第10話 アンディのドジ野郎

 木から飛び降りてオークにナイフを突き立ててから、どのくらい時間が経ったろう?

 五分? 十分? いやもっとかも知れない?


 レベルアップ酔いが収まり、何とかオークの体の下から抜け出した。

 俺の息遣いは荒い。水を飲もうと腰の水筒を取り出すが、ひしゃげて壊れていて中の水は残っていなかった。


「クソッ!」


 俺は壊れた水筒を、息絶えたオークめがけて腹立ち紛れに投げつけた。

 このブタ野郎のせいで、こんなキツイ目にあっているのかと思うと憎々しくてしょうがない。


 俺はヨロヨロと立ち上がると背負い袋の中から予備の水筒を取り出し一気にあおった。

 むせて咳き込む。『あー』とか、『うー』とか、意味の分からない言葉しか口から出てこない。


(落ち着け! ここは森の中だ! まだモンスターが近くにいるかもしれないんだ!)


 俺は必死に呼吸を整えて、何とか気持ちを落ち着けた。

 目の前にはオークが転がっている。デカイ……とにかくデカイ。プロレスラーとか相撲取りなんてもんじゃない。目の前にこと故ったトラックが転がっているような感覚だ。


 これを冒険者ギルドにどうやって運べば良いのだろうか?

 俺は解体が出来ない。かといってこんな大きなモンスターを担いでは移動できない。


 アンジェラさんは、モンスターを丸ごと持って来ればギルドで解体すると言っていたけれど無理じゃないか!


(丸ごと? 丸ごと……。ひょっとしてスキル『収納』にモンスターが丸ごと入るのか?)


 あり得る!

 アンジェラさんは、俺がスキル『収納』を持っていることを知っている。それで丸ごとギルドに持ってこいなんて言ったのかもしれない。


 もし、オークがスキル『収納』の透明な箱に入るなら、おっちゃんの遺品の短剣は背負い袋に仕舞えば良い。


(収納!)


 収納と念じると目の前に透明なティッシュペーパー位の箱が沢山現れた。収納する箱が、増えている!

 片方の透明な箱にはおっちゃんの遺品の短剣が入っていて、その他の箱は空だ。


 何で透明の箱が増えているのかは疑問だが、今は考えている暇はない。ここからの離脱が優先だ。

 俺はオークを収納するように念じてみた。するとオークが透明の箱に吸い込まれるようにして目の前から消えた。透明な箱の中には、ミニチュア人形のようなオークが収まっている。


 これなら丸ごと冒険者ギルドに運ぶことが出来る!

 それにこんな大きなモンスターが入るなら背負い袋も入るよな?

 荷物を背負い袋にまとめて、『収納』に入れてしまおう。


 俺はオークが荒らした荷物を危なっかしい足取りで拾い集め、背負い袋に入れた。オークの大きな剣もあったので、それも無理やり背負い袋に差し込んだ。


 透明な収納スペースに背負い袋を収納しろと念じると、背負い袋は透明の収納スペースに吸い込まれるた。


「ううう……帰ろう……」


 体中がギタギタに痛い。そりゃビルの三、四階の高さから飛び降りたんだ。歩けるだけでも奇跡だ!

 俺は鉄の剣を杖代わりにして、ヨロヨロと町の方角へ歩き出した。


 城門に辿り着くと俺は倒れてしまった。

 そこから俺は城門の兵士によって、冒険者ギルドへ担ぎ込まれた。


 意識は朦朧としている。

 アンジェラさんの顔が見え、何か喋っているが何を言っているのかわからなかった。どこかに寝かして貰えたらしく、少し体が楽だ。


 ああ、周りがうるさい。

 騒ぎになっている。


「×××××ヒール!」


 何かの呪文が聞こえると俺の体が暖かくなり痛みが和らいだ。全身に血が巡るのがわかる。まだ体は重いが何とか体は起こせそうだ。

 俺は頑張って体を起こした。とにかく状況を確認したい。


「うっ……いてててて……」


「気が付いたか!」


 アンジェラさんの声だ。ゆっくりと目を開けようとするが左目は開かない。右目だけをゆっくり開ける。赤毛でアイスブルーの垂れ目が見えた。アンジェラさんだ。ゆっくりと周りを見る。


