第9話「不当な裁き」
裁判というものは被告が圧倒的に不利だ。
人間にはどうしても先入観がある。
裁判は原告が訴えを起こすことで始まるのだから、裁判が開かれたときには原告の話が先に出ている状態だ。
一応、裁判官は原告・被告双方の話を公平に聞くというが、強力な証拠がない限り、人間の先入観を覆すのは難しいのではないだろうか。
通常の裁判でもこれほど被告に不利なのだ。
これから行われる裁判のように、裁判官と原告が同一人物であり、証拠も証人も揃っている状況では被告の運命は絶望的だと言わざるを得ない。
それが、被告ハーヴェンに待ち受ける運命だった。
***
地下牢から審問室へ引き出されたハーヴェンは、形ばかりの裁判を受けた。
無実であることを説明しようと思っていたが、すぐにそれどころではないと気付いた。
これは真実を明らかにする裁判ではない。
すでに決まっている結論に向かって進行する茶番劇だった。
審問室には役人数名と裁判長として領主が着席していて、証人たちが次々と証言台に立たされていた。
昨晩、ハーヴェンとイリスが慌てて礼拝所から逃げ出すところを見たという神官。
神殿魔法兵なのに剣を購入したと証言する武器屋。
そしてベッド下から出てきた聖剣……
彼の罪が一方的に立証されていく。
罪人が意見を述べることは一切許されず、武器屋に一度も行ったことはないと叫ぼうとしたが、兵士に殴られて出鼻を挫かれてしまう。
——こうなったら、最後に与えられる申し開きの時間に無実を訴えるしかない。
そう思い、頭の中で要点を纏めて待っていたが「これだけの証拠と証人がいるのに申し開きは無用だ!」と領主の宣言によって阻止されてしまった。
どんな凶悪犯罪者にも与えられる発言の機会をハーヴェンからは剥奪した上で、判決が下った。
聖剣を盗んだ罪は非常に重い。
よって死刑に処す。
イリスレイヤの身柄確保がまだだが、逮捕次第、同じく死刑に処すという。
ハーヴェンの罪は捏造されたものではあったが、真実と信じている領主にとっては悪だ。
悪を罰するのは領主として当然のことではあるが、イリスに対してもう少し温情があっても良いのではと思う。
しかしこれは思いやりや情けのある人間が感じることであり、どちらも欠落している領主の考えは違っていた。
はっきり言って、ずっと邪魔だったのだ。
それでも館に置いていたのは、街での評判のためだった。
当時はまだ座を引き継いだばかりの若い領主だったので、小さな子供を邪険に追い払うと、彼の勇者としての評判が下がるのではと恐れたのだ。
だがいまは違う。
長く領主の座にあり、その地位は多少の悪評では揺るがない。
娘を正室と息子が嫌っており、二人と揉めてまで庇う気はなかった。
領主がこの有様なのだから、下に付く者たちも同様になる。
武器屋は平気で口裏を合わせるし、領主と揉めたくない神殿は兵隊を喜んで礼拝所へ通したのだった。
——これは何かの陰謀だ!
