第14話「冗談」

 ハーヴェンの修行が始まってから一カ月が経った。

 神官という基礎があったこともあって、彼はもう一人前の死霊魔法使いになっていた。

 自ら〈霊場〉を展開し、死者共を支配できる。

 彼の中にある〈内なるゾンビ〉も含めて。

 一カ月……

 随分と早い。

 神官や召喚士は相性が良いとはいえ、死霊魔法の習得には本来、もっと時間がかかるものだ。

 それが一カ月で済んだのは贄池のおかげだった。

 池の周辺は神聖魔法を弱めるが、逆に死霊魔法は強まる。

 修行場所としてうってつけだったのだ。

 おかげでハーヴェンは次々と習得していくことができた。

 とはいえ、これまでに学んできた聖なる魔法に〈不〉を足すのは抵抗があった。

 慣れるまでは、死者と向き合うのが恐ろしかった。

 目標は人を成長させるという。

 苦痛な修行をやり遂げることができたのは、イリスを救いたいという強い目標のためだった。

 いまや、彼は師ユギエンと同じことができる。

 辛かったが、彼にとって学びの多い一カ月でもあった。

 たとえば、死霊魔法がなぜ外法扱いされるのかがわかった。

 神官だったので死霊魔法を否定してきたが、理由を問われると外法だからと答えるしかなかった。

 だから「死霊魔法はなぜ外法なのか?」という質問には明答できなかった。

 だがいまなら明答できる。

 神聖魔法と死霊魔法、両方を習得した彼なら断言できる。

 死霊魔法は他の魔法同様、一つの術に過ぎない。

 悪しき用い方をすれば、害悪になるのは死霊魔法に限ったことではない。

 たとえば神聖魔法〈剛力〉で強化した拳で殴ったら、人は即死するだろう。

 すべて術者の心次第。

 神聖魔法だからといって〈聖〉とは限らず、死霊魔法だからといって必ず〈邪〉とは限らないのだ。

 彼のゾンビ化を食い止め、人間として暮らす方法を示してくれたのは、その〈邪〉なる魔法だった。

 でもこれは理屈だ。

 世間の人々の心は理屈だけでは納得できない。

 かく言う彼も頭ごなしに否定していた一人だった。

 理屈だけでなく現実的に考えれば、やはり偏見を拭い難き魔法だと思う。

 神殿は、〈死〉を忌むべきもの、葬るべきものと人々に説いているが、死霊魔法では道具のように用いる。

 死者は人間だったのだ。

 召喚士が呼び出す精霊とは違う。

 死者を精霊のように使役する魔法に対して、罰当たりという印象を拭い去ることはできないだろう。

「〈死〉か……」

 修行を終えたハーヴェンはこれからリーベルへ帰る。

 いまは旅支度を整えていたのだが、その手が止まった。

 顔を上げ、洞窟の入口付近に立つイリスを見る。

 彼女は変異し、確かに死んでしまった。

 だが、

「不滅……」

 修行初日に言われた師ユギエンの言葉だ。

 そしてこの一カ月、信仰とは真逆の道を行かなければならなかったハーヴェンの心を支えた言葉でもあった。

 魂は不滅だ。

 彼女が消えてなくなったわけではない……

 修行が終わり、旅立つときを迎えた彼は修行初日のことを思い出していた。


 ***


 修行初日、師ユギエンはハーヴェンをある場所へ連れて行った。

 贄池よりさらに北……

 辿り着いた場所は森の中の草むらだった。

「ここは?」

「かつて、俺に死霊魔法を教えてくれた師匠が連れてきてくれた場所だ」

 彼が不思議がるのも無理はない。

「今日から修行を始める」と連れてこられたのは草むらだったのだから。

 広さは小さな村ほどあるだろうか。

 いや、実際に村だったのかもしれない。

 草むらを掻き分けると、外壁だったと思われる石積みの跡が出てくる。

「ここは、大昔に滅んだある少数部族の集落跡——」

 ユギエンは質問に答えたが、弟子はさらに疑問が湧いた顔をしている。

 当然の疑問だ。

 なぜ集落跡に連れてこられたのか?

