第15話 欠ける
今日はなんて散々な日なんだろう。
朝から日向が寝坊をした。私が揺さぶって、声をかけても全然起きなかったせいで、二人で走りながら朝食のバターで焼いた食パンを咥えながら学校に向かった。
ヘアゴムで髪も留めず、挙句の果てには、揃って鞠のピアスをつけ忘れてしまった。就寝時にいつも外して寝ているから、朝起きて顔を洗って歯を磨き、さっぱりしたところでピアスをつけている。今日に限って時間に追われてしまい、忘れてしまった。
校門に着く前に、とりあえず日向が枝毛がはみ出したポニーテールを振り乱していた。いつもは私が髪を整えてあげて、枝毛もはみ出ない綺麗なポニーテールにしているというのに。
それにしても、ピアスのない違和感がずっと続いている。右耳の耳たぶを授業中に触っても、今日は何もついていない。授業中、分からない所があれば、鞠のピアスを人差し指の先でつんつんと軽く揺らしながら、答えを考えるというのに。
日向が他の女の子と話す時、嫉妬を抑える為に耳のそれに触れては、お揃いでつけているし日向は私のものという様にアピールが出来るというのに。
今日はなんて散々な日なのだろうか。
「月詠ちゃんどうしたの? 今日はなんか元気が無さそう」
心配そうに月詠の前に顔を出したのは、黒原だった。
「ふぇっ、あ、いや・・・・・・何も無いです」
つい驚いて変な声を出してしまった。ボーッとしていた自分が悪いのだが、少し恥ずかしい。
「今日はずっとボーッとしてるように見えるけど、何か悩みでもあるの? もしかして黛澄さんの事とか? それともいつもつけてるピアスを忘れた事?」
そう言って黒原は、自分の右の耳たぶに指をさす。人の事をよく見ているのだなと、月詠は感心する。
「う、うん。今日はピアスをつけ忘れてしまって、寂しくて」
寂しい、なんて心の奥にしまっていた感情なのに自然と出てしまった。
「そっか、いつも日向ちゃんとお揃いでつけてるもんね。初めて二人を見た時、二人が仲良しなんだなって、そのピアスで分かったもん」
「うん、あのピアスは宝物なんだ。月詠達の大切な、大切な宝物」
木漏れ日の下、二人は校庭のベンチに腰をかけている。暖かな陽気のせいか、それとも聞き上手な黒原のせいか、いつの間にか長々と少ない休み時間の中で、月詠は黒原にピアスについて思い出を語っていた。
姉妹は幼い頃、今よりも遥かに仲が悪かった。食事中にコップの水を日向が、月詠の頭上からかけてきたり、月詠が日向のノートを奪い目の前で破いて捨てたり、お互いに酷い事をして親に酷く怒られていた。
仲良くなったのは、日向が悪ガキから月詠を守ってくれてからだという。あの時は本当にかっこよかったと嬉しそうに話していた。
それから、毎日のように隣を並んで歩いていた二人は、家の近くの神社が遊び場だった。父親に買ってもらったサッカーボールで、二人きりで遊んでいた。そこに毎日お参りに来るお婆さんがいた。
お婆さんは、念入りに手を合わせ笑みを浮かべて帰っていく。日向が一度、お婆さんに聞いた事がある。
「ねえ、どうして毎日お参りしているの?」
お婆さんは、膝をさすりながら
「それはね・・・・・・内緒だよ」
「どうして?」
「願い事は口に出さず、願い続ける事が大事なんだよ。そうすると、それを聞いた神様が願いを叶えてくれるのさ」
日向は不思議そうに頭を傾げて、そうなんだ、と返した。
「でもね、神様が本当に願いを叶えてくれるのは、その人にとって命に変えても叶って欲しいお願い事だけなのよ」
「命に変えても?」
お婆さんは、日向の頭を撫でてにっこりと微笑む。
「そうだよ。今はまだ無いかもしれないけど、いつかその時が来るものさ。そしたら、強く両手を握り締めて神様にお願いするんだよ。いいかい?」
「うん! そうする!」
きらきらと目を輝かせる日向に微笑むお婆さんは、後ろに木の影でこちらを覗く月詠に気付く。
「あらあら、あの子は妹さんかい?」
日向は大きく首を横に振る。
「違うよ、日向の双子の月詠だよ」
