第3話 貧困の中で

 慎介は、ずっと前からどうしても弟に勝ちたかった。

 あの母を見下したいと思っていた。しかし、要領が良い上に、顔の見栄えや頭の良い弟には何をしても敵わなかった。


 その慎介が決心したことは、家を出て前から好きだった役者になり独り立ちをすることだった。

 そこでどこかの劇団員になって、いつかは好きな演技で彼等を見返したいという、その熱い思いがあった。


 その彼が演劇を目指したのは、与えられた役に自分を投影させ、新しい人格として生まれ変わり、その中で演技が出来る喜びと、自分でない役の中に逃避させたいという気持ちであり、元々そういう世界が好きだったからでもある。


 あの頃は芝居や映画が好きだった父に連れられて貰ってはいたが、母はそういうことにあまり興味が無く、父のお供としては慎介だけがいつも付いていった。


 そういう関係から慎介がその世界に親しみ憧れたのも父の影響が大きかった。その背景があり、いつか芝居を演じてみたいと心から思っていた慎介少年だった。


 しかし、家を飛び出したものの、現実の世界は甘くはなかった。

 そこで何とか探し当てて入り込んだ地方の劇団では、たいして演技力のない慎介に役が回ってこない。


 たまに巡ってくる役でも、ただ通り過ぎるだけで台詞せりふがなかったり、被り物であったり、あったとしてもそれは殆ど目立たない端役がほとんどだった。


 何故かと言えば、それに慎介が腫れぼったい目をし、目立たなく、冴えない顔の男であり、それが故に影響はしていないと言えば嘘になる。


 それでも彼は一生懸命に役作りに励み、自らもシナリオを書いたりと人一倍の努力もした。決して演技は下手ではないのだが、しかし彼は報われなかった。


 いつしか慎介は落ち込んでいて役が来ないのは自分の実力ではなく、不細工な顔だと自らを決めつけていた。

 (この顔さえ、なんとかなればなぁ……)


 それはいつも彼が持っていた劣等感である。

 芝居では多少でも自信があり、何とかしてこの不細工な顔が綺麗になれば良い、そうすれば自分にもましな役が来ていつかは憧れのスターになれる日がきっと来ると思い込んでいた。


 そうしなければこんな惨めな気持ちを抑えることは出来ない。思い悩んだ末にたどり着いた結果は顔を変えることだった。

 その為にどうしても慎介には整形手術が必要だった。


 しかし、鼻を高くするための隆鼻術りゅうびじゅつやその整形、突き出た顎を削り更に頬骨や、下顎の前突等の施術をするとべらぼうな金額になる。それをしたいと慎介はその頃、同棲していた美子に言っていた。


 同じ劇団員の美子も地方から出てきた演劇好きな女だった、顔やスタイルは大したことはないのだが、好きな演劇について常に稽古を怠らず研究もしていた。

 

 彼女は優しい上に聡明なところもあり、それが慎介が好きになった要因でもある。二人はいつしかお互いに惹かれ合っていった。そして二人で探し当てた安アパートで同棲を始めたのである。


 だが、たいした役も来ない彼らは当然実入りが少ない劇団の給料だけで食える訳が無く、その為に色々とアルバイトをしていた。


 料理が上手な美子は、なけなしの金で買った安い材料で作るものは慎介にとってどれも美味しかった。だが、そのやり繰りする中で或る夜、思い立った慎介はついに美子に泣きついていた。


 彼の整形手術のことである。その額はとても慎介の持ち金や、美子の貯金をおろしても足りる額ではない。甘えながら慎介は美子に訴えていた。


「美子、僕がいくら頑張っても、どんなに足掻あがいても良い役が降りてこない、それはこの俺の顔のせいなんだ、もううんざりだ、芝居なんか辞めたいよ、美子……」そういって泣きつく慎介に美子は途方に暮れた。しかし美子は彼を元気づけたかった。


「そんなことないわよ、いつか演技を続けていれば自然と役は付いてくると思うわ、もう少しの辛抱よ、頑張ってみて、役者は顔だけじゃないと思うわ、ねえ慎介」


「いや、駄目だよ、美子、どんなに頑張っても変わらなかったじゃないか。こんな顔では、いっそ死んでしまいたい……」


 そういって泣き崩れ美子に抱きつく慎介に彼女は途方にくれた。


 そんな慎介を抱きしめながらそれほど顔にこだわるのなら、それで良い芝居が出来るようになれば、何とかしてあげたい……と美子はそう思うようになっていた。

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