第4話 ソレイユ

 寒さから身を守るため建設された巨大シェルターも、全人類を収容するには狭すぎる。その限られた空間を利用できるのはほんの一握りだけであり、残りの大半の人類は外に閉め出され、極寒の世界に放置されることとなった。


 太陽光がほとんど地表に届かないため、作物は当然育たない。野生動物も多くが絶滅してしまった。絶望的な食糧不足だ。

 人々はシェルターを奪い取るために戦ったが、大半のシェルターはそんな戦闘が起こることを想定した上で建設されている。まともな武器もない中でその防衛を突破できるはずはなく、おびただしい数の人間が死んでいった。

 

 だが外に住む人間は絶滅したわけではない。極一部の人間は、太陽を失うという極限の世界に適応し、身体の大幅な進化を呼び起こした。

 彼らは外見こそ従来の人間と何ら変わりないが、圧倒的に高い身体能力と生存能力を手に入れ、シェルターの外の世界で生き延びられる力を得たのだ。


 それがステップと呼ばれる新人類。氷漬けになった地球の支配者だ。シェルターに籠り、進化に取り残された旧人類、ノーマルたちはステップを恐れた。

 かつて自分たちが閉め出した弱者が、今度は圧倒的強者になったというのだから危機感を抱かないわけがない。


 ステップたちからしても、温かいシェルターの中でぬくぬくと生活しているノーマルたちは憎悪の対象でしかない。

 ステップとノーマル、新人類と旧人類が対立するのは避けられないことだった。誰が号令をかけたわけでもなく、世界各地でステップがノーマルを襲撃した。


 圧倒的な力を持つステップだが、ノーマル側も黙って殺されてやるわけにはいかない。

 このシェルターの周囲にはホワイトラインと呼ばれる、襲撃者からシェルターを守るための要塞がある。数少ない資源を使ってその要塞を対ステップ用に補強し、軍備も強化した。その際に編成されたのが境界警備隊。マヒルの所属している軍隊だ。


 ホワイトラインを守護し、ステップからシェルターに住む人々を守る。危険な仕事ではあるが、軍隊に入った人とその家族には二層より比較的安全な三層での生活が許されているため、志願者が絶えることはない。


「私たちの仕事は危険が多いけど、戦闘の度に死者が出ているわけではないのよ。むしろ大半の襲撃には難なく対応できているわ。けれど、時折怪物が現れるの。もはや人の手に負えるレベルを超えた、とびっきりの怪物がね。私たちがソレイユと呼んでいるステップがその代表格よ」

「怪物って……ちょっと大袈裟に言いすぎじゃないのか? どれだけ強かろうがたかが一人の人間だろ?」

「ほら、ほらほら、やっぱり! 舐め腐ったこと言っちゃって! あなた、奴らを過小評価し過ぎなのよ! まあ、見たこともないんじゃ仕方ないでしょうけど!」


 顔を突き出し、グイグイと詰め寄ってくるマヒルに気圧され、アサヒは三歩ほど後退させられる。


「バカ! アホ! 戦場ではそうやって敵を軽んじてる人から死んでいくのよ! このボケ!」

「ボ、ボケ……?」

「あなたなんか危機感のないカス野郎よ。いい? 確かに一口にステップといってもその実力はピンキリだわ。私たちはステップを五段階で評価して、対応を決めることにしているけど、ソレイユはその評価規格外なのよ」


 唾が飛び散ることも厭わないマヒルの熱弁に押され、アサヒはさらにもう三歩引き下がる。


「わかる? つまり私たちじゃ全戦力をもってしても倒せないという評価なの。たった一人の人間がよ? 何十年も戦いは続いてるけど、そんな評価をされたのは歴史上二人だけ。奴の気まぐれ次第で、このシェルターはまるごと灰になってたかもしれないわ」

「シェルター丸ごと……ねぇ。なんでそんな評価をされてるんだ?」

「決まってるでしょう? 奴の能力がそれだけ強力だからよ」


 マヒルは芝居がかった大仰な動きで、自分の右手を前に突き出した。その手のひらはアサヒの鼻先をかすめるほどの位置で開かれる。


「ソレイユはその手から太陽を創り出すことができた。あの光に飲み込まれた後には何も残らない」

「……太陽か」

「あ、太陽っていうのは、雲の上にあるとされている巨大な光る球のことよ。雲さえなければ、世界中丸ごと照らせるぐらい明るいとか……」

「その説明はいらない。流石に知ってるって」


 太陽が見えなくなったとはいえ、その知識まで失われたわけではない。太陽の存在ぐらい誰でも知っている常識だし、そんなことを自信満々に語られても反応に困る。


「そう? じゃあ話が早いわね。それと同じぐらい明るかったらしいのよ」

「本物の太陽と同じって……流石にそれは言い過ぎだろ」

「いや、そんなことはないわ。それくらいソレイユはすごかったのよ。奴の襲撃は第一層が半壊するほどの大事件だったんだから。私みたいな子供が入隊できたのは、その時に失った隊員の穴埋めのためね」


