第2話 スラム街のゲーム
『緊急着陸、しっかりつかまってください、緊急着陸……』
六つのプロペラのうちの一つを失っても、ドローンが直ちに墜落することはない。しかし、オートパイロットシステムは安全を確保するために救難信号を発しながら地上に向かってゆっくりと降下した。
おてんば娘のルミルにとって緊急着陸は初めての経験ではなかった。数度の不時着を経験し、その度に日本ドローンサービス、通称JDSの世話になっている。その日も、着陸してJDSを待てばいいだけだと思った。
「あれれ、ヤバイかも……」
着陸した場所は初めての場所だった。スラム街だ。
初めてのゲームのエリアに飛び込むと、プレイヤーは不安と期待に胸を
一方、スラム街の住人にとって、ドローンは珍しいアイテムだ。時間を持て余してぶらぶらしていた住人が集まる。
人類が効率と安楽を追及し続けた結果、先進国の仕事の多くはロボットが担うようになった。ある意味で現代は、ロボットが富を生みだして市民を養っている時代だ。
人間の職業は、高度な意思決定を要する経営管理者か政治家、企画開発者、修理ロボットを修理する技術者、スポーツや芸術関係といった技術や資格、センスが問われるものがほとんどだ。それ以外の仕事といえば、警官か子供たちの教育者、クレーム対応を要する接客業だ。それらの仕事の適性を認められないと、仕事につくのは難しい時代だった。それでも福祉は充実しているから、贅沢しようと思わなければ労働は不要だ。
スラム街の建物はアパートも店舗も全て公営で、住人の多くは外国からの移民と十分な教育を受けられなかった若者たちだ。住人は住宅も食事も水も、最低限の物品は無料で与えられるから飢えることはない。ちなみに電気はSETが無償提供している。
日本のスラム街は他の国のスラム街と少し違っていた。そこには異種族が住んでいない。保守的な日本社会は異種族の移民を受け入れていなかった。
スラム街の住人には定期的なプロスポーツテストや芸術祭、発明コンテストなどに参加するチャンスが与えられる。そういったイベントで成果を出せば、多額の現金や名誉を得られ、スラム街から脱出するのも夢ではない。そのチャンスが制度化された結果、富裕層と貧困層の二極化を社会は正当視していた。
都市の清掃や護岸工事といった有料奉仕作業もある。そこに参加してロボットと共に働けば現金を手に入れることができるが、それにはプライドを捨てなければならないし、その対価となる賃金はあまりにも安い。
プライドを捨てきれず、制度化されたチャンスにも取り組まず、手っ取り早く大金を得ようと違法行為を行う人間もスラム街には多い。
ルミルのドローンが不時着したのは、そんな人々の住む街の広場だった。
「あら、やだ。どうしよう?」
ドローンはあっという間に物欲しそうな住民に囲まれた。
『無許可の改造は違法行為です』
オートパイロットシステムは警告したが、ドローンは機械好きの人間によって瞬く間に分解された。換金するために部品を持ち去る者もいれば、単に機械が好きでコレクションとして持ち去る者もいる。
ルミルは、機械よりも人間が好きな
「近寄らないで!」
助けてと言わないのは、小さなプライドのためだった。
「俺たちは超悪魔団、お前は俺たちのものだ。たっぷり可愛がってやる」
言ったのはリーダーらしき金髪の男性で、耳や鼻に趣味の悪いアクセサリーをぶら下げていた。
彼の周りに、髪の赤い男性と青い男性、マッチョな大男とぶよぶよと太った男性、骸骨のように痩せた男性がいた。みんな派手な格好をしているのに、泥と
ルミルは、超悪魔団をセンスのないネーミングだと思ったが、指摘することは止めた。それを口にすれば状況は悪化するだろう。
「この世には、ルールを聞いてからステージに上るゲームと、己の意思にかかわらず、放り込まれたステージの中でルールを学ぶゲームがある。生存競争というゲームは後者だ。俺たちは生まれて初めてルールを知り、敵を知り、味方を知る。時には、敵味方の区別が出来ずに殺し合うこともある。ルールが気に入らないからと、ゲームを放棄することは許されない」
金髪男は、ルミルの
「理不尽なものにも見えるこのゲーム、参加者がルールを変えてしまうこともできるんだぜ」
赤髪の男性が付け加えた。
「俺のセリフを取るんじゃねえよ」
金髪男が、赤髪男の尻を蹴った。
「スラムそのものをぶっ
「行くぞ」
金髪男の合図で、マッチョな大男がルミルをひょいと担ぎ上げた。
「やだぁ」
驚いて声を上げると男たちが笑った。そして走り出す。手に入れた得物を他の何者にも横取りされないように。
大男の肩の上のルミルは、並んで走る5人の姿を見下ろしながら自分の運命を考えた。
いかに楽天的でお嬢様育ちのルミルでも、彼らが可愛がるという意味ぐらいは知っていて、これから自分に訪れる運命が予想できた。
