第三部
第1話
目が覚めたのは、玄関の扉の向こう側に人の気配を感じたからだった。
外はまだ暗く、カーテンの隙間からは光は入ってきていなかった。
部屋に時計は無かった。いつもであれば、携帯電話を使って時間を確認するところだが、いまは手元に携帯電話はなかった。寝袋の中で身じろぎもせずに全神経を玄関の扉の向こう側へと集中させる。しかし、気配は既に消えていた。
寝ぼけていたのだろうか。そんなことを思いながら深津はゆっくりと寝袋から抜け出す。もう一度だけ玄関の外の気配を伺ってから、扉へと近づき、ゆっくりとドアノブを回した。
扉を開けると、そこには小さな箱が置かれていた。廊下を確認したが、人の姿はどこにもない。
その箱を回収して、部屋の中に戻った深津は中身を確認した。入っていたのは一台のスマートフォンだった。電源を入れると、現在時刻が表示され、いまが深夜三時だということがわかった。
しばらくスマートフォンの操作をしていると、着信が入った。ディスプレイには非通知という文字が表示されている。
「もしもし――――」
電話の向こうから聞こえてきたのは、聞き覚えのある男の声だった。
「確かに受け取ったぞ、佐久間」
スマートフォンを送ってきた相手。それは佐久間だった。佐久間は深津がこの場所を隠れ家として使用していることを知っていた。きっと例のバーから佐久間の方へ連絡が行ったのだろう。あの店のオーナーは佐久間であり、このマンションに関しても佐久間から借りているものだった。
「片桐ですが、見つけましたよ」
「そうか。どこにいるんだ」
「N県のS市です。深津さんの娘さんと一緒のようです」
「あれは片桐の娘だよ」
深津は笑うようにして言った。
「そうでしたね。でも、深津さんの娘でもある」
「まあ、そうだな」
それに関して、深津は否定をしなかった。
美紀は片桐とは血を分けた親子だ。だが、美紀の育ての父親は深津だといってもいいだろう。それだけ長い時間、深津は美紀と一緒に暮らし、彼女の成長する姿を見届けてきた。父親らしいことをしてやったかと言われてしまうと、素直に頷くことは出来ないが、自分が美紀の父親であるという自覚が深津にはあった。
「私の方で手を回して、娘さんを救出するということも出来ますが……」
「いや、自分でやるさ。その方が父親らしいだろ」
「珍しいですね」
「何がだ」
「深津さんが冗談を言うなんて」
「狂っているのさ。こんな状況だというのに冗談が言える。俺も、片桐も、狂っているんだ」
「朝になったら迎えに行きますよ」
「いや、いい。一人で行く。その代わりに車を一台貸してくれ」
「わかりました。では、マンションの駐車場に置いておきます」
「悪いな」
「このくらいのことしか、私にはできませんよ」
電話を切ったあと、深津はシャワーを浴びた。車が来たらすぐにでもS市に行くつもりで準備をしていた。おそらく、片桐はS市で罠を張って待っているのだろう。だったら、その罠に自ら飛び込んでいってやるだけだ。
部屋のクローゼットに入れておいたボストンバッグの中には、いくらか金が入れてあった。緊急時に使うためのものであったが、その中から深津は札束をふたつほど取り出して、別のカバンの中へと放り込んだ。クレジットカードは持っていたが、使う気にはならなかった。使えば、情報が残る。その情報をたどって、警察が後を追ってこないとも限らないだろう。特に、あの後藤という刑事は要注意だった。あの男であれば、少しの証拠であってもそれを嗅ぎつけて追いかけてくるはずだ。あれは優秀な猟犬だ。注意すべきだろう。
ボストンバッグの中には、札束の他にリボルバー式の拳銃が一丁と刃渡りの小さなナイフが一本入っていた。拳銃は仕事で使ったことはなかった。若い頃に築山と一緒に山奥に入って射撃練習をしたことがあった。なぜあの時、築山が仕事で使うこともない拳銃の訓練をさせたのかは未だに謎だった。ナイフに関しては、何度も仕事で使ったことがあった。首の頸動脈などを切ってしまえば、相手を一発で仕留めることができるし、腹などを指しても致命傷を追わせることができる。それ以外に、手や足の腱を切ってしまえば、相手を動けなくすることも可能だ。
ナイフくらいは持っていてもいいだろう。深津は、そう判断をしてナイフと砥石をバッグの中に入れた。
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