第7話「ホラ話」

 ウェスキノの馬車が館へ着いたとき、空は完全に真っ暗だった。

 彼は使用人が出迎えに整列している横を、大股で館の中へ入っていく。

 使用人の一人から「ご夕食の用意が——」と声をかけられたが無視して通り過ぎた。

 夕食のことなどいまはどうでもいい。

 下賤な異母妹の手で聖剣が光り、自分の手では光らないのはなぜなのか?

 神殿で一つの仮説が浮かんだ。

 馬車の中でその仮説を打ち消そうと試みていたが、ダメだった。

 ウェスキノの仮説とは……

 自分は、勇者である父の血を引く子ではない、ということだった。

 これがただの考えすぎなのか、それとも真実なのか。

 いまから明らかにする。

「母上―っ!」

 ウェスキノは邪魔な扉を跳ね除けるかのように、ものすごい剣幕で母の部屋へ入った。

 室内には母ともう一人、付き人としているベテランの侍女の姿があった。

 二人共驚いて固まっているが、ウェスキノは恐ろしい形相で侍女に退室を命じた。

「いますぐここから出ていけ。母と子だけの話があるのだ!」

 侍女は思わず主である正室を振り返る。

 ウェスキノ様の剣幕が尋常ではなく、大人しく従っておいた方が無難ではあるのだが、主を一人残して退室するのが躊躇われた。

 だが、正室も退室を命じた。

 母と子だけの話というのだから外していてくれ、と。

「……かしこまりました」

 侍女は心配しつつも一礼して下がった。

「それで? この母としたい話とは何です?」

 正室は侍女が扉を閉めるのを待って、室内で落ち着かない様子のウェスキノに話すよう促した。

「…………」

 ところが彼女を一瞥しただけで、彼は話を始めない。

 相変わらず部屋をキョロキョロと見回している。

 間者などいるはずもないが、使用人が仕事で近くをうろついているかもしれない。

 そのような者が付近にいないかの確認だ。

 挙句、さっきの侍女が外側から盗み聞きしていないか、と閉まっている扉を開いて確認する念の入りようだった。

 やがて気が済んだのか、母の正面の椅子に腰掛けた。

 ようやく話が始まるのかと彼女は身構えたが、息子は背中を丸め、両手で頭を抱えてしまった。

「一体どうしたのです? どんな悩み事か話してくれないとわかりませんよ」

 と声をかけながら、目の前の背中を撫でようとする。

 しかし、

「……母上、私の父親は誰だ?」

「!」

 あと少しで背中に届くというところで母の手が止まった。

「な、何を血迷ったことを!」

 否定する声が上ずっている。

 虚勢を張っているのは明らかだった。

 彼が徐に顔を上げると、この僅かな間で母の顔から血の気が引いていた。

 けれど、彼女は気の強い女性だ。

 動揺した心を落ち着かせながら、誰に何を吹き込まれたのかと息子を尋問し始めた。

 最初は努めて冷静な物言いだったが、途中から「言いなさい!」と怒鳴り声に変わっていった。

 ウェスキノは少年の頃に恐ろしかったこの怒鳴り声が、いまは一つも恐ろしくなかった。

 必死に狼狽を隠す強がりの声にしか聞こえない。

 放っておくといつまでも続きそうなので、尋問に短く答えた。

 誰にも吹き込まれてはいない。

 ただ、己の目で見たのだ。

「イリスが——」

 イリスが少し触れただけで、聖剣が光るところを。

 当主どころか、卑しい侍女に過ぎないあいつが。

「…………」

 母の怒鳴り声が止んだ。

「教えてくれ、母上。私は勇者の血を引いていないのか?」

 ウェスキノの剣幕は幾分和らいだが、その代わり決意のようなものが滲み出てきている。

 もう誤魔化すことはできない。

 正室は観念した。

「実は……」

 彼女はついに語り始めた。

 なぜ息子の手では聖剣が光らないのか。

 その理由を。


 ***


 ウェスキノから母への問い——

 彼が手にしても無反応なのに、イリスレイヤがちょっと触れただけで聖剣らしく光ったのはなぜか?

