第二十二話 勧誘
一歩踏み出した扉の先は思いの外広かった。六人掛けのテーブルとイス。壁にはスクリーンがあり、天井から映写機がつるされている。奥には大きなソファがあり、その脇にはキッチンのようなものも見える。外に面した部分は全面ガラス張りで、私が先ほど見た景色とは比較にならないほどの長大な視野が広がっていた。
一通り見終えると、一番奥のソファに座っている、女性に再度目が行く。金の長い髪が顔の半分を覆っている風貌には見覚えがあった。今日三度目の邂逅になる。
「起きたな。十五時間も寝れば、まあ、十分か」
こちらを見向きもせずそんなことを言い放つ。私に対して言っているようにも思えない。
おそらくだが彼女が私をここまで運んだ張本人なのだろう。けれど、なぜ彼女がそんなことをしたのかという辻褄はすぐに合いそうもない。
「こっちへ来て、そこに座れ。先に顔を洗いたいのならそこの扉を出て左だ」
ぶっきらぼうな命令口調が少し癇に障ったが、私は彼女の下へと歩み寄ることにした。
柔らかい絨毯の感触を足裏に感じながら、改めて周囲を見回して歩く。明らかに私が出入りできるような場所じゃない。かと言えば、そこで座っている女性に似合っているかと言えばそれも違う。なんだか人間じゃないような雰囲気を感じていた。
「体はどうだ。一通りの傷は治してあるが、専門じゃないんでな」
彼女を注視しながら、腰を降ろす私などお構いなしにそんなことを聞いてくる。
「……えっと、はい、痛いところとかはないです」
「そうか。ならいい」
「あなたが私をここまで運んでくれたんですか?」
「そうだ」
「どこで私を見つけたんですか?」
「マンションのがれきの下だ。最後の記憶は覚えているか」
「はい。……でも、だとしたら、私はやっぱりあのマンションを倒壊させたんですよね?」
「ああ。大ニュースになっているらしいな」
「らしいって……。けど、それなら私はどうして生きているんですか?」
「まあ、普通なら死んでたよ。けど、その辺は私たちがどうにかした。それだけだ。人間のお前には関係ない」
やっぱりどこか私を苛立たせる話し方をする。助けたことをなんとも思っていない、というか助けておいて私に興味のなさそうな態度を示し続ける彼女に、私は何となく踏み込んでやろうと思った。
「共犯者のつもりですか? それとも命の恩人?」
女性は少しだけ顎を上げた。垂れていた前髪の向こう側がのぞく。初めて見たときと同じ金色の目をしている。それだけじゃない。鼻筋が通っていて、きりっとした輪郭を携え、髪の一本一本の透明さがうかがえる風貌は、かなりの美人に思えた。
「――どちらも違うな。ただの興味本位だ」
「興味本位?」
予期しない回答に戸惑う。正直、ダークヒーローでも気取っているように私は考えていた。
「そうだ。だから、いくつか聞いてみたいことがある」
「何です?」
思わず背筋に力が入り、唾を飲み込んだ。自然と両手が緩い拳を作り出す。
「結局お前は最後に何を視ていたんだ?」
「最後って、どういう意味ですか? 私の最後の記憶を知りたいと」
「そんな事実に興味はない。ただ、何を望んで何を視たからあんな行動をしたのかを聞きたい」
「それは……」
と考えて、口が止まった。
復讐、と単純に言い切ることはできる。実際、そのために行動を起こした。私は居場所がないと突きつけたこの世界に復讐したかった。普通じゃない私の慟哭を、爪痕として残したかった。だから、私は動いたはずだ。でも、それ以上の源泉が存在している気がする。
復讐の源泉、そもそもそんな感情を抱くに至った理由を探った。
「――思えば、」
思いの外答えはすぐそこにあった。
独白は語っている。
「取り戻したかったんです。日常を。けれど、取り戻すことはできないと理解していたから、なら、もうどうなってもいいかなって。失うものが何もないと気づいてしまいましたから」
言葉に出した整理は、きちんと腑に落ちていた。
取り戻す、それが最初の意味だ。私はずっと、日常を夢見ていた。
でも、目の前の彼女は、納得できないのか、いやな質問を投げかける。
「その感情は矛盾していると思わないか?」
「はい?」
「たとえ成功したとして苦痛に満ちているとは思わないか? 失うものがないとわかっているんだろう? ならなぜ行動を起こした」
「だって、どうしたって追い詰められていたんです。どうしようもないほどに。周りのすべてが敵だったんですよ。立ち向かわなければ、私はずっと逃げ続けるしかない。そんなのは嫌です」
「だが、立ち向かった結果としてお前は自滅を選んだ。なぜだ。もっとほかの方法がないかとなぜ考えなかった。お前がやったことは自分で自分の終端を近づけただけだろう。そこになぜ納得しようとしている」
「なぜって、そんなの、だって、あなたは逃げるか立ち向かうか以外に方法がないのならどうするんですか?」
「選択肢はその二つじゃないだろう。少なくともお前はそれができるはずだ。その眼で」