JDSがドローンの修理にやってきて、そこに所有者がいないと分かれば警察に通報してくれるのは間違いない。それから警察のロボットがやってきて自分が発見されるのは何時間も過ぎてからだろう。そのころにはボロ
まあ、なるようにしかならない。慌てて騒いだら、きっと痛い思いをするだけだ。……ルミルは他人事のように考えていた。
超悪魔団の走る路地の先を、5人の男たちがふさいでいた。皆、白いマントを身に着けて20世紀のロックグループのようなメイクをして気取っている。
「どけ! エンジェル団」
赤い髪の男が叫んだ。
「超悪魔団。その女、おいていけ」
頬に黒いダビデの星を描いた男が言った。
声だけを聞けば、白馬に乗った皇子様が助けに来たようにも聞こえるが、エンジェル団のメンバーも超悪魔団と同じ目つきをしていた。
「逃がすなよ」
大男はルミルを下ろすと痩せた男に預けた。そして、超悪魔団の者たちは一斉にエンジェル団に殴り掛かった。
「キャッ」
ルミルは小さな悲鳴を上げた。本物の殴り合いを見るのは初めてだった。
5対5でなぐり合う姿は、ギャング団の倫理観を表している。それは、彼らが唯一誇れるものなのかもしれない。……ルミルは感心した。
気づけば、自分の腕を握った痩せた男もグループ同士の戦いを見るのに夢中になっている。逃げるチャンスかもしれない。彼の横顔をじっと観察した。
「エイッ!」
タイミングを見計らって、彼の足の甲を踏んだ。
「イタッ!」
ルミルは彼の骨ばった手を思いっきり振りほどき、全力で走りだした。
「女が逃げた!」
痩せた男の間の抜けた声は、意外に大きかった。
「女は、先に捕まえた軍団のものだ」
ルミルの背後で新しいルールを叫ぶ声が上がる。超悪魔団とエンジェル団は変化した状況に対応するのが早かった。
〝環境への適応〟それが生き残るために大切なことだと19世紀にダーウィンが言った。スラム街で二つのギャング団が生き残っているのには、それなりの理由があるのだ。……ルミルは身をもって学び、逃げ出したことを後悔した。
「ヘイ、ベイビー。逃げるなよ」
先につかまえた軍団のものといいながら、二つのギャング団はルミルを追いかけるのに全力を尽くしていない。小鹿を包囲した狩人たちが素手で捕獲しようとするように、はしゃぎながらルミルを追った。狩りに時間をかけるのも、彼らの楽しみなのだ。
「誰か、助けて!」
ルミルは、逃げながら助けてくれそうな人間を探した。街灯の下に立つ人々は多かったが、ルミルを追っているのが怖いもの知らずのギャング団だと分かると視線を逸らしてしまう。
通りの向こう遥か遠く、暗闇にきらめくオフィス街のビルが飾り物のように見えた。あそこに行けば秩序と安全があると思うと走る脚に力が入った。
「子猫ちゃん、待ってよ」
超悪魔団とエンジェル団は奇声を上げて追ってくる。
ルミルの選んだ道は、秩序ある世界には通じていなかった。土手を駆け上がると眼下には水をたたえた大河があり、左右にある橋までも距離がある。とてもそこまで走る体力は残っていなかった。
土手の上にぽつんと立つ人影があった。
「助けて!」
叫んで、その人影の胸に飛び込んだ。若い男性だった。彼は
とはいえ、あまり期待はしていなかった。人影は他の住人同様に、ルミルが逃げているのを知りながら自ら動かない人間だったからだ。
「助けて!」
「俺は正義の味方じゃない」
彼はぶっきらぼうに応えた。
「私みたいな可愛い女子高生が頼んでいるのよ。助けてよ」
ルミルは普段から率直、……見方を変えれば図々しかった。
彼がルミルの両肩に手を置いて、品定めをするかのように顔を見下ろす。その眼は爬虫類のような真っ黒な目玉に見えたが、ルミルは恐れなかった。それと同じ眼に見つめられたことが何度もあった。
「ゼットに頼んでも無駄だぜ。スラムの者だからな」
背後から声がした。超悪魔団の赤髪の男だ。
「わざわざ人気のないところに来るなんて、それは誘っているということかな」
額に三日月を描いたエンジェル団のメンバーが、余裕のそぶりで笑った。
「ゼット、一緒に楽しまないか?」
頬に
11人のギャングたちはへらへらと笑い、獲物を狙うハイエナのようにルミルたちを取り囲んだ。
ルミルは絶望した。ゼットと呼ばれた男性に頼ることをあきらめると、その背後にそびえるビルの明かりが
全力疾走した足の疲れと絶望感で座り込みそうだったが、肩をつかんだゼットの腕はそれを許さない。肩に痛みが走った。
「ゼット、超悪魔団に譲ってくれよ」
ルミルを逃がした責任を感じているのか、痩せた男が前に出てゼットに
それでルミルは、自分の身柄がゼットの支配下にあるのだと理解した。
――取った者勝ち――それがスラムのルールだった。
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