火星の旅

 ニューフロンティアを出てからの数時間はひたすら退屈だった。


 オープンシティへと続く一本道を疾走するオートモービルの左右には高さ三十メートルほどの火星サボテンマーズ・カクタスが並ぶばかりで、見るべきものは何もない。SWWスペース・ワイド・ウェブも圏外だ。俺は仕方なしに耳殻端末イヤ・フォンに積みっぱなしだった古い映画を観ることにしたのだが、これがまたひどい出来で、何度もあくびをかみ殺す羽目になった。


 狙いはわかるんだよ。救国の聖女から神性を剥ぎ取り、徹頭徹尾人間として描ききるってことなんだろうさ。そりゃあそれでアリなのかもしれない。だが、あいにくと俺が観たかったのは、イングランド軍とフランス軍のドンパチだけなんだ。


 ぶつくさ言いながらコーヒーを飲む。二杯、三杯。さすがに膀胱が限界を迎えたのでトイレに向かう。戻ってきたところで、オートモービルのフロントパネルがオープンシティの街並みを捉えた。


 ――二十年代にはじまった人類の火星移住計画は、半世紀を経て着実な成果を上げつつあった。既にして火星上には最初の都市ニューフロンティアのほか九個のドーム都市が建設済みであり、総人口も昨年ついに十万人を超えたところだ。


 テラフォーミング計画も順調で、火星地球化機構の発表では、理論上ドーム無しで人類が生存できる環境は今年度末には五千平方キロメートルを超えるということだった。火星初の非ドーム型都市・オープンシティの建造も、当初から計画されていた分については九割以上が完了しており、現在は人類の移住前の環境評価グローバルパラメータ試験も最終段階に入っている。


「……本当に地球の街みたく作ってあるんだな」


 オートモービルは既にオープンシティの中央を貫くハイウェイの上まで来ている。目に見える範囲に火星サボテンはなく、代わりにコンクリート・ビルの密林が遠くまで広がっている。技術的にも環境的にも制約の多かった他のドーム都市ではありえない光景だった。


 すぐにでも街を歩いてみたいという思いに駆られるがそうもいかない。理論上人類の生存に適した環境が維持されているとは言っても、ここは火星だ。地球とは大気の成分が全く異なる。体を慣らす時間が必要だった。


「お待ちしていました、


 環境適応センターのビルに入り、二重扉の奥にオートモービルを停めると、一体の人間型ロボット――ヒューマノイドが話しかけてきた。


火星産業総合研究所かせいさんぎょうそうごうけんきゅうじょ自立機械研究部主任研究員のヨウ・サノアだ。教鞭を執ったことはないから、プロフェッサーは勘弁してくれ」


「かしこまりました」


 綺麗な発音だった。それにお辞儀をする動作もかなりスムーズだ。実労働用のヒューマノイドらしく、一目で機械とわかる造形だが、それだけに妙に人間的に感じられる所作だった。


「ではサノアさま、わたしはシモン。今回の調査で貴方のナビゲーションを務めさせていただきますのでよろしくお願いします」


口調が少し固い。もう少しフランクな方が好みだが、別にヒューマノイドとお友達になりにきたわけではない。


「まずはメディカルルームで環境適応だな。資料は読める状態になっているのか?」


「室内の端末に落としてありますが、最低六時間はお休みになることを推奨します」


「適応不十分で、酸素中毒になったらたまらないからな。努力しよう」


 それから俺はシモンにルームへ案内するよう促した。


「ここにいるのは君だけか?」


 センターの廊下は静まりかえっていた。人はもちろん、ヒューマノイドがいる気配も全く感じられない。


「ええ。わたしだけです。ここは試験に関係ありませんからね」


 そう言ってから、シモンはくすりと笑うような仕草を見せた。


「ご安心を。適応が済めばいくらでもご覧になれますよ」

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