第7話 異世界一日目の終わりに
ゴブリンを倒してから五分か十分経っただろうか。
俺は四つん這いになって吐き気と眩暈に苦しみもがいていたが、ようやく落ち着いて来た。
水でうがいをしたい。だが水が無い。
失敗した。雑貨屋で水筒を買っておけばよかった。
いや、だが、問題はそんなことじゃない。
問題はこの鳥かごの中にいる小さなドラゴンだ。
ドラゴンは鳥かごの中で大人しくしていた。
クリクリした金色の大きな瞳でこちらを見ている。手のひら位の大きさのトカゲに羽を付けたような茶色い小型のドラゴン――というよりも、ミニドラゴンだ。
やろうと思えば討伐出来るが、とてもそんな気にはならない。この小さなドラゴンをショートソードで叩き潰すのは、あまりにむご過ぎる。
それに冒険者ギルドの常時依頼にドラゴン討伐はなかった。
「町へ帰ろうな」
話し掛けると言葉がわかるのか、嬉しそうにピーピーと鳴く。
段々と頭の中がスッキリして来た。
ここは森の中、危険地帯だ。このドラゴンを連れて行くなら、早くこの場所から離脱して町へ戻った方が良い。
俺は先ほど倒したゴブリンの右耳をショートソードで斬り落とすと葉っぱに包んで右手に持った。
そして左手に小さなドラゴンが入った鳥かごを持ち、放り出した背負い袋を肩にかけ、来た道を急いで引き返した。
町の入り口にある城門に着くと門番の兵士が鳥かごに気が付いた。
「おい。その鳥かごは、どうした?」
「森で倒したゴブリンが持ってたんですよ」
右手に持ったゴブリンの耳を兵士に見せると兵士は肯きながら鳥かごを覗き込んだ。
「あ! これだ! ちょっとそこで待っててくれ! これを探している人がいるんだよ! 冒険者だよな?」
「はい、そうです」
俺は首からぶら下げているギルドカードを兵士に見せた。
兵士は血相を変えて、町の中にすっ飛んで行った。
俺は残った兵士に案内されて、城門近くの番小屋で椅子に座って待った。
どうやらこの鳥かごに入った小さなドラゴンは、誰かの持ち物らしい。
ペットなのだろうか?
日本でも珍しいトカゲをペットにしている人達がいるから、そういう趣味の人なんだろう。
討伐しないで持って帰って来て良かった。
戦闘の疲れと安心感もあって俺は番小屋の椅子で居眠りをしてしまった。
ウトウトしていると足音と声が聞こえた。
「こちらです!」
番小屋の扉が開いて、さっき飛び出していった兵士とモーニングのような立派な服を来た男性が入って来た。
かなり年配の男性だ。見た目で判断すると執事だ。
執事風の男性の後に二人の使用人らしき男性も付いて来ている。
兵士の言葉遣いと態度から偉い人かもしれない。
座ったままでは失礼だろう。俺は椅子から立ち上がった。
同時におっちゃんの政敵グループの人間かもしれない可能性を考え、心の中で警戒レベルを上げた。
この執事風の男とは、なるべく会話をしないでやり過ごそう。
執事風の男は鳥かごの中の小さなドラゴンを見ると嬉しそうな声を上げた。
「これです! 間違いありません!」
ホッとしたのか、表情がかなり緩んだ。
好意的な笑顔で俺に話しかけて来る。
「あなたが見つけて下さったんですか? いや、助かりました。ありがとうございます! お名前を伺っても?」
「ソーマです」
俺は余計なことは言わずに首から下げたギルドカードを見せた。
「冒険者ギルド所属のソーマさんですね。後日主人からお礼をさせていただきます。今日のところはこれで失礼します」
さっさと引き上げてくれるのなら、こちらとしても助かる。俺は無言で肯くと鳥かごを執事風の男に手渡した。
執事風の男とついて来た男二人は、一礼すると急ぎ足で出て行った。
名乗らなかったのは、俺の立場――冒険者――が、もの凄い下だからだろうか?
それとも名乗る必要が無い位、この町では有名な人とか偉い人なのだろうか?