 母の答えは……

「実は夫と出会う前、私には——」

 若い頃、彼女には想い人がいた。

 相手も彼女を愛しており、一緒になりたいと願っていた。

 そこでウェスキノが口を挟む。

「その男が父親だな。いまどこに?」

 正室は首を横に振り、想い人の現在については答えられなかった。

 なぜなら彼とその家族は、勇者一族によってヘイルブルから追い払われたのだから。

 いま生きているのかどうかさえ不明だ。

 要するに——

 若く美しかった彼女は、公子だったいまの領主に奪われたのだ。

 庶民だった彼女の実家が、勇者一族と親戚になれる名誉に目が眩み、娘を引き渡したというのもあった。

 両家は愛する二人を無理やり別れさせ、翌日には公子との結婚式が執り行われた。

 あまりにも急すぎて式の参列者が殆どいなかったが、公子は望みの女性が手に入ったことに大喜びだった。

 ただ、いくらヘイルブルで最も格の高い一族だったとしても、愛し合う二人を引き裂くべきではなかった。

 ……彼女はすでに、想い人の子を身籠っていたのだった。

「では、父上を騙したのか?」

「違う! 違うわ!」

 本当だ。

 結婚式が終わる頃、彼女は運命を受け入れ、公子の正室になる覚悟を決めた。

 だから公子の子と信じてウェスキノを産んだのだった。

 だが、やはり彼女が想い人と別れた翌日に公子との結婚式を執り行うというのは早すぎたのだ。

 ウェスキノが想い人の子だとわかったのは、夫が幼い息子に神殿で聖剣を見せたときだった。

 息子が柄に触れても聖剣が何の反応も返さないのを見て、彼女の背に冷たい汗が流れた。

 でも夫は息子を溺愛しており、「幼さゆえだろう」と笑い飛ばしてくれた。

 公子時代の夫はどうしようもないどら息子で、勇者伝説には興味も関心もなかった。

 それゆえの誤った憶測だった。

 おかげで母子は助かったのだ。

 そうでなかったら、二人は夫に成敗されていたことだろう。

 つまり正室とウェスキノは、夫の無知ゆえに今日まで永らえてきたのだった。

 卑しいイリスレイヤの手で聖剣が光るのに、高貴なウェスキノの手では光らないのはなぜか?

 答えは簡単だった。

 イリスは正真正銘父上の子だが、ウェスキノは勇者の血を一滴も受け継いでいない〈偽勇者〉だったからだ。

 人間と違い、聖剣は正直だった。


 ***


 正室の告白が終わった。

 ウェスキノは……

「…………」

 頭を抱えたまま固まっていた。

 彼は自分が〈偽勇者〉なのではないかと仮説を立て、十中八九正しいという自信があった。

 でも本音を言えば、ハズレていてほしかった……

 母に何か別の理由を示してほしかった。

 正真正銘、父上の子ではあるが母親似が災いして生まれつき血の力が弱いとか、幼い頃に悪い魔法使いから力を封じる〈呪い〉をかけられているとか……

 未練たらしい妄想だった。

 原因はもっと根源的なものだったのだ。

 単純に勇者の血を引いていなかった。

 それだけだ。

「ごめんなさい、ごめんなさい……あなたは何も悪くない」

 正室は泣きながら我が子の背中を撫でた。

 息子の肩は震えていた。

 怒りで震えているのか?

 あるいは悲しみ?

 ……違う。

 恐怖だ。

 ウェスキノは蹲ったまま、己のすべてが崩れ去る恐怖と戦っていた。

 今日まで公子として生きてきたのだ。

 勇者一族にとって血がどれほど大切かはよく知っている。

 我が子ではなかったと父上が知ったら、彼は即刻追放されるだろう。

 末裔ではなかったと街の住民たちに知られたら〈偽勇者〉として迫害を受ける。

 彼は館から追い出されるだけでなく、街からも出ていくことになる。

 では街を去った後、どこで暮らせばいい?

 勇者伝説はヘイルブルだけのものではない。

 ラキエー大陸全域に伝わっている。

 大陸内のどの国で暮らそうと〈偽勇者〉の汚名が付いて回る。

 彼はただ産まれてきただけだ。

 周囲が勇者の末裔だと祭り上げてくるから、自分は崇められる存在なのだと認識していただけだ。

 血の繋がりがないと知りつつ、末裔を騙っていたわけではない。

〈偽勇者〉としてウェスキノを責めるのは酷な気がする。

 でも皆には十分だ。

 彼は自分たちと同じ常人だったのに、末裔と称して公子の座にあった。

〈偽勇者〉として糾弾するのには十分な事実だ。

 迫害を避けるには海を渡るか、あるいは……

 ウェスキノは静かに立ち上がった。

 虚空を見つめながら呟く。

「そうだ。私は何も悪くない。私は正真正銘、父上の子なのだ」

 恐怖は人を狂わせる。

 彼は全てを失う恐怖に負け、開き直った。

「母上、協力してください」

「な、何の協力ですか?」

 彼は蹲っている間に考えた計画を説明した。

 それは悪知恵というより奸智というべき策だった。

 成功すれば彼と母の立場が守られる。

 いや、成功するだろう。

 普段の彼からは想像できない周到な策だ。

 追い詰められて火事場の馬鹿力が出たか?

 あるいは、彼の悲哀を嗅ぎ付けた悪魔が知恵を授けたのか……

 母は最初、策の内容が恐ろしくて協力を躊躇った。

 しかし彼は丁寧に説得を重ね、ついに彼女は首を縦に振った。

 二人は行動を開始した。

 まずは手紙をしたためる。

 文はウェスキノが考え、母が筆記した。

 次に追い出した侍女を呼び戻し、すぐに手紙を届けてくるようにと命じた。

 届け先は、ヘイルブル神殿だ。

 しばらくして侍女が戻ったが、その後、母子に動きはなかった。

 館はいつも通りに過ぎていく。

 いつもと違う点は、戻った侍女が館の裏口付近でウロウロしていたことくらいか。

 夜が更けて——

 侍女は裏口へやってきた男から布に包まれた細長い荷を受け取り、正室の部屋へ届けた。

 部屋にはウェスキノもおり、荷は正室ではなく彼が受け取った。

「ご苦労だった。下がって休め」

 正室ではなく公子の命令だったが二人の総意と解し、一礼して下がった。

 彼女は余計な詮索をしない。

 特に貴人に仕える場合、沈黙が長生きの秘訣だと知っている。

 だから荷を尋ねはしないが……

 裏口から部屋へ運ぶ途中、どうしても布の上から荷に触れてしまうので形状がわかってしまう。

 縦に長く、途中で横に短く交差した形状……剣か?


 剣、勇者、ヘイルブル神殿。

 これらが示すものは……

「…………」

 侍女は嫌な予感がしていた。

 一家は横柄ではあったが、陰謀とは無縁だった。

 それだけが唯一の良いところだったのに……

 いま歩いている廊下の暗さが、まるで彼女の未来を暗示しているようだった。


 ***


 侍女が退室した後、ウェスキノが布を外す。

 荷はやはり、

「聖剣……!」

 思わず母が呻くが、息子は気にしない。

「母上、これで私たちは安泰です」

 彼は思い出したのだった。

 父上が聖剣を始めて見せてくれたとき、周囲に誰もいなかった。

 剣身を衆目に晒さないようにしていたのだ。

 つまりヘイルブルの人々は聖剣が光るという伝説を知っているだけで、実際に光るところを見てはいないのだ。

 尾鰭の付いたホラ話だと思っている者もいるだろう。

 あんな古ぼけた剣が本当に光るはずはない、と。

 だからだ。

 伝説の正体は、尾鰭の付いたホラ話だったことにしてしまえ。

 ホラ話なのだから、古ぼけた剣が末裔ウェスキノの手でも光らないのは当たり前だ。

 ……ということにこれからしていけば良い。

 そのために邪魔なのが、妹とあのリーベル人だ。

 聖剣の光を目撃してしまった二人。

 ウェスキノ説に対して、二人は異議を唱えてくるだろう。

 妹は光らせた張本人だし、ハーヴェンは融通も機転も利かない石頭だ。

 余計なことを人前で言い出されては困る。

 伝説とは、人から人へ伝わっていくもの。

 ゆえに少しずつ解釈が加えられ、次第に内容も変わっていってしまうもの。

 勇者伝説も然り。

 ウェスキノの策とは、勇者伝説に「実はホラ話だった」という解釈を加えることだった。

 彼は自説の妨げになるものに容赦しない。

 先手を打ち、妹とリーベル人の口を封じる。

 そのための小道具が、いま届いた聖剣だった。

 ハーヴェンとイリスは、見てはならない光を見てしまったのだ。

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