目を丸くして驚くお婆さんは、それについて触れる事はなく、月詠にこっへおいでと手招きをする。
もじもじしながら歩いてくる月詠の顔を見て、お婆さんは何度も日向と月詠の顔を行き来する。
「あらまあ、本当に双子ちゃんなのね。こんなにもそっくりな双子ちゃんは、見た事ないわ」
「こ、こんにちは・・・・・・つくよって名前です」
「気が弱そうなのに、ちゃんと挨拶が出来るのね。偉いわね」
月詠が隣で褒められて、日向も負けじと挨拶をする。
「私は日向って言います! よろしくお願いします!」
「日向ちゃんっていうのね。あなたは元気いっぱいで、私も元気出てくるわあ」
そうだ、とお婆さんは持っていたピンクの手提げバッグを、ゴソゴソと何かを探し始めた。
「えっと・・・・・・あったあった。二人共、手を出してくれる」
言われるがまま、二人は手を出すと、お婆さんがその上に鞠のピアスを置いた。
「わあー可愛い!」「可愛い・・・・・・」
「それ、あげるよ。私の手作りで娘にあげようと思ったんだけど、つける事も無いだろうし、代わりに二人がつけてくれるかい?」
日向が本当にいいのかと尋ねると、お婆さんは笑顔で頷いた。続け様に、お婆さんは娘の事を話してくれた。
このピアスを作り終えて渡そうとしたその日に、事故にあって目を覚まさないままだという。そこで幼い二人は、願い事がなんだったのかを察した。
お婆さんの好意を無下にする事は出来ず、ありがとうございます、と大事そうに握り締めた。
ピアスは中学二年の時に耳に穴を開けて、ようやくつけてみた。お婆さんの姿は、いつの間にか神社に現れなくなった。娘がどうなったのかは分かっていないが、無事を祈りたい。
耳に穴を開けた時に、月詠はふとお婆さんの事を思い出し、あの時のお婆さんの心の痛みはこれより痛かったのだろう。
日向は、お婆さんが話していた本当の願い事について、深く心に留めておくのだった。
鞠のピアスは大事な物、二人を表す陰と陽の勾玉のような物。家族、双子、それ以上に繋がりを強調させるそれは、絶対に外すことを許されない。
最近、日向のピアスがだいぶ汚れてきた。自分より動き回るから、余計に汗をかいてそれがピアスに流れ落ちるせいだろう。汚れが多くなったせいで、つける頻度が減っていた。ひ
不安が押し寄せ、悩みに悩んでいることも増えていって、授業に身が入らない。それに、塾にも通っているから帰りも一緒に帰れない。
「月詠、気をつけて行くんだよ。自転車だからって焦ってスピード上げないこと、事故が一番怖いからね」
「分かってるよ、日向」
心配するなら一緒に来てよ、とも言えず、それじゃあ、と自転車に跨って塾に向かう。平日はいつもそうだ。日向と一緒にいれる時間が欲しいというのに、他が邪魔をする。
やめればいいのだが、日向のためだと思うとやめるのは惜しい。仕方なく、我慢をして塾に通うしかなかった。
信号待ちで後ろを振り向くと、日向と黒原、花撫が仲睦まじく笑い合っている。本来ならそこにあるはずの自分の姿が薄く見える。
「今は・・・・・・頑張らなきゃ」
寂しさを握り締め、月詠は自転車を走らせる。
塾は、真面目な生徒ばかりで机に向かって勉強をしている人ばかりではなく、ゲームを隠れてやっている生徒もいれば、おしゃべりに夢中な生徒もいる。場違いだ。
勉強に熱心なる為の場所であるはずなのに、まともな生徒が見えない。塾とはこういう場所なのかと疑念を抱く。
私だって遊びたい。
日向とゲームをしたり、幼い頃のようにボールを蹴りあったり、買い物にも出かけたい。
でも勉強を疎かにしてしまうと、自分の将来を確立させることも出来ないし、日向の将来にも影響するかもしれない。どうしても日向を優先してしまうこの頭を、まずは交換しないといけないのだろうけど、無理に決まってる。
私は、日向の事が大好きだから。───────
自転車がパンクするなんて久しぶりだ。原因はたぶん、いつものように塾に向かう途中で砂利道を毎日のように通っているからだ。帰りに自転車屋に寄ろうかと向かってはみたが、さすがに夜遅くにやっている店はなく、仕方なく次の日は歩いて向かう事にした。