 それは修行の間、死霊魔法に対する気持ちを改めてもらうため。

 それには洞窟よりこの場所が適している。

 なぜなら、

「ここは、俺たちの原点だ」

 俺たちの原点……

 死霊魔法はこの集落で生まれた。

 ここへ連れてきたのは、ハーヴェンがこれから学ぶものが何なのかを正しく知ってもらうためだ。

 知れば、もっと前向きな気持ちで修行に取り組めるようになるだろう。

 外法に〈手を出す〉という後ろ向きな気持ちでは、奥義に辿り着けない。

「かつてこの集落では、人と霊が共存していたという……」

 死霊魔法は、初めから外法だったわけではない。

 元々は古代より続く少数部族の降霊術だった。

 霊と生者の交信が本来の姿だ。

 最初はゾンビを操るような魔法ではなかったのだ。

 その交信の術がなぜ死霊魔法に変わっていったのかというと、必要に迫られたからだ。

 ラキエー大陸は過酷な土地だ。

 南は人が住める土地だが、同時にモンスターが住める土地でもある。

 ゆえに縄張り争いが絶えない。

 モンスターは食料を求めて人里を襲い、人間は討伐軍を組織して巣を滅ぼす。

 いや、滅ぼす対象はモンスターだけではない。

 時には人間の土地も奪い取る。

 部族もそうやって北へ、北へと追いやられた。

 北は寒冷な土地だ。

 南も豊かとは言い難いが、物流がいまほど発達していなかった時代、北の貧しさはそれ以上だった。

 とはいえ、そんな土地は人間も通常のモンスターも欲しがらない。

 部族にとって安住の地と思われた。

 だが、甘かった。

 北に進めば進むほど、通常のモンスターが減る代わりに、フロスダン等の氷雪のモンスターが増えるのだ。

〈少数〉部族だ。

 人数が少ないのだから、南の人間たちのように大勢の討伐軍を組織することはできない。

 降霊術しかない部族は無力だった……

 ところがあるとき、集落を襲おうとしたゴブリンの群れが同士討ちによって壊滅した。

 降霊術で周囲に漂う霊を憑依させ、仲間を攻撃させたのだ。

 憑依された個体が倒されると、次の個体に憑依させて繰り返す……

 ついには撃退に成功した。

 部族がやったことは降霊術だが、その用い方が死霊魔法だった。

 このように、死霊魔法は降霊術の応用から生まれたのだ。

 生命と意思を持つ敵に、憑依はよく効いた。

 問題はフロスダンだ。

 生命も意思もないので霊を憑依させても意味がない。

 物理的に破壊するしかないのだ。

 そこでゾンビやスケルトンを操る術が考案された。

 死霊魔法の対象は霊であり、実は物体のゾンビやスケルトンを動かす魔法ではない。

 では、どうやって操るのか?

