落ち着かせようとしていた。

待合室を出てホームまで来ると、数人の人が立っていた。

そして始発の新幹線に乗り込み、東京へと向かった。

自由席にはまだ、雅紀と好子しか乗っていなかった。そこからの2時間はとても長く感じた。


✤✤✤


東京駅に着いたのは、朝の8時20分近くだった。そこからタクシーに乗り込み、病院まで向かった。

「運転手さん、なるべく急いでお願いします!」


病院に着き、受付でそっと奈々の病室を尋ね、看護師に付き添われ急ぎ足で病室まで行った。

そして部屋のドアを看護師がノックすると、中からか弱い声でかすかに返事が聞こえた。

看護師が「どうぞ」と促し、雅紀と好子は部屋に入った。

「奈々!」

「お父さん、お母さん。来てくれたの?」

そこには左足と頭を包帯で巻かれ、顔半分に大きなガーゼを貼っている、奈々がいた。

「ご両親には後ほど先生からお話がありますので、しばらくお待ち下さい」

看護師はそう言い、部屋から出て行った。

奈々の病室はどうやら特別室のようで、トイレやシャワー室があり、薄い黄緑色のソファも置かれていた。

「夜中に警察から電話があって、慌てて来たのよ。こんな姿になって…。1人で苦しかったでしょう?」

「起きていて大丈夫なのか?」

好子と雅紀が尋ねた。

「私、跳ねられた時の記憶が曖昧なの。よく覚えていなのよ。確か…夜に外の空気が吸いたくなって、散歩に出かけたの。その後に自転車に引かれたみたい」

「そうなの…。でも少し安心したわ。ちゃんと話ができるのね。頭打ったの?痛くない?」

「痛み止めの点滴打ってもらっているから、今は大丈夫よ。心配かけてごめんなさい」

「何を言っているんだ。娘が事故にあったんだ。来るのは当たり前じゃないか。」

「そうよ、しばらくここにいるつもりだから、安心して」

「ありがとう」


1時間程経った頃、ノックの音が聞こえ、看護師と医師が病室に入って来た。

「先生!この度はお世話になります。奈々の状態はどうなのでしょうか?」

「別室でお話しますので、こちらへどうぞ」

看護師と医師は部屋を出たので、雅紀も好子も後を着いていき、面談室と書いてある部屋に通された。

「警察の話ですと、ピストバイクという、ブレーキの無い自転車に跳ねられたようです。自転車といっても競技ようの自転車のようですので、スピード次第で怪我がかなり異なります。中には死者も出る程の自転車のようです。そのピストバイクは違反行為に当たるみたいで、乗っていた青年は救急車を呼んだ後、逮捕されたようです。奈々さんの場合は、全身打撲と左足骨折、頭を強打しまして、出血がありましたが、脳には異常はありませんでした。ただ…左目の下に傷を負いまして、かなり細かい石などが入り怪我をしたので、13針縫ってあります。あと数センチずれていたら、失明の可能性がありました」

「そうでしたか…。顔の傷は大丈夫なのでしょうか?モデルの仕事をしているので、影響なければいいのですが…」

「洗浄し、なるべく目立たないように努力は致しましたが、恐らく傷跡は残でしょう。奈々さんには傷跡のことは、はぐらかしております」

「そんな…」

好子は泣き崩れた。雅紀も驚きを隠し切れなかった。

「いずれ近いうちに話さなければと思っておりますが、私から伝えますか?それとも奈々さんのお気持ちを考えてご両親から話されますか?」

2人はしばらく考え、「あなた…」好子が雅紀の手を握ると、雅紀はうなずき、

「私たちから説明します」

と言った。

「そうですか。分かりました。こちらでもできる限りさせていただきます」

「よろしくお願いします」

雅紀と好子は頭を下げ、懇願した。


雅紀と好子が別室で医師と看護師に会っている間、事務所の高舘が病室に訪れていた。


「奈々!こんなひどい怪我になるなんて…。相手は逮捕されたようだ。違反の自転車に乗って跳ね飛ばすなんて、なんて奴だ…。奈々もどうして夜遅くに外に出たんだ?」

「……気分転換したかったの。最近疲れが取れなくて、それで…」

奈々は涙を流しその涙は頬を伝った。傷口に涙が沁みた。

「ショックなのは分かるけど、これじゃあしばらくは、仕事は無理だな。ちゃんと治るまで待っているから、後のことは私に任せて、ゆっくり休養するといい」

「ごめんなさい。迷惑かけて…」

と、そこへ雅紀と好子が病室に戻って来た。

「お父さん、お母さん、いらしてたんですか。こんな形になり大変申し訳ありません。私の監督不行届です」

高舘は深く頭を下げた。

「高舘さん、頭を上げて下さい。高舘さんのせいではありません。偶然の事故なのですから、仕方なかったのです」

「娘さんを預かっていながら、謝ってもお詫びのしようがありません。本当に申し訳ありませんでした」

「いいえ、高舘さんは良くやってくださっていました。こちらも悪いのですから、ご自分を責めないで下さい」

「ありがとうございます」

高舘は悔し涙を浮かべながら、頭を上げた。


そして雅紀が口火を切った。

「奈々、先生から事情は聞いた。足の怪我は2ヶ月かかるそうだ。それから高舘さんにも聞いてもらいたいのですが、顔を13針縫ったようで、傷跡が残るかもしれないとのことです。」

「そう…ですか…」

高舘が呟いた。

奈々は少し呆然とし、

「ウソ!ウソよね?やだなぁ。冗談にしてもそれは無いでしょ」

「……」

「ウソよ、そんな…。だって…私モデルなのよ。顔が商売道具の一部なのよ。1番大切な場所なのに…。信じたくない!」

「まだ絶対とは限らないから…」

「だって、こんな…顔半分にガーゼ当ててるじゃない!」

「まだ治るまで分からないのだから…」

「高舘さん、どうしよう…。とんでもないことになったわ…。どうしよう…」

「落ち着け、奈々。怪我が治るまで様子を見よう。ボクも出来る限り何とかするから…」

高舘がそう言うと、

「ごめんなさい…1人にさせて…」

奈々はポツリと言った。

「分かったわ。お父さんとお母さん、ちょっと売店にでも行って、飲み物でも買ってくるわね」

雅紀と好子は静かに病室を出た。そして高舘も

「また来るから」

と言い残し、病室を後にした。


みんなが出て数秒した途端、

「いやぁぁぁぁぁー!」

と奈々は泣き叫んだ。その声は雅紀と好子にも、そして高舘にも聞こえ、廊下に響き渡った…。


✤✤✤


二週間後、顔の傷口の抜糸をすることになった。

傷口は塞がっており、大丈夫だろうと言うことだった。

そして

「看護師さん、鏡を…、そこの洗面台まで連れて行ってくれますか?」

「お顔見ますか?」

「はい。覚悟はできています」

「それじゃあ、私の肩にしっかり掴まって立ち上がって下さいね。左足は床に付かないようにしてください」

奈々は看護師の肩に力いっぱい掴まり、右足でケンケンしながらゆっくりと洗面台まで行った。そして

「…」

「大丈夫ですか?」

「私の…私の、顔…」

奈々はあまりのショックで言葉がそれ以上出てこなかった。

傷は、左目の目尻の少し下から鼻に向かって、斜めにあった。まるでテレビドラマに出てくる、ヤクザのように見えた。

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