第三十四話

「海様、東雲社長との電話が終了いたしました。話は全て聞こえておりましたか?」

『バッチリ聞こえてたぜ! 東雲社長との電話、春のヘルプ、今回はご苦労だったな、ミラちん!』

「いえ、大したことはしておりません」


 わたくし――イナ。改めミラは現在、海様とパソコンを使い通話中。

 イナとはコードネームで、普段はミラ・パリーとして生活している。一応、日本人だ。


 コードネームがあることから察すると思うが、わたくしの仕事は普通ではない。

 今日みたいな仕事は稀にしても、毎日のように海様の指示により企業などのハッキングを行い、不正や表に出せない裏の企業同士の取引を探している。

 見つかれば捕まるような仕事であると重々承知している。だが、わたくしを助けてくださった海様のためなら、このような指示も有難いと思える。


『いつもクールだね~。でさ、早速だけど次の指示を出していいかな?』

「はい。もちろんです」

『ミラちんの部屋にアロエ荘のタブレットの予備があったよね?』

「五台ほどございます」

『じゃあ、その中の一台を管理人室の机の上に、俺から送られてきた感じで置いといてくれる?』

「分かりました。早急に準備いたします」

『うんうん! ありがとね~』

「いえ」


 わたくしはゴム手袋を付け、箱からタブレットを取り出す。

 電源を付け、中身や動作を確認。


「あの、海様……」

『ん?』

「今回どうしてタブレットを壊し、このタイミングで用意したのですか?」


 指示はされていたものの、その意味は分かっていない。

 タブレットをわざわざ壊す意味。予備があるのに、すぐに渡さなかった理由。

 指示を受けた身として知っておきたい。ずっとそう思っていた。


『春への試練ってところかな~』

「試練……ですか?」

『そそ! 必須アイテムであるタブレットが壊れた時どう対処、対策するかってね』

「春様はわたくしが見る限り、上手く立ち回っていたと思います」

『お金と家事に関しては、俺も同意見だよ。でも、連絡という点に関して対策不足だ。対処で満足し、対策をしてなかった。結果、ミラちんが動かざるを得なくなったしね!』

「なるほど。急な指示だったとはいえ、怪しまれる演技だったと反省しております」


 春様から面倒者と思われている以上、あの場では泣いてどうにかするしかなかった。

 かなり無理があったが、春様も焦っていらっしゃったこともあり、何とか誤魔化せた。


『大丈夫大丈夫、問題ない。予想の範囲内さ』

「優しいお言葉ありがとうございます」


 海様にそう言われると少し安心する。心の隅にあった靄が晴れ、とても気分が良い。

 大袈裟と思うかもしれないが、本当に海様の言葉にはそれほどの力があるのだ。


『そう言えば、ロシア人のフリは大丈夫そう? もう慣れた?』

「はい、慣れました。ですが、春様に肌を見せ、ベタベタするのは少し気分が乗りません」

『風俗嬢として働いてたのに意外だね。てっきりあのキャラを保つことに気が乗らないもんだと思ってたよ』

「風俗嬢だったとは言え、あれはお金のためです。今は身も心も海様に捧げておりますので」


 そう、わたくしは二年前まで風俗嬢をしていた。

 死んだ親が残した借金の返済に追われる毎日。

 食事もろくに取れず、ひたすら男性と体を交わす日々を送っていた。


 そんな地獄のような日々を過ごす中、二年前に出会ったのが今通話している海様。

 どこ情報なのかは知らないが、わたくしの唯一自慢できる能力である高いハッキング能力を求め、わざわざ風俗まで会いに来てくれた。


 風俗で求められたのは体ではなく、わたくしのハッキング能力。

 借金返済と生活費を負担するとまで言われ、わたくしは二つ返事でそれを受け入れた。

 これ以上ないほどわたくしにとって有難い話。

 海様には感謝してもしきれないほどの恩がある。今はそれを少しずつ返している途中。


『相変わらず俺のこと好きだね~』

「いつも言いますが、好きと言う言葉では表せないほど、わたくしは海様しか見えておりません」

『それはうちも同じなんだけど!』

「あら、いらっしゃったのですね、東雲さん」

『その呼び方止めてって言ったよね? 数週間前までは『アズ~』とか言って、うちにべったりだったくせに!』

「それは海様の指示でしたので」


 この東雲さん、否、梓さんは、アロエ荘の前管理人であり、先ほど電話した東雲社長の娘。

 わたくしと同じく、海様に尽くす一人の女性だ。

 他にも海様に尽くす女性は多く、皆、優秀か情報を持った人たちばかり。

 梓さんは、情報を持った人の一人。恨んでいる父親を裏切っているという感じである。


「それより精神面のほうは大丈夫なのですか?」

『見ての通り元気よ。うちの迫真の演技にみんな騙されてたでしょ?』