 ゾンビやスケルトンは、霊が死体や骨に密封されている状態だ。

 天罰や生前の執着、死霊魔法使いが支配下の霊を封入したり……

 密封されている理由はいろいろだが、とにかく中に霊が宿っている状態だ。

 そこで、術者は死体に宿っている霊を操った。

 中の霊を動かせば、外側の身体も一緒に動くわけだ。

 術者が〈親〉として支配し、死者は〈子〉として従属する。

 今日まで続く死霊魔法の基本的な仕組みは、こうして生み出された。

「部族は不死の大軍を作ることができ、フロスダンの群れを撃退することができたという」

 ここまでなら気味の悪い魔法という評判だけで済んだのに、この魔法を外法たらしめているのはここからだった。


 ***


 集落が生存を勝ち得た後、部族は〈降霊派〉と〈魔法派〉の二つに割れた。

 降霊派は、死霊魔法は護身に限定し、降霊術から離れるべきではないと主張する多数派。

 魔法派は、死霊魔法を更に発展させるべきだと主張する少数派。

 議論の結果、魔法派が集落から出ていくことになった。

 ……この魔法派の末裔がユギエンの師匠だ。

 集落を出た彼らは世界各地で活躍した。

 特に戦場で。

 指揮官から重宝がられ、中には参謀に出世する者も。

 重宝がられるのも無理はない。

 死霊魔法のおかげで戦死者を戦力に数えることができるし、噛まれた敵兵も自戦力になっていくのだ。

 王様や将軍たちにとっては夢のような話だった。

 しかし兵士やその家族にとっては悪夢のような話だ。

 王様と国に命を捧げた戦死者を、ゾンビにして原形を留めなくなるまで戦わせるというのは、人の心を軽視する行いだった。

 民衆の怒りは高まり、やがてその怒りが神殿に集まった。

 神殿は、人が死んだら余計なことをせず、ただ葬れと説く。

 死後、善人は天界に上り、悪人は地獄に落ちるという違いはあるが、どちらもこの世から去るのは共通だ。

 死霊魔法はその妨げになると批判した。

 対する死霊魔法も黙ってはいない。

 霊魂は不滅であり、人から霊に姿が変わるだけだと主張した。

 人と霊は一緒に暮らせるのだ。

 ゆえに、共存している霊に人間が手助けしてもらうことはあり得る。

 この主張はもっと平静な時にすべきであり、息子や夫を〈手助け〉に使われた遺族たちの前ですべきではなかった……

 民衆と神殿は死霊魔法を外法と断じ、争乱が広がっていくのを嫌った王様も外法だと認めた。

 一人の王様が認めると他国も続き、やがてこの魔法は表舞台から姿を消した。

「ここまでの話、重要な点がどこかわかるか? ハーヴェン」

 難しい質問だ。

 降霊術から死霊魔法が生まれたこと。

 部族が二つに割れ、〈魔法派〉が死霊魔法を世界に広めたこと。

 死霊魔法が戦場で活躍した結果、人々の怒りを買って外法になってしまったこと。

 どれを重要と感じるかは、聞く者によって違うはずだ。

 ハーヴェンが重要と感じたのは……

「イリスの魂がまだあの身体の中にいるということか?」

 彼が最も重要だと感じたのは反論の一節「霊魂は不滅」という部分だった。

 先人たちや目の前の師匠に申し訳ないが、死霊魔法の成り立ちの話には興味が湧かなかった。

 大変失礼な弟子だ。

 しかしユギエンは怒らなかった。

 ここへ連れてきたのは、死霊魔法が何なのかを知り、修行に対して前向きになってもらうためだ。

 イリスの霊魂が健在で、ハーヴェンが奥義に辿り着くことができたら、彼女を〈蘇生〉させることができる。

 明確で前向きな修行目的ではないか。

 ——もう、こいつが躊躇うことはないだろう。

 ハーヴェンは神官である前に夫だった。

 弟子の本心を確認できた師匠は満足し、二人は遺跡を後にした。


 ***


 降霊派の遺跡から戻って一カ月が経ち、ハーヴェンは一人前の死霊魔法使いになった。

 現在、イリスの〈親〉だ。

 これでリーベルへ連れて帰ることができる。

 イリスを見て初日のことを思い出していると、そこへユギエンがやってきた。

「池で霊を数体連れて行くといい」

 二人の旅は困難だ。

 特にニバリースで定期船に乗るときが最も困難だろう。

 彼女を人目に晒すわけにはいかないので、箱に詰めて〈荷〉として積み込むしかない。

 だがそうなると港の検査官に荷の説明をしなければならず、中身を見せろと言われたら大変だ。

 そこで港の検査官に霊を憑依させれば、面倒事を回避することができる。

 その霊を連れて行けという指示だった。

 そうしている内に、ハーヴェンの旅支度が完成した。

 いよいよ二人旅が始まる。

 すると、師匠は餞別を差し出した。

「これをやろう」

 それは彼と同じ黒色のフード付きマントだった。

 二着あるのはイリスの分だ。

 ニバリースに着くまで、彼女を連れて白昼堂々街を通過することはできないので夜間の旅になるだろう。

 黒色は夜闇に紛れる。

「何から何まで、ありがとう。でも——」

 でも、どうして俺たちを助けてくれたのか?

 ハーヴェンは最後にずっと疑問に思っていたことを尋ねた。

 この一カ月の暮らしで、師匠が世間から離れて暮らしたい人だということがわかった。

 要するに人嫌いだ。

 なのに、池で助けてくれた上、死霊魔法を教えてくれたのはなぜだ。

 人嫌いが急に治って、お人好しになったのか?

 そんなことはあるまい。

「ああ、そのことか」

 ユギエンは少し笑った。

 気のせいか、ハーヴェンはその笑いに微かな自嘲を感じた。

 人嫌いの彼が親切心で人を助けることはない。

 にも拘わらず助けたのは己の欲や願望のためだ。

 あの日……

 置き去りの刑が執行された日、ゾンビの毒に抵抗していたハーヴェンに古の巫女の姿を見た。

 死霊魔法に伝わる聖邪。

 この若者なら巫女のような聖邪になれる。

 そして奥義に到達できる!

 そう確信したから助けたのだ。

「どうも誤解されているようだが——」

 ユギエンは確かに人嫌いだ。

 だがそれは人に興味がないというだけで、物事に対する好奇心は強かった。

 若い魔法使いだった彼は〈魔法派〉の師匠と出会い、死霊魔法の道に踏み込んでしまったが、躊躇いがなかったのは強い好奇心からだった。

 顕示欲もあった。

 他の魔法使いとは違う特別な存在になりたかったのだ。

 結果、先人たちのように戦場で重宝がられたが……

 勝利が目前に迫ると外法の痕跡を消すために何度も口を封じられそうになった。

 追手から逃れながら、若かった彼は悟った。

 他者にない力を得て特別な存在になったのではない。

 世の中のはみ出し者になっただけだ、と。

 はみ出し者が誰かに受け入れられることはない。

 近付いてくる者は、外法を利用しようという不届き者だけだった……

 そんな人間の醜さを見ている内に、人嫌いになり、贄池の近くで暮らすようになった。

 贄池周辺は、普通の人間にとっては気味の悪い土地かもしれないが、彼にとっては静かに暮らせる場所だった。

 誰にも好奇心を邪魔されず、〈蘇生〉の研究ができる。

 ところが研究を進めていくと、彼では〈聖邪〉になるのが無理だとわかってきた。

 死霊魔法は〈邪〉なる力だが、対の〈聖〉なる力はどうすればいい?

 通常の魔法は〈聖〉でも〈邪〉でもない。

 では神官に?

 一度は死霊魔法使いであることを伏せて神殿の門を叩こうかと考えた。

 でも神官になっても無意味だと悟ってやめた。

 彼は魔法使いだ。

 神を信仰してはいなかった。

 世の中で起きている事象は神の御業などではない。

 一見、不可解に思えることも、そこには何らかの法則が必ずあるのだ。

 それが如何なる法則なのかを明らかにする学問が魔法だった。

 きっと神官になっても信仰心がない以上、神聖魔法の知識を習得しただけで終わるだろう。

 ゆえに彼が奥義に辿り着くことはない……

 だからハーヴェンに期待していた。

 弟子は信仰心に基づく〈聖〉なる力の使い手でありつつ、妻を蘇らせるために〈邪〉なる力も受け入れた。

 古の巫女のように。

「死霊魔法使いの一人として、奥義が本当にあるなら見てみたいではないか」

 但し、ここからはハーヴェンが一人で進まなければならない。

 師匠は奥義に辿り着けなかったのだから、彼に教えることはできないのだ。

 幸いなことに、イリスはあちこち噛み千切られることなくゾンビ化したので、五体はほぼ満足の状態だ。

 あとは〈器〉に生命を流し込んで生者に戻してやれば〈蘇生〉の成功だ。

 ……というのは簡単だが、実際にやるのは難しいだろう。

 生命というものは蒸発するのがとても早い。

 身体から吸い出してすぐに蒸発が始まり、慌てている内にすべてなくなってしまう。

 初回はイリスに注ぎ込むことなく失敗に終わるだろう。

 仮に少量だけ成功し、彼女に注げたとしても、次の生贄捕獲にモタ付いている内にその少量が蒸発してなくなっている。

 穴の空いた浴槽に休まず水を注ぎ続けて満杯にしろ、と言われているようなものだ……

 まずは穴を塞ぐべきだろう。

 つまり蒸発を防ぐのだ。

 でないと大量の生贄が必要になり、周囲から怪しまれる。

 最低限の生贄で済むよう、蒸発防止策は絶対に不可欠だ。

 霊を生者に戻す場合の〈生きている器〉探しよりはマシだが、やはり〈蘇生〉は奥義だ。

 ゾンビを生者に戻すのも簡単ではない。

 長い時間がかかるだろう。

 研究の傍ら、生業も必要になる。

 ユギエンは霊媒師、ハーヴェンは神殿魔法兵だ。

 いや、海軍魔法兵に転向するのだったか?

 神殿で聖者の振りでもしていた方が研究時間を多く確保できそうに思うが、海を渡るのも悪くはない。

 いろいろな土地へ行って、その地に伝わる術がヒントになるかもしれない。

 ハーヴェンとイリスは洞窟を出た。

 空が明るい内に出発する。

「成功を祈っている」

 ユギエンはハーヴェンを励ました。

 成功したらリーベルへ渡り、生者のイリスに会いに行く、と。

「…………」

 いまの彼女は返事ができないので、二人を代表して夫が返す。

「ありがとう、師匠。そのときは手紙を書くよ」

「うむ。ただ——」

 ただ、贄池の洞窟へ届けに来てくれる配達屋がいるかどうか。

 …………

 ……プッ!

「ハハハハハ、確かに!」

 師匠からの思いがけない冗談だった。

 一瞬驚いた顔の後、ハーヴェンの楽しそうな笑い声が続いた。

 昼夜問わず、悪霊とゾンビが蠢く贄池の森で笑い声がしたのは、おそらく一〇〇年ぶり。

 いや、それ以上かもしれない。

 そしてハーヴェンが笑えたのも約一カ月ぶりだった。

 無実の罪に陥れられ、愛する妻を失い、深く傷ついた若者に笑いを取り戻したのは神の教えではなく、ユギエンの冗談だった。

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