ハーヴェンは自分たち夫婦に降りかかった災難が、誤解によるものではないことを悟った。
自分たちは何かの陰謀に巻き込まれたのだ。
無実を訴えても無駄だ。
聖剣泥棒だから死刑になるのではなく、死刑にするために聖剣泥棒に仕立て上げているのだから。
***
ハーヴェンは午前中に逮捕され、正午過ぎに判決が下り、夕方には死刑を執行されることになった。
異常な早さだが、街で弁護する者はなく、議論を尽くすべき問題点もない。
徒に時間を費やしても、大罪人に食わせる食費が余計に嵩むだけだ。
判決と一緒に、彼が夕方に受ける処刑法について告げられた。
「聖剣を盗むのは悪魔の所業——」と、その処刑法になった理由から始まり、「悪魔らしく魔界に送ってやる!」と続いた後、
「よって、被告ハーヴェンを贄池に置き去りとする!」
と刑を宣告した。
贄池はいまでも穢れが消えない魔の池。
昼夜、悪霊やゾンビが徘徊する危険な場所だ。
ただの生者はすぐに貪り食われる。
魔界にたとえるのに相応しい場所だった。
なので、ヘイルブルでは通常の罪人と区別し、池を大罪人の処刑場としていた。
つまり、贄池へ置き去りの刑とは……
ただ死なせるだけでは償いにならない。
死後永遠に呪われよ、という魔界送りの意味合いが強い刑だった。
正午過ぎに判決が下されたのに、執行が夕方なのはそのためだった。
夜は死者共の活動が活発になるので、日暮れに出発して罪人を置いてくるのだ。
それまでの間……
午後はハーヴェンにとって辛い時間だった。
罪人は街の広場で柱に縛り付けられて晒し者にされる。
彼の前には大きな立札が立てられ、罪状について記されていた。
すぐに人々が集まり、読み終えた者から順に石を拾う。
「何て奴だ! 勇者様の聖剣を!」
「神官の風上に置けねぇっ!」
信仰とは恐ろしいものだ。
普段、領主やウェスキノのことを「口から出任せが酷い」と陰口を叩いているのに、聖剣が絡んだ途端、盲目的に鵜呑みにする。
猿轡を噛まされているので弁明できないのだが、できたとしても怒る住民たちには通じなかっただろう。
ハーヴェンに罵声と石礫が降り注いだ。
頭に、顔に、全身に。
放っておいたら死んでしまうので、程々のところで兵士たちが投石を止めさせた。
温情ではない。
なるべく意識がはっきりした状態で贄池へ連行しなければならないからだ。
投石は止んだがその分、罵声が増えた。
「…………」
ハーヴェンは傷の痛みに苦しみながら、巡礼に出発する前にウェンドア神殿で執り行った自分の葬式を思い出していた。
巡礼は危険な旅だ。
徒歩の単独行だからではない。
裕福な神官は護衛たちを従えて馬車で各地を回るが、それでも絶対安全だとは断言できない。
強力な敵と遭遇し、護衛も神官も皆殺しにされることはあり得る。
だから神官は自分の葬式を済ませてから巡礼に出発する。
どこで力尽きても、迷わず天国へ辿り着けるように。
ハーヴェンも自分の葬式を済ませてきた。
縁起が悪いと思いながらだったので真剣みが足らなかったかもしれないが、それでもいまは済ませてきて良かったと思う。
葬式がすでに済んでいるのだから、魔界ではなく天国へ行けるはずだ。
きっと……
石礫が命中したせいで瞼が腫れ上がって見え辛いが、彼は頑張って目を開き、左右を見て安堵する。
罪人を晒すための柱は一本だけだった。
イリスはまだ捕まっていないようだ。
——イリス……
彼女にとって館は敵陣のようなものだ。
主人たる一家が敵視しているのだから、使用人たちも表立って助けることはできない。
ずっと独りで生きてきたのだ。
だが、そのおかげで危険を察知する能力が鍛えられていたに違いない。
ゆえに彼女は逃げることに成功したのだ。
まさかこんなことになるとは想像していなかったが、旅支度を整えさせていて良かった。
着の身着のまま館から脱出という事態は避けられたはずだ。
リーベルには連れて行けなくなってしまったが、彼女ならヘイルブル以外の土地でも生きていける。
巡礼の道案内でハーヴェンは確信していた。
——イリス、君は生き延びてくれ……
彼は妻の無事を願いながら気を失った。
***
領主から出発の命令を受けた兵士たちがハーヴェンのところへやってきた。
「起きろっ!」
気絶している罪人に苛立ち、頭を殴りつけた。
「ん……んん……」
ハーヴェンは殴られた衝撃で目が覚め、周囲の様子を見る。
空は夕暮れになっていた。
ハッ、と思い出して左右を確認する。
イリスは……
まだ捕まっていない。
夕方になっても隣にいないということは、かなり遠くへ逃げたということだ。
もう安心して良いだろう。
だが、ホッと安堵に浸る暇を与えてはくれない。
いよいよ贄池へ出発するらしい。
広場には贄池へ罪人を運ぶ騎兵が三騎集まっていた。
「これより刑を執行する!」
執行役人の命令で歩兵たちが動き出した。
罪人の首に賭けられている縄を引っ張り、二人掛かりで一騎の尻馬に乗せた。
後ろ手に縛られているので、このまま走り出したらすぐに振り落とされてしまう。
これでは贄池に辿り着けないと思うが……
しかしそこは考えていた。
騎兵とハーヴェンを縄で簡単に縛り、途中で落ちないようにする。
準備が整った。
「道を空けろっ!」
先頭に立った一騎の掛け声で、群衆が左右に分かれて道が現れた。
その道を駆け、三騎はヘイルブルの城門から飛び出していった。
罪人を乗せている一騎を他二騎が前後に挟む隊形で北を目指す。
平坦な道が坂道になり、通行禁止の立札を超えて更に上った先……
贄池が見えてきた。
——あれが……!