「ああ、冒険者ギルドの休憩スペースか……」


 沢山の冒険者が俺の方を見ている。アンジェラさんが、低い緊張した声で質問して来た。


「何があった?」


「オークです」


 俺は手短に返事をした。

 とにかく話すのがかったるいのだ。横になりたい。


「オークに襲われたのだな? 怪我をした状況は、わかった。ソーマ、君は大怪我をして冒険者ギルドに運び込まれ、魔術師に回復魔法をかけて貰ったんだ。ヒール一回大銀貨一枚、一万クオートだ。もう一回ヒールをかけて貰うか?」


 回復魔法? ヒール? そんな便利なものがあるのか。

 とにかく今の状態じゃ身動きできないし、左目も開かない。ヒールをかけて貰おう。


「お願いします」


 俺が返事をすると、俺の隣にいる白いローブを来た男が呪文を唱えた。


「空と大地を統べる偉大なる神よ! 聖なる力を我に貸し与え、この者の傷を癒し給へ! ヒール!」


 男が呪文を唱え終わると、俺の体が白い光で包まれた。体がポカポカと暖かくなり、痛みが引いて行く。足の指先から手の爪の先、髪の毛の一本一本にまで、暖かい何かが注ぎ込まれるようだ。


 やがて左目も開いた。

 良かった。ちゃんと見えている。


「ふう……」 


 俺が息を吐きだすと目の前にニュウっと手が伸びて来た。

 白いローブを着た男がニッコリと微笑みながら俺に料金を請求した。


「二万クオート。大銀貨二枚ね」


 俺は無言で立ち上がると受付カウンターで金を下ろした。これで朝の薬草採取の稼ぎがパアだ。

 銀貨二枚を白いローブの男に手渡した。


「毎度!」


 冒険者稼業は、命も金次第って訳か。まあでも大分楽になった。

 もしこれが日本だったら、大手術をして数か月入院だったかもしれない。それに比べて、この異世界は回復魔法ヒール二回で歩けるまで回復出来るのか……。

 すげえな、異世界。


 アンジェラさんは、俺の周りの野次馬冒険者達を追い払っている。


「新人冒険者がオークに襲われて負傷しただけだ! 回復して無事だ! ほら解散だ! 自分の仕事に戻れ! ソーマ! ちょっと良いか? 詳しい状況を聞きたい」


「ああ、はい。俺もアンジェラさんに話が……」


「何だ?」


 俺はアンジェラさんに近づき、周りに聞こえないように小声で話した。


「オークを持って来ました」


「何? どう言う意味だ?」


「ですから、オークを倒したんですよ。丸ごと持って来たので解体して欲しいです」


「ウソだろう! ソーマがオークを――ムゴ! ムゴ!」


 アンジェラさんがのけぞり大きな声を出したので、俺は慌ててアンジェラさんの口を手でふさいだ。俺は小声で話し続ける。


「俺の収納スキルがバレてしまうので、ここでオークは出せません。どこか別の場所でオークを出させて下さい」


 アンジェラさんが無言で肯いたので、俺は手を離した。


「こっちだ!」


 アンジェラさんは、冒険者ギルドの裏手へ回って井戸の横を通り過ぎ大きな建物に入った。

 建物の中は、解体場所のようで血の匂いがする。

 五人のガッチリした男性スタッフが前掛けをして働いていた。


「ここで出してくれ。ここのスタッフは解体担当で口が堅い。ソーマ以外でも収納スキルを持った者はいて、皆ここで出し入れをする」


「わかりました」


 俺がスキル収納と念じると透明なボックスが目の前に現れた。透明な収納スペースは、アンジェラさんからは見えないみたいだ。

 そして透明の収納スペースに手を突っ込んでオークを取り出した。


 透明の収納スペースから、オークが特撮映画のように吐き出され、床の上にオークの巨体が横たわった。

 改めて見るとデカイ。俺も良くこんな化け物を倒せたな。


 アンジェラさんはジッとオークを見て黙り込んでいる。腕を組み、目を大きく開いて一言も発しない。

 五人の解体担当のスタッフもこちらにやって来て、物珍しそうに見ている。オークって珍しいのか? 昨日森で冒険者が戦っていたよな?