「私の何を知っているんですか? この眼を使えば何でもできるとでも思っているんですか? あなたは、何もわかっていない。そもそもこんなもの、私には要らなかった」
「なら、目を潰せばいい。もっとも、それは脳と繋がっているから、実質的に潰せばお前自身の死を招くことに変わりはないが」
「あなた、最悪ですね。まるで人を人だと思ってないみたい」
「否定はしない。少しズレた感覚なのは理解している。悪かったな」
女性は謝罪の意思を示しているつもりなのか、わずかに視線を寄越す。けれど、そのしぐさが余計に私を苛立たせた。
加えて、彼女は謝罪のことなど意に介さずに次の質問を投げる。
「お前はその目を必要ないと言ったが、もしなければお前が言う日常が手に入っていたと思うか?」
「それは、そうでしょう。こんなものがあるから、私のすべてが狂ったんですから」
噛みしめた。なければいい、そんなことを考えたのは、ついさっきのことだ。未友にさえ裏切られたとき、すべてはこの眼があるからだと思った。私がどれほ針を合わせようとしても、そもそも基盤があべこべだった。私の時計には余計な数字がいくつもついている。でも、この女性はさらに癪に障ることを述べ立てた。
「私はそうは思わないんだよ。まあ、というかこんな質問をしておいて言うことじゃないかもしれないが、お前はどうあってもその目からは逃れられないぞ」
「――は?」
「単純なことだ。お前という存在はその目が在って初めて成立する。そういう仕組みだ。だから、お前が眼のない生活なんてものを望んだところで、そんなものは無理だよ。お前にできることはその目とどう付き合うかだ。もっとも、私はそもそもお前がこの星で生きていくこと自体に懐疑的だけどな」
「あなたは、私を怒らせたいんですか?」
「いいや、違う。事実のすり合わせをしているだけだ。お前の感情面も含めて。だから、最後に聞きたいことがある」
女性はあくまで私に問いかけるつもりなどないように、目を伏せたままだった。
「お前の目的とやらは一応達成された。そのうえで、お前はまだ生を願うか?」
「なにを言いたいんですか?」
「そのままだ。生きたいと願うなら、それを与えてやると言っている」
コイツは何を口にしている。私に何を告げている。私のことなんかどうでもいいという態度で、なぜそんなことが言える。
「そんなこと――」
言おうとして、遮るように女性は立ち上がった。
「できるさ、私なら。そのために来たんだからな」
黄金の瞳がこちらを見下している。その輝き、瞳孔の奥底に深い空洞を見た気がした。なにひとつ理解をさせないこの会話の最後で、その視線が私を屈服させた。
美しいと、思ってしまった。縋りたいと、願ってしまった。私に残されていた、最後の希望じみた何かが、沸き立つのを実感する。
好きになれない、最初の一言からそう感じていたのに、私はどうしても目を離せなかった。夜、公園で出会った彼女の、本当の最後の言葉を思い出す。聞こえるように言ったのかは知らない。ただ、背後で聞こえてしまった言葉が再生される。
そして、美しいと、直感的にそう思った。思ったのでも、願ったのでもない。それすらもう過去のこと。今はただ、彼女に見惚れていた。
たしかに、ずっと辛かったのかもしれない。本当は誰にも理解されないことくらいわかっていた。私はどうあってもこの社会にはなじめない。でもほかに行くべき場所が想像できないから、私はあきらめたつもりになっていた。そして、痛めつけることを知って、私は行動するしかなかった。本当は自滅なんて望んでいない。アイツらの苦しみなんてどうでもいい。私は私の苦しみを取り除きたかっただけ。ただ、その方法が今の今までわからなかった。
私の横をすり抜けて歩いていく彼女を追った。同時に風を感じる。見れば大きな穴が空間に開いていた。彼女の背丈よりも大きいその先には、今度こそ見たこともない場所が広がっていた。灰色で石造りの、古風な空間。けれど、どこか荘厳で神秘的なものを思わせるその場所は、少なくともこんな東京のど真ん中の高級ホテルよりも、私の性に合っている気がする。
ホテルの扉が開かれ、夕方に出くわした二人の女性が入ってくる。彼女たちは私に目もくれなかった。ただ当然に、空間切り裂く穴の中に歩みを進める。振り返らず、コツコツと足音だけを響かせていた。
女性は穴の前でこちらを見ている。ポケットに手を突っこんだまま、吹き抜ける風に髪を揺らしていた。
「来たければここを視るといい。そうすれば私はお前を迎えてやる。よく考えろ。戻ることはできないからな」
女性は踵を返し、穴の中へと足を踏み入れた。
「あの――」
私の呼びかけに女性は穴の向こうで振り返る。
「あなたの名前は」
女性は背後を振り返ってから口を開いた。
「――レインだ」
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