今日はいつものように日向の隣で歩いて登校が出来て、黒原さん達と一緒に話せて、とても楽しかった。
でも授業は退屈でほとんど聞いているだけ、ノートには内容を書き写すがそれ以上は何もない。日向に分かりやすくノートをどうまとめられるか、そればかり考えていた。
「それじゃあ、気をつけて帰ってねー」
朽城の号令と共に一日が終わり、月詠は忘れ物がないか机の中を顔をのぞき込ませ確認し、バッグを手に持ち帰ろうとした時、申し訳なさそうに朽城に声をかけられる。
「姫鞠さん、悪いんだけど少しだけ時間を貰えるかな。まだ早いかもしれないけど、大学の候補を見つけたんだ。この前、進学を考えてるって言ってたから、勉強も頑張っているようだし、それを視野に入れてこれからも頑張って欲しいと思ってね」
塾があるからと、断りをいれることが出来ず、月詠は仕方なく、分かりました、と朽城の後に続いて教室を出る。
大学の話は、職員室で行われた。三校の資料を手渡され簡単に説明を受けた。簡単とはいっても、それぞれ三十分程時間を費やした。質疑応答を繰り返す中で、日向も行けそうな大学を探した。
結果、すぐに決める事はせず、家に持ち帰って別の大学も探してみると朽城に伝えて、失礼しました、と職員室を後にした。
───────大学に行くなら、日向と一緒がいい。
大学選びは、日向の行ける所に決めよう。朽城先生が候補にあげてくれた大学は、どれもいい所ばかり、月詠さんなら頑張ればいけるからと明るく話してくれた。嬉しかった。
お婆さんがくれたピアス、それをつける時に日向は言ってくれた。二人で一つ、この言葉がずっと支えになっている。
まじまじと言われた時は少し恥ずかしかったけど、今はそうじゃない。私にとって告白されたも同然の一言だ。
日向を想いながら、月詠は足早に廊下を通る。朽城のおかげで、今まで余裕をもって塾の始業時間に間に合いそうもない。不幸にも自転車はパンクしていて、歩いて向かうのだがそれでもギリギリか遅刻かの瀬戸際だった。
だが月詠は運が良かった。ちょうどすれ違った笹岼に、どうしたの、と声をかけられた。
「実は今日、自転車が無くて、塾に遅れそうで」
「ん、じゃあ私の自転車使っていいよ。今日は塾は休みだから、使う予定は全くないの」
そう言って、笹岼はポケットから自転車の鍵を取り出し、月詠に渡す。鍵はキーホルダーも一緒になっていて、〈国語辞典〉と書かれた小さなチャームがついていた。
「黒の自転車に茶色のサドル、場所は駐輪場の出口付近の一番奥の道路側、たぶんすぐ見つけられると思うよ」
「で、でも───────」
「それじゃあね」
後ろ手で手を振りながら、笹岼はそのまま去ってしまった。罪悪感を感じながらも、彼女の行為に甘えて自転車を借りる事にした。
「駐輪場の出口付近の道路側の一番奥、黒の自転車に茶色のサドル・・・・・・これか」
言われた通りの場所に向かうと、笹岼の自転車を見つけた。月詠は、小さくありがとうございますと囁き、それで塾へと向かった。
塾までの道にある砂利道で、笹岼の自転車がパンクしないか不安だったが、それよりも始業時間に間に合うかどうかが心配だった。
やはり気にしてしまった月詠は、砂利道を降りて進み、再度自転車に跨って漕ぎ始める。そんな事をしていても、まだまだ時間には余裕があった。
「・・・・・・これなら間に合う」
運動していない分、早く漕いでいると息切れが目立ち始めた。だが、どこかで五分ほど呼吸を落ち着かせる時間をつくっても、平気なくらい焦る必要がなかった。
明日、笹岼さんに会ったらお礼をしなくちゃ。
でも、お礼なんてどう言えばいいのだろう。そんな事を考えながら、月詠は塾に向かうのだった───────。
その日の塾の席は、一つだけ空いていた。始業時間になっても、それを過ぎた後にもそこに座る者は誰もいなかった。教室全体を見渡しても、そこに月詠の姿は無かったのだ。
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