猿轡を噛まされたままなので、ハーヴェンは心の中で呻いた。
水面が黒いのは日が沈みかけているせいもあるが、それだけではない。
遠くからでもわかった。
池そのものがドス黒いのだ。
池を中心としたこの一帯には邪気が溜まっており、良くないものを引き寄せているようだ。
近付くほどに、木々の間に見える悪霊の影が増えていく。
ヘイルブル神殿を訪れた日の神官の言葉を思い出す。
彼は「贄池の呪いは神殿の者が総出でも祓い切れない」と言っていた。
その通りだった。
あれはもう人間の手で浄められるものではない。
〈魔〉そのものだ。
そのときだった。
落ちないようにハーヴェンと騎兵を縛っていた縄が解けた。
いや、違う。
騎兵が解いたのだ。
贄池へ置き去りの刑は、罪人を運ぶ騎兵にとっても危険だ。
なので、丁寧に馬を止めて下ろしたりはしない。
速度は落とすが、馬を走らせたまま池の畔に罪人を落としていくのだ。
速度を落とすのは、もちろん温情ではない。
落馬の衝撃で死んでしまっては、ここまで連れてきた意味がなくなるからだ。
忘れてはならない。
これは縛られた状態で贄池に放置するという、死刑なのだ。
「んん、んんっ!」
騎兵が彼を落とそうと肘で押し始めた。
ハーヴェンは馬体を挟む両足に力を入れ、必死に耐える。
無駄な足掻きだ。
そんなことをしても落とされる時間がほんの少し延びるだけなのに……
それでも一分、一秒、少しでも長く生きようとする本能の抵抗だった。
けれども三対一だ。
肘で押しても落ちないなら、後ろからも引っ張るだけだ。
後続の騎兵がハーヴェンの髪に手を伸ばし、強引に引っ張った。
「~~~~っ!」
髪を引っ張られては敵わない。
ついにハーヴェンの身体が宙に投げ出された。
「…………」
真上を向いた目に飛び込んできたのは、夕焼けに照らされた赤い雲と夜に向かっていく群青色の空。
ドス黒い〈気〉が漂う呪われた地なのに、赤と群青がやけに綺麗だった。
そして落下——
ドサァァァッ!
「んぐっ!」
背中を強く打ち、息ができない。
このまま死んでしまうのではないかと思うほどの苦しみだが、苦痛を感じているということは生きているという証だ。
騎兵たちにとってはそれだけで十分だった。
生きたまま罪人を下ろすことができたので、任務は成功した。
馬腹を蹴って、速度を上げる。
こんな所に長居は無用。
騎兵たちは退却に移った。
任務の大半は終わった。
でも、あと一つやることが残っている。
三騎は騎銃を抜き、真上に向けた。
罪人には猿轡を噛ませて後ろ手に縛っているが、足は自由にしてある。
本当は足も縛っておくべきなのだが、尻馬に乗せて運ぶためには仕方がなかった。
この刑が始まった頃は足も縛り、罪人を荷のように運んでいたという。
だが、この運び方だと途中で落ちないように縄で固定する必要があり、贄池で騎兵が下馬して荷下ろしをしなければならなかった。
死者共がウヨウヨいる中で、動きが止まるのは危険だった。
実際、荷下ろし作業中に襲われる騎兵が何人も出たことで、馬を止めずに罪人だけを落としてくる方法に変更されたのだった。
これで騎兵の危険は減ったが、代わりに自由になっている足で罪人が逃げてしまう虞は増した。
そこで騎銃だ。
落とした罪人は身体を打ってしばらく動けない。
だから発砲音を轟かせてから退却するのだ。
ゾンビや悪霊が音のした方に集まってくるように。
「撃てぇっ!」
パパパァァァンンン……!
大きな発砲音の後、残響が池と周囲の森に残った。
「アァァァ?」
動きは緩慢だが、木々の間に佇んでいたゾンビたちが一斉に音がした方向を振り向いた。
もうすぐ夜になる。
死者たちの時間だ。
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