第29話:一生懸命

ロマンシア王国暦215年6月6日:ガッロ大公国公城大公執務室


「第37徒士隊、兵糧の輸送に出陣いたしました」


 マリア大公の所に伝令の女性騎士が知らせにやってきた。


「ご苦労です」


 マリア大公は処理していた書類から目を離し、女性騎士の目を見ながら大きな声ではっきりと労った。


 ロレンツォ宰相が進める戦力増強策は着々と進んでいた。

 以前行っていた、国内の貧民を集めて労働力や戦力にする策は中止している。


 どの貴族領士族領でも、喉から手が出るほど戦力を欲しているのだ。

 これまでは捨て殺しにしていた貧民でも、槍を持たせれば戦力になる。

 女子供であろうと、少しでも戦えるなら使わなければいけない状況なのだ。


 実際に戦争が始まっている訳ではない。

 戦争を仕掛けられないように、戦力を見せつける必要があるのだ。

 実際に戦争が始まるよりは、遥かに経済的負担が少なくて済む。


「殿下、宰相閣下が報告に来られました」


「入ってもらいなさい」


 馬鹿馬鹿しいほど仰々しい宮廷作法の後で、ようやく直に話せるようになるのだが、ロレンツォ宰相は常に真剣で恭しい。

 義兄としての立場を爪の先ほども感じさせない。


 それがマリアには寂しくもあり哀しくもあった。

 兄妹としての甘えは許さないと突き放されている気がした。

 マリアだって、もう露骨に甘える気はなくなっているのに。


 マリアがロレンツォに辛い苦しいと言っていたのは、甘えでしかなかった。

 将来の王妃として振舞っていた時のマリアは、滅私奉公の気持ちでマルティクス第1王子を手伝い支えてきた。


 その時にも心臓を剣で刺し貫かれるような痛みを覚えていた。

 それでも状況を判断して決断を下していた。

 刺し貫かれた心に痛みを感じ続けていても、支え続けていた。


 そんなマリアの心が挫けてしまったのは、手伝い支え続けてきたマルティクス王子から自殺を強要されたからだ。

 そうでなければ、今も血の涙を流しながらマルティクスを支えていただろう。


 マリア大公はやればできるだけの才能と忍耐力があるのだ。

 ロレンツォが甘やかさなければ立派な君主になれるだけの素質があるのだ。


「貧民の戦力化は順調ですか?」


 マリア大公が主君としての威厳を保ちながら聞く。


「はっ、近隣諸国から集めた傭兵、冒険者、猟師を即戦力として従士団を創設しつつ、難民を戦力化すべく武術訓練をさせております」


「昨日も報告を受けていますが、今現在の新設戦力はどれくらいですか?」


「騎士長を団長とする徒士団を5つ創設できました。

 更に騎士長を団長とする訓練徒士団を9つ創設できました。

 即時投入可能な戦力は5000兵、戦力化を進めているのが9000兵です。

 しかしながら以前にも報告させて頂いた通り、徒士団を団として運用する予定はありません。

 平騎士に率いられた100兵1隊を運用単位として、各地に援軍として派遣するか、兵糧を運ばせるかします」


「従士団」

従士団長:騎士長:1騎

従士隊長:騎士 :10騎

徒士長 :徒士長:100兵

徒士  :徒士 :1000兵


「騎士団」

騎士団長:1騎

騎士隊長:10騎

騎士長 :100騎

騎士  :1000騎


「この短期間でよくやってくれました。

 ですがまだ予定の3万には足りません。

 これで間に合うのですか?」


「国境に領地を持つ貴族の依頼で援軍に派遣した騎士団や徒士団は、その地にやってくる仕官希望者や傭兵希望者を集めています。

 新設の徒士団が兵糧を届けた帰路に、希望者を国内に連れてきます。

 毎日のように集まって来ていますから、ご安心ください」


「近隣諸国が応募を禁じたりはしないのですか?」


「これからどうなるかは分かりませんが、今のところは大丈夫です」


「……安全に利を得ようという事ですか?」


 マリア大公とて帝王学を修めた英俊である。

 甘えさえ出さずに真剣に考えればかなりの事が理解できる。

 

「はい、戦争で利を得ようとすれば、必ず損害も出ます。

 直接の損害だけでなく、物価の高騰など、人の力ではどうしようもない、予測のつかない影響が出てしまうかもしれません。

 国民の大半が飢えるような事にでもなれば、内乱が起きる可能性があるような、危うい状態の国もあります」


「そんな国にとっては、危険な不満分子を国外に出せる絶好の機会という事ですね」


「はい、ですがそれだけではありません。

 不満分子を追い出せれば治安が良くなります。

 貧民を追い出せれば、王都や主要都市の民から喜ばれ、王家の威信が高まります。

 民が減った分、食糧の価格が下がり、皆に食糧が行き渡ります」


「食糧価格が下がったら農民が困るのではありませんか?」


「我が国のように、農民が余剰作物を売って現金を手に入れられる国など、南北両大陸の何処を探しても他にありません。

 普通の農民は自給自足で生きています。

 領主や教会に支払う税も、支払用に育てている小麦です。

 現金で税を支払っている訳ではありません」


「それは知っていましたが、多少は余剰作物があると思っていました」


「大公殿下は、学園やマルティクスの直轄領を任されておられたのですよね?

 だったら農民の苦しい生活をご存じでしょう?」


「あれは……殿下の所為で極端に貧しくなったのだと思っていました。

 私が他に知っていたのは、宰相が知らせてくれる我が家の状況だけでしたから」


「私がうかつでした、申し訳ありません」


「いえ、私が直接この目で確かめなかったのが悪いのです。

 報告書だけで判断していては、本当の民の生活が分からないと理解しました。

 それに、豊かな我が国だけしか知らないのもいけませんね。

 他国の状況も知らなければなりません」


「殿下、民の生活を知るのはとても大切な事ですが、今はお止めください。

 近隣諸国から集めている者達の中には、多くの密偵が潜んでいます。

 万全を期している心算ではありますが、神ならぬ身です。

 計算違いによって殿下が襲撃される可能性もあります。

 臣が安全だと判断するまでは、公城から出ないでください」


「分かりました、視察は危険な状況が打開できてからにしましょう。

 それまでは、宰相の報告で我慢します」


「ありがたき幸せでございます」


「殿下、閣下、情報収集分析係から至急の面会依頼が来ています。

 いかがいたしましょうか?」


「直ぐに会います」

「臣も同席させてください」

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