どちらにしても特にトラブルにならなくて良かった。俺は背負い袋を担ぎゴブリンの耳を持って冒険者ギルドへ向かった。
まだ日は落ちていないが、涼しい風が夜の訪れが近いことを告げた。
冒険者ギルドは、ごった返していた。
もう間もなく日が暮れそうだから、みんな引き上げて来たのだろう。
テーブルとベンチのある休憩スペースは、仕事――つまりモンスターとの戦闘をこなして来た者達で埋まっている。汗の臭いに混じって微かに血の臭いがした。
全体的には男が多いが女性もかなりの数がいる。ローブを来た魔法使い風の女や革鎧にショートソード装備の軽戦士風の女が目立つ。
女だからといって男に負けていない。男を叱りつけ、どやしつけ、尻を蹴飛ばしている。筋力では男性の方が優位だが、こんな風景を見るとコミュニケーション能力では女性の方が優位なんじゃないだろうかと思えて来る。
その証拠に男はだらしなく無言で座り込んでいる者が多いが、女性は女性同士盛んに情報交換をしている。
近くで三人の女性冒険者の話し声が聞こえて来た。ちらりと目をやると、眉根を寄せて真剣に話し込んでいる。隙の無い情報交換の様子を聞けるかもしれない。
「アンディのクソ野郎がドジ踏みやがってさ! まったく不細工だわ、ドジだわ、嫌になるわよ!」
「もっとイケメンがいるパーティーに乗り換えたいわね」
「この後どうするの? 飲みに行く?」
いや……、情報効果ではなく、単なるおしゃべりかもしれない。クソ野郎といわれたアンディ君の名誉の為に、今の話は聞かなかったことにしよう。
カウンターには列が出来ていて、俺はおっちゃんとの出会いを思い出しながら列に並んだ。
並んだ列はさっきのおばちゃんスタッフの列だ。スーパーのレジなんかでも、ベテランパートのおばちゃんの列が、一番進みが早い。
周りに目をやると、可愛い女性スタッフが担当する列が長い。いかにも下心丸出しの男性冒険者が鼻の下を伸ばして列に並んでいる。おまけに自分の順番が回って来ると、ここぞとばかりに自分がいかに活躍したかを女性スタッフにアピールしていた。
(その女性スタッフは、君に一ミクロンの興味もないと思うよ)
そうだ。彼女は仕事で笑顔を作っているだけだ。
だが、そこは男の悲しい性。
それがわかっていても色々とモーション、アクションを起こしたくなるのだ。
果たして異世界にセクハラという概念はあるのだろうか?
いや、きっと無い。
どうでも良いことをつらつらと考えていたら、俺の読み通りおばちゃんスタッフの列は、早く進み俺の順番になった。
「ゴブリン二匹討伐ですね。一匹五百クオート、二匹で千クオートです。ギルドカードを出して下さい」
テキパキとおばちゃんスタッフが処理をする。
愛想はないが、失礼さもない。事務的だが、無礼ではない。笑顔はないが、無駄もない。俺はこういう仕事の早い人の方が好きだ。
ゴブリンの耳を確認すると何のリアクションも無くごみ箱に放り込んだ。驚くのはゴブリンの耳を見ても気持ち悪いとか、触りたくないとか、嫌悪感を見せないないんだな。
ギルドカードを渡すとおばちゃんスタッフは、カウンター下の黒いボードにギルドカードを置いた。
ギルドカードが光って、入金完了だ。
今日はこの冒険者ギルドで雑魚寝するのだが、今は人が多過ぎる。
外で時間をつぶしてから戻って来よう。食事もしたいし、買い足したい物もある。
しかし、ゴブリンは一匹五百クオートか。
薬草が一株五千クオートだから、ゴブリンは稼ぎの効率が悪いモンスターだ。
戦闘は命がけだ。稼ぎの効率の良い依頼をこなすようにしたいな。
冒険者ギルドを出ると日が沈もうとしていた。空の一部が薄っすらとした紫色になり、天頂は既に暗く星が見える。
(ああ、異世界での一日目がもうすぐ終わる)
おっちゃん、俺は生き残ったよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます