after the end credits 後編



 視たのは、というか、視ることができたのはそれしかなかった。縋ることができる最後の希望はそこにしかなかった。だがら、そこしか知らなくてもしがみついた。


 決意が固まるのにそう長くはかからなかった。


 レインと名乗ったあの女性が去ったあとで、私は不釣り合いな高級スイートに一人取り残された。さっきまで壮観に感じていはずの東京の夜景が、そのときはすでに見慣れた景色以上に褪せていた。


 ここに居場所はない。そんな思い込みは現実となって確信に至った。私には誰一人として縁にすることのできる人物がこの世界にはいなかったのだ。裏切られたんじゃない。私は初めからいるべき存在じゃなかった。何かの手違いで産み落とされた人間もどき。だから、人じゃない私を人間たちが躍起になって閉じ込めようとしたことも納得できる。


 なんて遅い悟りだろう。ヒントはわかりやすいところに散りばめられていたじゃないか。


 この眼を使って私の両親は本当に喜んでいた? この眼を見せた友人は本当に私に羨望の眼差しを向けていた? 


 真実を話してくれた人は一人だけいる。私が最初に殺した女、久世咲良。彼女の言葉は、私が世界と向き合わなくて良いと気づかせてくれるための言葉だった。


 でも、そんなすべてはもう取り戻すには遅すぎる。悟ったところで、そんなものを視たいとは思わないからだ。


 私の目で実現したそんな世界で最初に堪えられなくなるのは私だ。そしてきっと繰り返す。あるいは今日以上のことを。だから飛び出すことに決めた。


 スイートルームの出口への扉を横目に私は立ち上がった。ついさっきレインが去った先の空間を視る。彼女は戻れないと言った。けど、それがいい。私にこんな居場所はふさわしくない。


 ――そうして、ここまでやってきたわけだけど、やっぱりというか、何をするべきなのかがわからない。


 彼女は視ろと言ったけれど、あとはどうすればいいのだろう。迎えに来ると言っていたから待っているべきなのだろうか。


 しかし、ここはいったいどこなのだ。東京駅で見た重厚な造りの建物によく似た雰囲気を感じる。けれど、石やレンガでできているとも思えない。鉄に似た黒い光沢を放つ太い柱は、どこか未来的だった。床も金属かそれに類する硬い材質でできている。


 外の景色を見ることができる窓は見当たらなかった。前を見ても振り返っても、長く広い廊下がひたすらに続いている。先が見えず、人気も感じないのに、妙に清潔で明るい電灯に照らされた空間は、下手に暗い場所よりも不気味だ。


 私は恐る恐る歩き出した。足を踏み出すたびにうるさく思えるほど響く足音にいちいちびくついたけれど、私はどうしても彼女に会いたかったから、迎えに来ると言われたことを忘れて歩き出していた。


 すると、大した距離も歩かない内に、前方に突如として出現した、脇へそれる通路が目に入る。私は曲がり角があったことになぜか安堵して駆け寄ろうとしたとき、そこから二つの人影が歩み出てきた。


 はっとして見つめた顔は私を幻滅させるだけだった。期待していた金の長い前髪はそこにはなく、私と同じくらいの歳の端正な顔立ちの男女が姿を見せる。


 二人はおしゃれとはかけ離れているようで、どこか気品を感じさせる白を基調とした衣服に見を包んでいる。教科書で見た、古代ギリシャの彫刻の人々が身につけているような布切れでありながらも、衣服としての最低限の機能は備えているように見えた。


 幻滅はつかの間に消え去り、私は彼らが彼女から仰せつかってきたのではないかと思い、話しかけてみることにした。


「あの……レイン、さん、というかたを、知りませんか?」


 どこか遠回しな聞き方になってしまったのは、彼らがどうにも彼女と釣り合いそうにないと思ったからだ。彼らが彼女と話しているところを想像できなかった。


 二人は私の質問が聞こえていないかのごとく、立ちすくんだままでしばらく黙りきりだった。流石にしびれを切らし、再度聞き直そうかと考えたとき、彼らは恐ろしくゆっくりと口を開いた。


「あなたの具体的な目的を明かしなさい」


 なぜ二人同時にまったく同じ調子で話したのかはこの際考えないことにする。とにかくその間延びした喋り方がどこか気に食わなかった。だから、次の質問は半ば苛つくようにしてぶつけた。


「レインさんに会わせてください」


 しかし、彼らは私の苛立ちを逆撫でるように、また二人同時に喋り始める。


「それに関して、我々はお答えすることができません」


「じゃあ――」


「ですが、あなたがこれ以上敵対的な意志を見せるのであれば、我々はあなたを排除しなければいけません」


 その言葉は決裂の合図にしかならなかった。


 敵対的とは何だ。私はただ、会わなくちゃいけない人がいるだけ。だから、立ちはだかるのなら、私は押し通る。もうどうせ戻らない。戻ることは許されない。ならせめて、立ちふさがるものは容赦なくねじ伏せる。そうやって前に進み続ける。


 私はまず右目で女の伸展を視た。アレの内部、骨が、頭蓋から丁寧に砕かれるのを視る。


 瞬間、女の方は震え始め、血の涙を流す。


 私はそんな様子を気にもとめず、さらに下へと下り、伸展を視る。平らに潰されながら、女の体は引き伸ばされていく。


 左目では男が圧縮されていく。脚、腕、頭が、それぞれ末端からひしゃげる。


 敢えて関節とは逆方向に曲げ、更には関節でないところにすら折り目を作り、なくなりかけの歯磨き粉のチューブを丸めるようにして、丁寧に折りたたんでゆく。


 二つの異なるモノたちはそうやってヒトガタを保つことができなくなり、抵抗なんてできるはずもなく、ただただ肉塊とし対照的なボールと布は宙に舞っていた。


 そして、そんなふたつの彼方に私が望んだ人物はいつの間にか立っていた。こちらを見て、つい先程見送ったときと同じ美しい瞳を携えている。


 凸凹なモノの暖簾をくぐり抜けて彼女の元へと歩みを進めた。私は嬉しく、同時に誇らしかった。彼女は私をきちんと見てくれている、私のすべてを正面から――――そんな、気がした。


「少し、遅くなった」


「あの、私……」


「よくやったよ、お前は」


 その声音は、私が最も聞きたかった音を奏でている。私はこんな居場所を望んでいたんだ。


 戻れないのは罰でも代償でもない。正しいから、私は戻る必要なんてない。ここにしか、私はいることができない。だから――


 考えていたことを、ずっと考えていたことに、終止符を打った。


「――レイン様」


 そう呼ぶことが、きっと相応しい。

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