 しばらくして、ベテランっぽい中年の男性スタッフが話し出した。


「こりゃオークウォーリアーじゃねえか!」


 ん? オークウォーリアー?

 普通のオークじゃないのか?


「いやあ、兄ちゃん良く倒せたな。カードは? ブルーか! Eランクでオークウォーリアー撃破は、このギルド初じゃないかな!」


 どうもこのベテランスタッフの話しぶりだと、どうやら俺は強いオークを倒してしまったらしい。

 ベテランスタッフは、俺が倒したオークウォーリアーをあちこち見ている。


「どこにも傷がないぞ……、どうやって倒したんだ? ああ! これか! 凄えな! ナイフで急所を一撃か!」


 ベテランスタッフはオークウォーリアーの後頭部から俺のナイフを引き抜いた。

 俺に手渡してくれた瞬間、ナイフの刃が折れて落ちた。


「ああ、ナイフが限界だったんだな。いや、しかし、そんなナイフでオークウォーリアーを倒すなんて尋常じゃないな! 兄ちゃん余程の腕利きだな!」


「いえ、まぐれですよ!」

 木から飛び降りて、捨て身でオークウォーリアーを倒しただけで、俺の戦闘スキルが高いわけじゃない。結果としてツイていたが、オークウォーリアーなんて強い魔物と出会ったのはツイて無かった。


「アンジェラ! オークウォーリアーの状態は良好だ! 査定は最高で満額払ってくれ! よーし、おめえら! こいつをすぐ解体するぞ! ミスリルのナイフを持って来い!」


 ベテランさんの掛け声で解体スタッフが一気に動き出した。

 査定が良かったのは嬉しい。これで回復魔法二回分を取り返せるだろう。


 アンジェラさんがゆっくりと俺の方を向いた。

 顔が怖い。笑っていない。


「ソーマ! 事情を詳しく聞かせてくれ」


 アンジェラさんは、俺を冒険者ギルド二階の個室へ引っ張って来た。

 昨日登録で使った部屋だ。


 アンジェラさんは昨日と同じようにドカリと椅子に座ると、俺にオークウォーリアー討伐の詳細を話すように求めて来た。

 俺は一連の経緯を話した。


 俺が話を終えるとしばらく無言の時間が続いた。

 アンジェラさんは右手で目を揉み解し、一つ息をつくとやっと話し出した。


「そんな無茶をしたのか……。木から飛び降りてナイフを……。よく生き残れたな……。呆れたよ……」


「ツイてたんでしょう」


「もう、そんな真似はするな! 命が幾つあっても足りないぞ! まったく冒険者になって二日目の新人がオークウォーリアーと交戦するなんて前代未聞だ! ソーマ! 無茶をするにも程があるぞ!」


「仕方ないでしょう! 俺だって戦いたくはなかったですよ! あのブタ野郎が俺の背負い袋をあさり出したばっかりに……。はー、ツイてなかったんですよ!」


「ツイてたのか、ツイてなかったのかどっちだ?」


「俺にも分かりませんよ。まあ、一番ツイてなかったのは、今解体されているあのブタ野郎です」


「オークウォーリアーも災難なことだな」


 アンジェラさんは、呆れ返ってしまった。

 そんな呆れられても仕方がない。俺だって必死だった。

 お互い無言で間が持たないので、俺の方から質問をしてみることにした。


「あの……オークウォーリアーって、そんなに強いモンスターですか?」


「ああ、強い! オーク自体が強いモンスターだが、オークウォーリアーはその上位種にあたる。オークならキャリア五年以上の冒険者パーティーが討伐推奨だな」


 キャリア五年以上の冒険者パーティーか。

 昨日森でオークと交戦している冒険者達を見たが、なるほど確かにベテランっぽい雰囲気があった。

 あんなデカイモンスターを狩るなら、五年の経験が必要なのも肯ける。


「じゃあ、オークウォーリアーは?」


「オークウォーリアーは、キャリア十年以上の冒険者パーティーが討伐推奨レベルだ」


 ああ、それなら、新人の俺がオークウォーリアーをソロで倒せば、驚いたり呆れたりされてしまうよな。だが、それは俺が悪いのか?

 けど俺が反省なり何なりしないとこの場は収まらないのだろう。仕方ない。


「まあ、俺が無茶し過ぎましたよ。次にヤバそうなモンスターに遭遇したら逃げるようにしますよ」


「それが賢明だ。はー、まったく……。じゃあギルドカードを。オークウォーリアーの買い取り分を入金する」


 俺はアンジェラさんの手に青い自分のギルドカードを渡した。

 アンジェラさんは、黒いボードに俺のギルドカードを載せた。


「オークウォーリアーの買い取りは、いくらなんですか?」


「二百万クオートだ」


「に! 二百万!? そんなに買い取りが高いんですか!?」


「肉は高級品、皮は革鎧の良い材料になるからな。だが討伐の難易度に比べると二百万でも買い取り額が安いぐらいだ」


「へ、へえー」


 二百万クオート! これで暫く生活の心配をしなくても大丈夫だろう!

 俺がニコニコ笑っているとアンジェラさんがおっかない顔でこちらを睨み指で俺の胸を小突いて来た。


「良いかソーマ! 無茶はナシだ! 良いな?」


「わかってますよ。俺だって死にたくありませんよ」


「それから、その革鎧は買い替えろよ。もうオシャカになってるぞ」


 革鎧を見ると、胸の所がバックリと割れてしまっていた。他にもあちこち亀裂が入ってる。

 木から飛び降りてオークウォーリアーに激突した衝撃でこうなったのだろうか?

 何にしろこの革鎧はもうダメだろう。ああ、買ってから一日で壊れてしまった。


 俺が革鎧を触って溜息をついていると、アンジェラさんが驚いた声を出した。


「何だ? これは?」


 アンジェラさんの方を見ると黒いボードに表示された俺のステータスを見て愕然としている。

 しまった! 二階のボードは一階のボード違ってステータスボードだ。ステータスが表示されてしまうんだった。


 アンジェラさんが、今日一番怖い顔でこっちを見た。

 俺はあまりの恐ろしさに、目を見開きフリーズしてしまった。たぶん、背中は汗でびっしょりだろう。


「ソーマ! このステータスは、どう言うことなんだ?」


「俺にもわかりません」


「詳しく説明しろ」


「わかりません」


「ソーマ! これは第三副ギルド長として見逃せない。何か不正をしていたのか? きちんと事情を説明するまで、この部屋から出さないぞ!」


「勘弁してくださいよ。俺は怪我人ですよ……」


 アンジェラさんは副ギルド長だったのか。それなりに上の立場の人だろうとは思っていたけれど……。

 しかし、どこまで話した物だろうか? アンジェラさんは、何となくだが信頼できる人のように思える。

 とはいえ、おっちゃんの話し――グレアム伯爵家のことや遺品の短剣のことを話せば、アンジェラさんをゴタゴタに巻き込むことになるかもしれない。アンジェラさんには、小さな娘さんもいるし、それは避けたい。


 だが、このまま不正を疑われるのも困る。それこそ稼いだ金を没収とか、逮捕されることになったら目も当てられない。


「いや、不正なんかしてませんよ。事情はお話ししても良いですが、秘密にしてもらえますか?」


「良いだろう。私の立場としては、不正が無いことが確認出来ればそれで良い」


「あー。信じて貰えるかどうかは分かりませんが、俺は日本という国に住んでいまして――」


 俺はおっちゃんのことを伏せて、この世界に生まれ変わってしまったこと、ゴブリン二匹しか倒してないのにレベルが10に上がってしまったことを話した。

 アンジェラさんはジッと俺の目を見つめて、黙って俺の話を聞いた。


「――という訳です」


「成程な。レベルが急成長した理由は、ソーマ自身も分からないのか……」


「ええ。わかるなら誰かに教えて貰いたいですね」


「残念だが私にも分からない。ところでオークウォーリアーを倒してから、自分のステータスを確認したか?」


 そういえばオークウォーリアーを倒した後にレベルアップ酔いがあったな。まだステータスは確認していない。どれ位ステータスが上がっているのだろう?

 ひょっとしてシャレにならない程、レベルアップしているのか?


 俺は頬を引きつらせてアンジェラさんに短く答えた。


「……いいえ」


 アンジェラさんは俺のギルドカードが載った黒いステータスボードを、無言で俺の方に追いやった。

 そこには俺のステータスが表示されている。

 レベルは……。


「レベル42!?」


 アンジェラさんを見ると、また右手で目を揉み解している。

 俺は激しく動揺した。まだこの異世界に転生して二日目だぞ! 冒険者になって倒したモンスターは、わずか三匹だぞ!