 アサヒはマヒルの年齢を知らないが、見たところまだ十代後半といったところ。境界警備隊の隊員にしてはかなり若めだ。


 境界警備隊に入るには厳しい訓練と審査を潜り抜ける必要があり、志願すれば誰でも入隊できるわけじゃない。


 隊員にはステップと渡り合うため、最先端の技術となけなしの資源を注ぎ込んだ装備を支給されるのだが、大量生産できない以上、隊員は厳選する必要がある。

 せっかく手間暇かけて訓練した兵士が死んでしまっては大損害だし、装備を失うのも痛い。つまり選りすぐりの少数精鋭で構成しなくてはならないわけだ。


 境界警備隊に入るだけの実力がないと評価された者は、階層警備隊に所属することとなり、二層以下の治安維持を務めることとなる。

 犯罪だらけの二層を警備するのも激務だが、一層の警備と比べれば危険度は遥かに低い。


 そんな中で、この天道マヒルは一層の警備を任されている。口うるさい彼女だがその実力は本物ということだ。その彼女がここまで言うのだから、半端な脅しではないということがよくわかる。


「わかった? それぐらいステップは恐ろしい相手なのよ? わかったら、大人しく二層に戻りなさい。もし今襲撃があったらここは戦場になるかもしれないんだから」

「まあまあ、それでも、ホワイトラインを突破されない限りここまで到達されることなんてないわけだし、よっぽど大丈夫だろ」

「……五年前のソレイユ事件で要塞に大穴を空けられてね。未だにその復旧は完了していないわ。だから要塞を抜けられることが増えてるのよ。正直な話、境界警備隊の死亡率も年々上昇してるわ」


 そう言うマヒルの顔には暗い影が差していた。いなくなってしまった同僚の顔が浮かんでいるのだろうか。


「そこまでしておきながらシェルター内部には手を出さずに姿を消した意味もわからないし……ソレイユには謎が多いわ。怖がっている人もたくさんいるし……なんとか安心させてあげられたらいいのだけど」

「……わかったよ。わかったわかった。そこまで言われたら通り辛いじゃないか。大人しく二層に戻ることにするよ」

「良い心がけね。是非ともそうしなさい」

「今度からここを通る時は、お前に見つからないようにする」

「なんでよ! せっかくここまで来たなら顔ぐらい見せなさいよ! ……じゃなくて私がいてもいなくても一緒! ここは危ないから来るのはやめなさい!」


 マヒルから厳しい説教を受け、アサヒは渋々頷く。そもそも、シェルターに住む住人ならば、兵士の指示に従うのは義務だ。二人は顔見知りだからこそ、こんな気の抜けたやり取りができているが、本来なら罰則を受けてもおかしくない。


 アサヒは今さらながらちょっとだけ不安になり、マヒルの顔色を横目で覗くようにして伺った。

 罰として定番なのが、農場での労働だ。休日に駆り出され、休憩もなく朝から晩まで働かされるのは、兵士に逆らった住人に反省を促すのに程良い重さの罰である。


 マヒルが本気で怒っていたら土下座でもしようかと冗談半分に考えていたが、アサヒの視界に映ったマヒルは、酷く険しい顔をしていた。

 一瞬、まさか本当に罰を食らうのではないかと身構えたが、どうやらそうではない様子。彼女は耳元の通信機に指を当てていて、顔をしかめていたのはそこから流れて来る会話が原因のようだ。


「…………わかりました。はい……あ、いえ、隔壁はまだ待ってください。二層の住人が一人ここに……はい」


 数秒でやり取りを終え、マヒルはアサヒと目を合わせる。目は口程に物を言うという言葉があるが、彼女の目は緊急事態が発生したことを如実に語っていた。


「アサヒ君。すぐに二層へ戻りなさい」

「何か……あったのか……?」

「ホワイトラインが突破されたわ。一分後にはここが戦場になる。すぐに隔壁が下りて二層へ戻れなくなるから、早く────」


 彼女の言葉を両断するように、天地がひっくり返るのではないかと錯覚するほどの揺れと、意識が吹き飛びそうになる轟音が響き渡る。


「……ごめんなさい。ここが地獄になるのに、一分もいらないらしいわ」


 マヒルはヘルメットを頭にかぶり、音のした方向へと迷うことなく走り去った。

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