第4章 波のない海 ②


 大陽の視線は、空へ向けられた。

 そこには、一色ひといろに塗り固めたような大気の層がある。


 短時間で変化があらわれそうな中途半端な色合いなのに、明るくならないし、闇の訪れもない。

 たまに鳥とおぼしき影が、遠くの低い空をよぎるが、大量の水の上に発生しがちな雲の姿は、どこにも見つけられなかった。


 銀色の灰をちらした陶磁器めいた発色の天上は、無限を思わせる高さを彼に見せつけるばかりだ。


「上が気になるか?」


 だしぬけにテールがたずねた。

 それとなく大陽のようすをうかがっていたらしい。


 大陽の真向かいにいるその男は、何をするでもなく、無為な時間をすごしている。


 淡い褐色の肌に、プラチナブロンドというものだろうか…

 白っぽい金色の髪。


 全体的なバランスはもちろんのこと、細部におけるつくりが秀逸で、それを批判すれば、ねたみにしか聞こえなくなりそうな面構つらがまえの男である。


 どちらかというと瘦せ型で、肉厚な格闘系とは比べるべくもないが、たたずまいに、病と縁遠い骨格の確かさがうかがえる。


 ちゃんと筋肉がついているのかは不明だが、暴露されている腕は、それなりにしっかりして見えて、手のひらも成人男性のそれだ。

 すらりとして見えるのに、繊細過ぎることもないのだ。


 そんな彼を中心に、半径五、六〇メートルほどが、真昼のように明るい。


 離れたところから見たときは、その男自体が発光しているように思え、いまもそれはかわらない。


 そして、どういうわけか…、

 対峙していても、まぶしさを覚えないのだ。


「太陽が…、なかなか昇らないな。ここ、緯度がたかいのか?」


「ノウシュラの《陽の宮》は健在だ。老齢ではあるが…」


 テールを伏目加減に見すえた大陽は、やりにくそうに口を尖らせた。



(そんなこと聞いてないだろ。だいたい〝《ヒノミヤ》〟って、なんだよ…。

 健在とか《ロウレイ》って……ん? もしかして、歳のことか?

 《ミヤ》って、称号? ……公家とか、華族、皇族みたいなものだったりする?)



 やりとりにズレを感じて思案はしても、いちいち追求する気になれなかった大陽は、ぷいっと視点を右にはずした。


「この地…空と大地は、球形とも、そうでないともいえない……。

 おかにある」


 捕捉された次の言葉も、あっさり聞いて流す。


 右方向。

 遠方にうかがえるのは、近づくほど左右に延びて、広がってゆくように感じられる陸の稜線。

 距離があるので、まだ、見あげるほど迫っている感はない。


 なにげに眺めていて、その方面の海面に、ちらほらひらめくものを見いだした大陽は、居ずまいを正した。


 しかと目をこらす。


 この舟の光がおよばない、遠くの水面だ。

 そこに天の星を映しとったような、小規模のきらめきがある。


「…。あれ。なにか光ってないか?」


「《星の子》だ。この先の浜を越えてゆけば、街がある」


「へぇ…」


 浜辺など判別できなかったが、大陽は努めておおらかに呼応した。


「なんて街?」


「十八番街」


「十八番?」


「ノウシュラで、十八番目に《日輪》が送りだされた街…といわれている。

 いま、人口は、一五一人ほどだったか…」


「少ないな。過疎の集落とか、村のまちがいじゃないか?」


「ノウシュラでは平均的なところだ。

 《陽都ようと》でもなければ、多くても三〇〇を下るだろう。

 個体差……安定度。生活様式にもよるが、《星の子》は、ひと月に一度、ほどこしを受ければ、だいたい暮らしてゆける。

 特定の住処をもたず、流れ歩く者もあれば、恩恵をもらうために、三、四日、住処すみかを空けることになろうと、離れた場所に拠点をもうける者もある」



(またか…)



 大陽は、言葉を交わすことで誘発されたいらだちを、沈黙のうちにしのいだ。

 十歩ゆずって、その男の民族のことを隠喩的に話しているのだとしても、いま知りたいことではないので、遠い海面にちらつく閃きに注意をもどす。


 舟のまわりに展開する明かりの範囲からはずれたところ。

 距離もあやふやだが、とりとめのない広がりを見せている青黒い海原に、きらきらと、緑っぽいちらつきを発するものがある。


 舟の進路とは差異があるので、さほど接近することなく遠ざかってしまいそうだ。


 認識物のとり違えなのかもわからないが、テールは、それを《ホシノコ》だと言った。


「《日輪月輪光輪》がきょをかまえた土地は、人が集まりやすい。

 《陽の宮》も人口の多いところを優先して《光輪》を送りだす。

 《光輪》も《星の子》が多いところに生じるが…。

 ほとんどがこれという拠点を定めず、さまよい歩くのがつねの邦土……土地もある」


 大陽は、遠方のきらめきに、ずっと目をこらしている。


 あたらずさわらずの進路変更がされていたが、その作業はこれという言及もなく実行されたので、大陽は〝見ているものが、近くなった〟と感じただけだった。

 そこに操縦する者の配慮・微調整があったことには気づいていない。


 大陽が見ている個体が、一帯をさらしだしている光の端にせまると、テールは舟の速度をじょじょに落とした。


 ふたりを包んでいた空気の抵抗が緩和され、微風となる。


 船足が遅くなったことに気づいた大陽が、舟の状態を意識した時、それまで彼が見ていた海面のあたりで、小さな波涛が閃いた。


 遮るものもない海上。

 五〇メートルほど先で、水面をゆらし、水上に飛びだしたのは、無数の点の集合を思わせるきらめき。


 その輪郭は、アザラシでも頭をのぞかせたようでもあった。

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