 この異世界がゲーム風だとしても、あり得ないだろう!


「いや、ちょっと待ってください! これは何かの間違いでしょう! このボードの故障じゃないですか?」


「なら自分のステータス画面を確認してみろ」


 アンジェラさんの頬も引き攣っている。

 俺は心の中で悪態をつきながら、ステータス画面表示と呟いた。

 ステータス画面が表示された。



【 名 前 】 ソーマ

【 年 齢 】 18才

【 種 族 】 人族

【 性 別 】 男性


【 L V 】 42↑new!

【 H P 】 A↑new!

【 M P 】 C↑new!

【 能 力 】 SS↑new!


【 スキル 】 

 鑑定LV1

 収納LV8↑new!


【 装 備 】 ハードレザーの革鎧 革のショートブーツ

【 称 号 】 生まれ変わりし者 異世界で一番ツイてない男new!

【 加 護 】 賢者の加護



 まったく冗談みたいなステータスだ。

 LVが10から42にアップ。

 HPがCからAに、MPはDからCに、能力にいたってはSからSSになっている。


 収納はLV1から8に上がり……。

 あー! 鉄のショートソードを、どこかに失くしたのかよ! 装備欄に表示がない!

 おまけに称号に『異世界で一番ツイてない男』なんて不名誉な称号が加わっている。


「アンジェラさん、これはどういうことなんでしょうか?」


 アンジェラさんは呆れ、突き放したように言い放った。


「知らんよ。まあ、レベルアップおめでとうと言っておこう」


「そいつはどうも」


「それからなあ、ソーマ。これは真面目な話なんだが……」


 アンジェラさんの雰囲気が変わった。身を乗り出して真剣な顔をしている。

 俺は居住まいを正して、真っ直ぐアンジェラさんの目を見て傾聴した。


「レベル42――これはキャリア二十年の冒険者がやっと到達するレベルだ。さらに能力SSは、滅多にお目にかかれない。ステータス表示だけ見れば、ソーマはこの冒険者ギルドで間違いなくトップクラス。まあ五本の指には確実に入るだろう。しかしな!」


 ドンとアンジェラさんが拳で机を叩いた。


「ソーマは戦闘経験が全く足りないし、剣の使い方もロクに知らないのだろう?」


「はい。まともな戦闘経験はゴブリン二匹だけですね。オークウォーリアーは完全に不意打ちでしたし。剣なんて、この世界に来るまで、持ったこともありませんよ」


「そうか。ならこのステータス通りの力は出せないということだ。わかるな?」


 そうか。アンジェラさんはそれが言いたかったのか。

 ステータスが高くても技量や経験が伴わなければ、実力は発揮できないということだろう。調子に乗って強いモンスターに突撃すれば、俺のステータスが高くても負けてしまう可能性がある。

 モンスターとの戦闘で負ければ、待つのは死。


 俺を心配して忠告してくれたのか。

 ありがたい。


「ええ。おっしゃりたいことはわかります。調子に乗らないようにしますよ。ご忠告ありがとうございます」


「わかればよろしい。じゃあ、一階で待機していてくれ。そろそろ偉いさんが来る頃だろう。来たら呼びに行く。今日はもう戦闘をするなよ! ダメージは完全に回復してないからな!」


「了解です」


 アンジェラさんに言われるまでもない。今日はもう店仕舞いだ。

 解体用のナイフはオシャカ、鉄のショートソードは失くしてしまったし、水筒も一つ壊れた。ああ、革鎧もぶち壊れたから、買いなおさなきゃならない。


 偉いさんに会った後は、武器防具屋や道具屋で補充をして今日は終わりだな。

 そうだ! コンパスもあれば忘れずに買おう!

 まあ、オークウォーリアーを討伐した金が入ったから金の心配はしなくて済む。


 俺が一階に降りると、昨晩、冒険者ギルドの休憩スペースで一緒だったスタンがいた。

 じっと下を向いたままホールで立ち尽くしている。何かあったのだろうか?


 俺はスタンの肩を叩いて声を掛けた。


「よう!」


「お、おう……」


 スタンは何かに怯えるようにビクリと体を震わせて俺を見た。

 明らかに様子が変だ。


「どうしたんだ? あれ? アンディは? 一緒じゃないのか?」


「死んだよ」


 スタンはかすれた小さな声で、アンディの死を告げた。

 昨晩ジャイアントラットの干し肉をウマイウマイと頬張っていた、あのデカイ男が死んだって?


 俺はスタンの言っていることを受け入れられず、首を横に振り左手で何回か耳たぶをこすり、それから聞き返した。


「何? なんっだって?」


「アンディがドジ踏んで死んだんだよ。オークの集団との戦闘で、前衛で盾持ってたんだが……。戦闘の最中に盾から顔を出しちまってよ……」


「……」


「そこにオークの大剣が振り下ろされて、頭がグシャリだ……」


「バカが! またドジを踏んだのかアンディは! 戦闘中に頭を出すバカがいるかよ! 死んじまったら、どうにもならないじゃないか!」


 俺は思わず大声を出してしまった。ギルドのホールにいる冒険者の視線が俺に集まる。

 アンディとは昨晩ここで会ってジャイアントラットの干し肉をくれてやっただけの仲だ。俺の人生の中で、ほんのちょっとすれ違っただけの人間だ。


 ほぼ他人だし、他人が死んだところで俺は別に悲しくは無い。

 だが、アンディは今朝俺と目が合うと嬉しそうに手を振っていたんだ!


 俺は言葉が出なかった。

 スタンが心の中の澱を絞り出すように話しを続けた。


「ああ、ああ。まったくだ。アンディはドジだ。ドジ踏んじゃイケない所でドジ踏みやがったんだ。だが、アンディのドジは、俺のセイなんだよ」


「えっ?」


「あの時俺は遊撃で……、パーティーから離れてオークの集団の背後に回り込んで、後ろから攻撃する役割だった」


「アンディ達が前衛でオークを抑えている間に、スタンが後ろから奇襲するってことだな?」


「そうだ。それで上手く後ろに回り込めて、オークを攻撃したんだ」


「それで?」


「それで……。オークの集団の意識が、後ろに現れた俺に移って……。前衛への攻撃が止んだんだ。そしたらアンディが、何が起こったのかと様子を伺おうと盾から顔出しちまって……」


「そこをオークにやられたのか?」


 スタンは無言で肯き静かに泣き始めた。

 俺はどうして良いかわからなかった。


 俺がスタンを慰めるような義理はないし、そういう関係でもない。死んだアンディとスタンがどんな関係だったかも知らないし、スタンの所属するパーティーの事情も知らない。


 だが、何で俺はこんなに悲しいんだ。


「スタンの責任じゃねえよ」


 何を話せば良いのか本当にわからない。

 いくら異世界とはいえ、アンディを生き返らせることは無理なんだろう。

 ならせめて生きているスタンが、この件を引きずらないようにした方がマシだろうと思った。


「俺の聞いた限りじゃ、その作戦は間違ってないと思うし、後ろからオークに奇襲をかけるなら、俺だって無言で突っ込むさ。イチイチ『今からオークを攻撃します』なんて合図を仲間に送らねえよ。オークに気付かれちまうからな」


「けどよ……」


「けどもヘチマもねえよ! オマエは間違ってなかったし、自分の役割を果たしたんだ。オマエの責任じゃない。絶対気にするなよ! 下手に気にして迷いが出たら、次の戦闘で死ぬかもしれないんだぞ!」


「ああ。ああ、そうだな」


「生き残るんだ」


「ああ、そうだな。生き残らなくちゃな」


 スタンは、涙を右腕で拭った。

 ギルドの入り口の方から、スタンのパーティーが呼んでいる。


「スタン! 行くぞ!」


「すまん。もう行かなきゃ。じゃあソーマも気を付けてな」


「おう。またな」


 スタンは所属するパーティーの冒険者達と一緒にギルドを出て行った。

 その時にはギルドの中は、すっかりいつも通りの空気に戻っていて若い冒険者が一人死んだことなど無かったかのようだった。

 俺は昨晩アンディが座っていたベンチを蹴飛ばすと、そのベンチにゴロリと横になった。

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