第35話 新たな目標

「────なんで……トドメを刺さないわけ?」


 アサヒの放った太陽が消えた後、その場に出来た巨大なクレーターの中央で、全身に大火傷を負い、虫の息になったサヨは転がっていた。

 もう指一本動かすことも叶わないほど満身創痍であり、いくら彼女が頑丈な体を持っているとは言っても、今なら境界警備隊でもトドメを刺せる。


 そんな彼女の傍らに、アサヒは立っていた。その瞳は酷く冷たく、同情など欠片もない殺意に満ちていたが、それを行動に移すことはない。


「ああ、そう言えば、殺さないことにしたとか言ってたっけ。変な拘りだよね。流石にあたしは例外にしてもいいと思うけど」

「そうだな。今、それを悩んでいたところだ」

「……おっと、余計なことだったか。口は禍の元ってやつだね……」


 サヨはそう言って自嘲気味に笑う。その笑みは今までの余裕綽々で軽薄な態度とは少し違う。全てを失って、自暴自棄になったが故の破顔だ。


「お前はレナとは接点がなかったし、殺しても構わないと思うんだが……いや、そういうことではないか。殺さずに済むならそうした方がいい」

「甘いねぇ……そんなんだからまんまと妹ちゃんを連れ去られるんだよ。あたしを生かしたっていいことないよ。もし逆上して君の大切な妹を殺したらどうするの?」

「返り討ちにするだけだ。お前の実力は大体わかった。決して油断できる相手ではないが、レナを人質に取られなければ苦戦することもない」


 勝利直後で慢心しているわけではない。純粋に戦闘結果から判断した評価だ。不本意ではあったが、サヨとしてもそこに異論はなかった。


「あーあ……屈辱だよ。あたしと同格の存在が誕生するのを百年も待ったのに……いざ現れたのが、あたしより格上だったとはね」


 自分が最も優秀な人類ではないというのなら、彼女の目的は根底から崩れる。淘汰されるべき貧弱な旧人類とは、まさしく自分のことを指す言葉になってしまうのだから。


「お前なら、その火傷もしばらく休めば治るだろ。痕ぐらいは残るだろうが、罰としては軽すぎるくらいだ」

「はぁ……女の子の顔に火傷痕をつけるなんて……罪深いね。いや、これに関しては慈悲深いと言うべきなのかな。でも、正しいとは思わないよ。君からしてみれば何のメリットもない。むしろデメリットだらけだ。倒した敵が味方になるわけでもあるまいし息の根を止めておかないと後悔するかもよ?」

「……なんだ、死にたいのか?」

「生きる理由が無くなったからねぇ」


 サヨは真っ青な青空を見上げ、ため息を吐く。焼けた肌に太陽光が突き刺さるのは苦痛だ。その上、今後は太陽を見る度にこの激痛を思い出す羽目になる。

 百年間、大いなる目標のために生きて来た。しかしそれが断たれてしまった今、その喪失感は生きる気力を軽々とへし折った。


「なるほど。その生命力では自殺も容易じゃなさそうだし、ここで死ななきゃさらにもう百年は死ねないかもな」

「あたしを生かしてどうするつもりなのかな。いっそスパッとやってくれた方が気楽なんだけど。まさか、生きて罪を償えとでも言うつもりかな」

「そんなわけないだろ。お前に罪があるなら俺にだってある。お前にごちゃごちゃ説教する権利なんかない。俺はただ、お前が嫌いなだけだ。だからお前にはなるべく長く苦しんでほしい。そう簡単に楽になんかしてやるわけないだろ」


 一切取り繕う気のない本音に、サヨは虚を突かれた気分だった。一応正義の味方と戦っていたつもりだったのが、それは全くの勘違いだったらしい。


「……ただの嫌がらせってこと? あれ、妹ちゃんのために不殺を誓ったんじゃなかったの?」

「それはそれ、これはこれだ。だが結果としてやることは変わらん。お前を殺すことはないし、頼まれたってトドメは刺さない」

「そっか、まあ……仕方ないよね。あたしは負けたんだから。生かすも殺すもあんた次第。文句を言える立場じゃないか」


 口ではそう言いつつ、割り切れない感情は胸の奥で燻り続けている。負けて悔しいという感情とは少し違う。計画を頓挫させられて苛立っているというのも、外れではないが的確でもない。かといって、フラれて恨んでいるというわけでもない。

 この感情は、そう、もっとシンプルな言葉で説明できる。飾り付ける必要など全くなく、ただ剥き出しのそのままで、充分すぎるほどに表現できる。


「えーと、じゃあそうだな……もう妹ちゃんに手は出さないと誓うよ。人を殺したりもしない。あぁ……こっちは誓えないかもな。場合によっては殺すかも。でも、なるべくやらないようにする」

「……急にどうした。心を入れ替えたとでも言うつもりか?」

「その通りだよ。あたしは心を入れ替えた。もう地球を雲で覆いもしない。旧人類を淘汰しようともしない。けど、この敗北を忘れもしない」


 一言で言えば、サヨはまだ子供だった。年月が人間を大人にするわけではない。環境こそが人を成長させるのであり、それを自分の都合の良いように自由自在に変化させてきた彼女には成長の機会などなかった。

 だからこそ、彼女は常に純粋で、何事にも自己中心的に向き合っていた。その本質はたった一度の敗北でそうそう変わるものではない。


「強くなって、いつか必ず────君を殺す。これから先の人生は、それだけを考えて生きていくことにするよ」


 最強ではなかったというのなら、また最強に返り咲けばいい。願いの形が少々変化しただけで、彼女は依然として強欲で傲慢な少女のままだ。


「俺を殺す……か。少し懐かしいな。昔はそんなセリフを毎日のように聞いていたんだが、最近はすっかり平和だったからな」


 雲が晴れ、太陽が戻った世界。これで世界平和が実現し、全人類が仲良く手を取り合って暮らしていけるようになるなんて、そんな幻想は微塵も抱いていない。

 恐らくは、むしろ逆だろう。過酷な環境だったからこそ、人々は生き残るだけで手一杯だったが、この先は戦争をするゆとりが生まれる。

 ステップとノーマルの争いは更に激化することになるだろう。あるいはノーマル同士やステップ同士の戦いもあるかもしれない。


 またかつてのように、争いの中に身を投じることになる可能性もある。アサヒはそんな中でレナを守っていかなくてはならないのだ。サヨからの宣戦布告などで動じている暇はない。


「やれるものならやってみろ。だが俺を狙って来るというのならレナは関係ない。次はこの程度じゃ済まさないからな」


 殺意には殺意で返し、アサヒは背を向けて立ち去った。一人残されたサヨは新たな生き甲斐ができたことに、満足げな笑みを零すのだった。

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