「騙されてはいましたね。ですが、皆さんそこまで心配はされていませんでしたよ」

『なっ!』

「わたくしと常に関り、他の住人と関わってなかったですからね」

『ミラっちのせいでしょ!』


 わたくしたち二人は、犬が吠えるように言い争う。

 元々、わたくしたちは仲が良くない。

 皆、海様に尽くすことにしか脳がない。他の女性たちには興味がないのだ。

 仕事上、不仲にはならないようにしているが、仕事外だと基本こんな言い争いは日常である。


『ちょいちょい二人とも落ち着いて』


 海様の言葉に、餌をもらった犬のように静かになるわたくしたち二人。

 わたくしたちの中で、海様の指示は絶対。何があろうとも反対や反抗はしてはならない。

 決まり事ではないが、暗黙のルールのようなものになっている。

 まず反抗した人がいたならば、問答無用で首が飛ぶに違いない。物理的な意味で。


『そろそろ時間も時間だ。アズちんは仕事に戻って、ミラちんはタブレットの準備を続けて』

『はーい! カイっち』

「あ、あのっ!」


 いつもより声を張り、通話を切ろうする海様を止める。


『ん? どうかしたかい?』

「えー、その……」

『まだ数分時間はある。何かあるなら言ってもいいぞ』

「はい。では、時間を頂戴します」


 一度呼吸を整え、今回の件に関わって気になったことを聞く。


「海様はなぜ春様にこのようなことをするのですか?」


 わたくしはどうしてもそれが気になった。

 春様のためにアロエ荘を作り、ロリ要素のある人たちを住人として招き入れ、春様に試練を与え、解決に少しばかり力を貸す。

 わたくしには意味不明な行動に思え、それをやる理由が分からない。


『あ、それ! うちも気になってた!』


 梓さんも同じ考えを持っていたようで、いつも通りのテンションで割り込んでくる。

 わたくしの質問だというのに、海様を知りたいからって。

 前々から気になっていたなら、わたくしのように勇気を出して聞けばいいのに。

 相変わらず性格が悪い子だ。


『なーに? 二人とも春に嫉妬かい?』

「……」

『……』

『おいおい、俺に男の趣味なんかないぞ。誤解を生まないためにも説明しとくよ』


 海様はわざとらしく『ゴホン』と咳払いし、話し始める。

 同時にわたくしは耳だけに意識を集中。梓さんも同じようにしているに違いない。


『実は春とは、小学校からの幼馴染でさ、高校までずっと一緒で仲が良かったんだよ。登下校や休み時間、昼食、部活、休みの日まで一緒。マジで親友と青春って感じ! で、俺が春にここまでする理由だけど、それは小学生の時に交わした約束のためだ』

「小学生の時の約束……ですか?」

『驚いたか?』

「あ、まぁ少し」

『そらそうだよな。小学生の時の約束なんてほとんどの人が覚えてない上、覚えていても笑い話だもんな。でも、俺たちの約束はそんな軽いもんじゃない。悪いが詳しい内容は話すつもりはない。話せる範囲で話すぞ』


 電話越しからグラスを回す微かな音と香りを吸う音、喉が鳴る音が聞こえてくる。

 グラスが机に置かれる音が聞こえ、『えーっと』という言葉から話が始まった。


『俺と春は小学生の時に、将来、俺がお金持ちに、春が小学校の先生になるという約束をしたんだよ。俺のほうは約束を果たしたが、春のほうは未だに果たしてない。だから、俺は春が小学校の先生になる約束を果たすために、こんなことをやってるってわけだ』

「でも、それは春様自身が果たすものではないのですか? あっ……す、すみません」

『謝らなくていい。ミラちんの言った通りだからね』


 海様は鼻で笑い「じゃあ何で? ってなるよね?」と話を再開。


『実は色々問題が発生してさ、春だけの力では不可能になったんだよ。そんなわけで、俺が裏で色々と力を貸している。悪いがここから先は話せない。話すつもりもない』

「分かりました。話して頂きありがとうございました」


 海様にそう言われれば、わたくしはこう答えるしかない。


『おう、またいつでも聞いてくれ。って、なぁアズちん、そんな目をしても言う気はないぞ』

『むぅ……は、はーい』


 声を聞くだけで梓さんがあざとい表情をしているのが目に浮かぶ。

 想像しただけで、少しムカっとしたが表には出さず、その場を乗り切る。

 しかしながら、梓さんがそのような表情をした気持ちも分からなくもない。

 海様の話など滅多に聞ける機会はないのだから。


『おっと、もうこんな時間だ。流石に電話を切るぞ。またな、バイバーイ』

「あ、はい、さようなら」


 わたくしは通話が切れると同時に裏の顔から表の顔へチェンジ。

 住人にバレないようにタブレットを春様の部屋の机に置くのであった。

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